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Bayly, The Practise of Pietie

ルイス・ベイリー
『信仰を実践しよう!』より

・主の日を本当に清らかに過ごすには
さて、安息日を守るには次の二点を満たさなくてはなりません。まず、いつもの仕事、体が生きるために必要な仕事から休むこと。次に、その休息を神様への奉仕にあてること……。

・第一の点について
いつもの仕事、体が生きるために必要な仕事とは、社会人としての仕事すべてをさします。その重さ・重要性は関係ありません。具体的には、まず第一に本業を休まなくてはなりません。たとえ収穫の時期であってもです。

第二に、運輸業者のように荷物を運ぶのをやめなくてはなりません。利益のために、あるいは楽しみのために外出してもいけません。神様は、安息日には獣も休むよう命じました。その日に獣を使って人が働くことがないようにです……。

第三に、市場に店を出してはいけません。これを神様は疫病や火事や不思議な洪水で罰してきました。

第四に、読書や勉強をしてはなりません。聖書や神学書についてはこのかぎりではありませんが。主の日には、魂を集中させてこの世のことを忘れるよう努めなくてはならないのです……。

第五に、あらゆる遊び・娯楽をやめなくてはなりません。他の日に許されているようなものでもです。他の日に許されている仕事でも主の日には禁じられているのですから、わたしたちの心を奪って神様を忘れさせる遊びなどいうにおよびません。

第六に、食べすぎてはいけませんし、ワインや強い酒を飲みすぎてはいけません。酔ってうとうとして心から神様に仕えることができなくなってしまうからです。

第七に、神様や天国のこと以外いっさい話をしてはいけません。安息日に俗的なことを話せば、これは働くことよりもさらにひどく安息日を汚すことになります。仕事はひとりでもできますが、話は他人がいないとできないことですから。

安息日を守っていつもの仕事を控えるというのは、獣にもできることです。キリスト教徒であれば、この日に休むことで罪を浄化しなくてはなりません。仕事が禁じられているのは、それが体と心を神様の礼拝から遠ざけてしまうからです。

他の日に許されている遊びが安息日には許されないのですから、他の日にも許されない遊びが安息日に許されないのは当然です。ですが、実際どのようにキリスト教徒が主の日を過ごしているかを見ると涙が出てきます。まるでバッコスを称えるパーティをしているようなのですから。主なるイエス様、救い主として世界を救ったイエス様を称える日なのに! ほんの一時間ほどかたちだけの礼拝をすませると、みな食べて飲んで遊びに行きます。まずお腹がふくれるまで食べて飲んで、そして遊んで踊って欲を満たします。このような冒涜は、昔から偉い神学者たちが強く非難してきたことです。アウグスティヌスもいいました、安息日に踊るくらいなら畑を耕しなさい、と。

……この本を読んでいる皆さんにはぜひ考えてほしいと思います。いつか救い主とすべての天使たちの前で答えなくてはならない日が来ますから。踊ること、劇や仮面劇で演じること、カードやさいころやバックギャモンやチェスやボウリングや狩りや熊いじめで遊ぶこと、酒をごくごく飲むこと・ちびちび飲むこと、ロビン・フッド気取りのいろんな馬鹿遊び、モリス・ダンスや各種の前夜祭、そして五月祭、これらを神様が祝福してくださると思いますか? 安息日にお許しくださるとでも? 安息日には神様を称えること、神様からお恵みをいただけるようなことのみ許されているというのに、そのような日に皆さんは上のような遊びにふけって神様に祈らない。……聞きなさい。そして震えなさい。おおお! 神を冒涜する若者たちよ! 神を畏れぬ者たちよ!

*****
Lewis Bayly
The Practise of Pietie
1613
STC 1602
pp. 563-73

*****
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イギリス魔女裁判:証言各種

イギリス魔女裁判:自白各種


1. 使い魔(familiar)

エリザベス・スタイル:
[彼女は]蛙の姿をした悪霊を飼っており、自分の脇腹から血を吸わせてそれを養っていた。(Rosen)

マーガレット・フラワー:
彼女は次のように自白した。彼女は二匹の悪霊に血を吸わせていた。一匹は白、もう一匹は黒のブチであった。白い悪霊は彼女の左胸から、黒のブチは性器の内側から血を吸った。彼女はこれら悪霊に魂を与えることを約束し、それらは彼女が命じることを何でもすることを誓った。(Rosen)

フランシス・ミルズ:
この証人は次のように証言した。ソープの隣人たちに頼まれて魔女と思しきマーガレット・ムーンの体を調べたところ、彼女の性器の内側に三つの長い乳首のようなものが見つかり、そこには最近吸われた跡があった。(Haining)

ジョン・コッタ:
魔女のしるし[悪霊が血を吸う乳首のようなもの]は、大抵の場合性器の内側に見られる。(Sharpe)

マーガレット・ベイツ:
二、三日の見張りの後、ベイツの妻マーガレットは次のように自白した。ある日仕事をしていた時、何かが足を上ってきて性器に入っていき、そこに噛みついたのを感じた。それは魔女のしるしが見つかったところである。また別の日、教会の庭にいた時、再び何かが同じところに噛みついたのを感じた。彼女が言うには、彼女の性器には乳首のようなものが二つあり、これらはたぶん一度噛みつかれた時に同時にできたようである。(Ewen)

エレン・ドライヴァー:
エレン・ドライヴァーを監視していたロバート・ウェイツは次のように証言した。三日の見張りの後、彼女は二匹の悪霊を飼っており、それに血を吸わせていたこと、また人間の姿をした悪魔が彼女の前に現れたことを自白した。 (Ewen)

アースラ・ケンプの証言:
アースラ・ケンプは次のように自白した。十年くらい前、彼女は節々が痛くて困っており、これを直すためにウィーリーに住むコックという男の妻(すでに亡くなっている)に会いに行った。彼女が言うには、アースラは呪いをかけられていた。アースラが懇願したので、このコックの妻は彼女に呪いの解き方を教えた。……尋問官ブライアン・ダーシーが「正直に本当のことを言えば罪を軽くしてやる」と約束するなど甘い言葉をかけてやると、アースラは突然膝から崩れ、そして泣き出し、次のように自白し始めた。四匹の悪霊を飼っていること、そのうち二匹が雄で二匹が雌であること……。(Rosen)

ジョーン・アプニーの証言:
ジョーン・アプニーは次のように自白した。ある日彼女は悪霊である蛙をハロルドの家の敷居のところで放し、それはハロルドの妻に噛みつき、血を吸って殺した。しかしこの蛙はアプニーのもとには二度と帰ってこなかった。また別の日、リチャード・フォースターの妻がやってきた時にアプニーが別の蛙を放すと、それは彼女に噛みつき、そして二度と帰ってこなかった。(Rosen)

エリザベス・フランシスの証言:
彼女は次のように自白した。まず、彼女は魔術を12歳のときに祖母から習った。この祖母とはハットフィールド・ペヴレルのイヴおばさんであり、すでに亡くなっている。……この祖母が彼女に魔術を教えた時、彼女は神とその御言葉を棄て、そして血を(この祖母が呼ぶところの)サタンに与えるよう命じた。このサタンとは、祖母が白ブチの猫の姿でエリザベスに与えたものである。祖母がこれにパンとミルクを与えるよう言ったので、彼女はそうした。祖母はこれをサタンと呼び、バスケットに入れて飼うようにと言った。(Rosen)


--------------------
2. 悪魔

エレン・ドライヴァーの証言:
エレン・ドライヴァーは次のように自白した。彼女は二匹の悪霊を飼っており、血を吸わせていた。また彼女の前に人間の姿をした悪魔が現れ、彼女はある村で彼と結婚した。彼女は彼と三年間一緒に暮らし、二人のこどもをつくった。(Ewen)

エリザベス・ホバートの証言:
エリザベス・ホバートは[次のように証言した]。30年ほど前、黒い少年の姿をした悪魔が彼女の前に現れ、嫌がる彼女の背中から血を吸った。その時に彼女は、肉体と魂を与えるかわりに気に入らない人間を懲らしめてもらい、さらにお金をもらうという契約を彼と交わしたが、彼は一度もこれを実行してくれなかった。(Ewen)


--------------------
3. 悪の誘惑

エリザベス・フランシスの証言:
このイヴおばさんが彼女にサタンをくれた時、エリザベスはこの猫に(「サタンや」と呼びかけながら)お金持ちになれるよう、いろんなものを手に入れられるよう頼んだ。この猫は「よし、何がほしい?」と言った。彼女は答えた、「羊」。(Rosen)

リンダ・テイラーの証言:
リンダ・テイラーは[自白した]。彼女の悪霊たちは彼女に盗みをはたらけと言った。また、自殺してしまえと言った……。(Ewen)

プリシラ・コリットの証言:
プリシラ・コリットは[自白した]。12年前、悪魔が 「おまえの子など殺してしまえ」 と言った。「そうしないとずっと貧乏なままだぞ……」。(Ewen)

スザンナ・スミスの証言:
スザンナ・スミスは自白した。18年前、彼女の前に赤い毛むくじゃらの犬の姿をした悪魔が現れ、自分のこどもたちを殺すよう誘惑した。しかし、彼女は24時間彼と闘い、彼を追い払った。彼女はこどもたちを殺そうとはしなかった。しかし、さらに魔術について話すよう要求されると、彼女の喉に2つの腫れ物ができ、彼女は話せなくなった。(Ewen)


--------------------
4. 夢と記憶と取調べの錯綜

マーガレット・モアの証言:
マーガレット・モアは次のように言った。彼女のこどもたちが死んでしまった後、彼女は(夜に)「ママ、ママ」と自分を呼ぶ声を聞いた。それに対して彼女は、「どこ? 何してほしいの?」と訊いた。すると彼らは彼女に「何か飲みたい」と言い、彼女は「ごめんね、ないの」と答えた。すると三番目の子の声が、「おまえの魂をくれなきゃ四番目の子の命をもらう」と言った。四番目の子とは彼女に残された最後の子であった。彼女は「あの子をとられるくらいなら魂をあげる」と言った。すると裸のこどもが現れて彼女の体から血を吸った。(“Witchcraft at Sutton” 277-78)

アビゲイル・ブリッグズの証言:
アビゲイル・ブリッグズは次のように自白した。彼女の夫が死んでからひと月たった時、夫の姿をした悪魔が現れ、彼女の上にのってきた。彼女が「私を殺すの?」と訊くと、彼は夫の声で答えた、「いや、俺はいい夫になっておまえを幸せにしてやる」。(Ewen)

*****
Barbara Rosen, Witchcraft in England, 1558-1618
Peter Haining, The Witchcraft Papers
James Sharpe, Instruments of Darkness
C. L’Estrange Ewen, Witch Hunting and Which Trial
“Witchcraft at Sutton”

*****
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From Napier, A Plaine Discouery of the Reuelation

ジョン・ネイピア
『かんたん! 誰でもわかる聖ヨハネの黙示録』より

ポイント 1
神からの預言のなかに年・月・日の表記がありますが、
この一日とは一年のことです。

ポイント 2
第8-9章の七つのラッパと第16章の七つの杯は、まったく
同じものです。

ポイント 3
第五のラッパによって落ちてくる星およびそこに
あらわれるいなごは、あのおおいなる敵反キリストおよび
彼に仕える聖職者たちではなく、トルコの支配者および
彼の軍勢のことです。彼らの支配はキリスト暦1051年に
はじまりました。

ポイント 4
東の王たち、あるいは四人の御使(みつかい)が第六の
ラッパによって解き放たれますが(第9章、第16章)、
これはユーフラテス川あたりおよびその向こうの
イスラム四国のことです。これらがオスマン帝国と
なりましたが、それはキリスト暦1296年頃のことでした。

ポイント 5
第五のラッパあるいは杯の期間は245年ですが、
他のラッパ・杯の期間もそれぞれ同じくらいです。

ポイント 6
最初のラッパ・杯は特赦・解放の年、キリスト暦71年に
はじまりました。

ポイント 7
第七の封印が解かれたのは、最初のラッパ・杯と
同時であり、それは71年でした。

ポイント 8
最初の封印はキリスト暦29年の終わりに開かれはじめます。

ポイント 9
封印の期間は、みなそれぞれ七年です。

ポイント 10
最後のラッパ・杯はキリスト暦1541年にはじまり、
1786年頃に終わるものと思われます。

ポイント 11
七つの雷の声は封印せよ、書きとめてはならない、
と命じられていますが(第10章第4節)、これは第14章
第6・8・9・14・15・17・18節に記された七人の
御使のことです。

ポイント 12
七つのうちの最初の雷、および第七つまり最後の
ラッパ・杯は、1541年に同時にはじまりました。

ポイント 13
最初の三つの雷を鳴らす天使たちはみなそれぞれ
解放をもたらします。また後半四つの雷がまったく同時に
鳴るときに最後の審判が終了します。

ポイント 14
神による最後の審判は、おそらくキリスト暦1688年から
1700年のあいだにありそうです。

ポイント 15
ダニエル書や黙示録における預言の「42か月」、「1260日」、
偉大な「三日半」、「ひと時」、「ふた時」、「半時」は
みな同じ時間を意味します。

ポイント 16
「42か月」、「1260日」、偉大な「三日半」、「ひと時」、
「ふた時」、「半時」は、人間の世界ではみな1260年を
意味します。

ポイント 17
第4章にある神の王座の説明は、天における神の偉大な
お姿についてのものではなく、選ばれた者にかこまれて
この地上で王座につき支配する神の真の教会のようすを
描いたものです。

ポイント 18
24人の長老とは、旧約聖書の24巻および(比喩的に)
それについて教えることができる真の教授者をさします。

ポイント 19
「四つの生き物」とは、四つの福音書、およびそれについて
真に書き、語ることができる者をさします。

ポイント 20
神の神殿とは天にあるものですが、しかし神に選ばれた、
ほとんど天使のような人々が地上につくる教会のことでも
あります。また、比喩的にこの教会がもつすべてのもの
をも意味します。

ポイント 21
黙示録第11章にある「二人の証人」とは旧約・新約という
二つの聖書のことであり、また(比喩的に)これらについて
正しく教えることができるすべての教授者のことです。

ポイント 22
「太陽を着た女」(第12章)とは神の真の教会のことです。

ポイント 23
黙示録でバビロニアの魂と呼ばれている娼婦とは実在する
バビロニアのことではなく、今もある都市ローマのことです。

ポイント 24
十の角をもつおおいなる獣とは、ローマ帝国全体を指します。
そのなかに反キリストがいます。

ポイント 25
二本の角をもつ獣とは、反キリストと彼の王国のことです。

ポイント 26
教皇こそ預言における反キリストに他なりません。

ポイント 27
獣の像・しるし・名・数とは、みな第一の獣、大ローマ帝国
全体についてのものであり、第二のもの、反キリスト個人に
ついてのものではありません。

ポイント 28
獣の像とは、悪に落ちた君主たちのこと、名目上ローマ皇帝と
呼ばれつつローマ人でも偉大な皇帝でもない者たちのことを
さします。

ポイント 29
666という数であらわされる獣の名は、「ローマ人」としか
読めません。

ポイント 30
ローマの獣のしるしとは、いにしえからの彼の帝国に対する
人々の隷属・従順のことです。それは目に見えないものですが、
教皇によっていろいろ目に見える姿を与えられてきました。

ポイント 31
目に見える獣のしるしとは、χξς[666]という悪の数字、
そしてあらゆる種類の十字のことである。これらは第一の
獣の名からきています。

ポイント 32
ゴグとは教皇のことであり、マゴグとはトルコ人および
イスラム教徒のことです。

ポイント 33
ゴグとマゴグの軍勢(第20章)とは、第6のラッパおよび
第6の杯の軍勢のことです。

ポイント 34
サタンが縛りつけられる千年間(黙示録第20章)は、キリスト暦
300年頃にはじまります。

ポイント 35
悪魔が縛られる千年間(第20章)とは、他でもない、国々の
あいだに全面戦争をひきおこすことができなくなる、という
ことです。

ポイント 36
反キリストがキリスト教徒を全面的に支配する1260年とは、
キリスト暦300年、遅くとも316年にはじまりました。

*****
John Napier
A Plaine Discouery of the Whole Reuelation of Saint Iohn
1593
STC 18354

*****
宗教改革、つまりローマ・カトリックからの分離を
神学的に正当化するための議論。とにかくローマを
敵視するという点では「かんたん」(???)。

このテクストは千年王国を反キリストの支配下のものと
解釈。縛られた悪魔の副官として反キリスト=教皇が
この世を千年間、ローマ帝国のキリスト教化から
エリザベスによる国教会(再)確立まで、支配した。

精読に値するとは思われないが、このような書物が
数版を重ねた、つまり一定数以上の読者を得ていた、
ということを知らなくては、16-17世紀イギリス社会は
正しく理解できない。比べれば、スペンサー、シドニー、
シェイクスピア、ジョンソンらの作品がどれほど知的に
洗練されて見えることか。

イギリス文学史の「キャノン」(正典)を批判する人々は、
「イギリス文学史」を大学における授業科目として
人為的につくられたものととらえている。
そのようなものとしてしか理解できていない。
が、違う、歴史はそこにある。
読者を集めた詩・詩人、
後の著作家に影響を与えた詩・詩人は
まちがいなく存在した。
そこから自然にあらわれてくるものが
本来の「イギリス文学史」である。

(ちなみに poetry のもとの意味は「創作」。だから、
たとえば劇も poem で劇作家は poet だった。)

言語論的転回云々の話はもうやめるべきである。
そんなメタのレベルの話は社会的に、
日常生活のなかで、誰にも求められていない。
文学や文学研究の首を絞めてきただけである。

*****
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From Deios, That the Pope is That Antichrist

ローレンス・ダイオーズ
『教皇が反キリストであることについて:
イングランド国教会を批判する分離派に対する回答』

ヨハネの黙示録19:19
なお見ていると、獣と地の王たちと彼らの軍勢とが
集まり、馬に乗っているかたとその軍勢とに対して、
戦いをいどんだ。

ここにおける「獣」とは、イエス・キリストのこの世に
おける最大の敵のひとつであり、この世の戦場でキリストに
対峙する王たちやその軍勢を統括指揮する将軍のような
ものです。もちろん悪魔こそわたしたちの救い主に
対する戦争の総大将であるわけですが、黙示録において
彼は「獣」ではなく他の名で呼ばれています。すなわち
「龍」、「いにしえの蛇」、「サタン」などとです。
悪魔は獣ではありません。悪魔が「彼の力を獣に与える」のです。
獣は龍ではありません。獣が「龍のように話す」のです。
獣とは、悪魔によって呼び覚まされ、目に見える姿を
与えられてこの世にあらわれた権力者であり、そして
この世の王たちの上に立つ存在となっています。彼、
この獣が誰のことか理解できれば、もう勝ったも同然です。
なぜなら彼に負かされるのは彼が何者か知らない者だけ
だからです。この獣とは、先にもいったとおりローマ教皇の
ことです。……教皇に従うカトリックたちはこれを
認めようとしません。彼らは教皇が獣であると認めません。
わかっているからです、この獣が反キリストであることが。
反キリストとは何しょう? もちろん、イエス・キリストの
最大の敵に他なりません。教皇が獣であることを認めて
しまったら、カトリックたちは教皇に対する畏敬も従順も
みな放棄せざるを得ないのです。以下、この獣・反キリストに
ついて聖書に書かれていることがまさに教皇の統治に
あてはまること……を示したいと思います。

*****
Lawrence Deios
That the Pope is That Antichrist:
And Answer to the Obiections of Sectaries,
Which Condemne This Church of England
1590
STC 6475

聖書の引用は次のページから。
https://tinyurl.com/yccgvatl(Wikisource)

*****
黙示録から導かれる終末論。教皇を悪魔の手先として
ローマ・カトリックからの分離を神学的に正当化する。

当初これは国教会を支持する議論であったが、やがて
国教会を攻撃するために用いられるようになっていく。

*****
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From Young, Englands Bane

トマス・ヤング
『イングランド破滅のもと』より

一回でも罪を犯せば地獄落ち、と聖パウロはいう。
罪を犯す者は悪魔の一味、と聖ヨハネはいう。
なのにあのどうしようもない人間どもは何なのか。
いや、あれは人間ではない。化け物だ。泥みたいに
酔っぱらって罪に罪を重ねている。プラトンも
いっているが、泥酔というのは頭がたくさんある
怪物みたいなものである。この頭が汚い言葉を吐き、
あれが淫らな行為に耽り、三つめが怒り、四つめが殺し、
五つめが神の名にかけて罵り、六つめが呪う。
醜い怪物の汚らわしい体にこんな頭がいくつも
のっているわけだ。このような者を聖書がお許しかどうか
見てみよう。まず汚い言葉についてはコリント人への
手紙にこう書かれている--「汚い言葉を吐く者、
悪態をつく者が神の王国を受け継ぐことなどありえない」。
エペソ人への手紙第四章でもパウロは命じている--
「腐った言葉を口から吐いてはならない、教え諭す
ような、聞く人に恵みをもたらすようなことを
語らなくてはならない」。そう、わたしたちは
とげとげしいこと、意地悪なことをいうのを
やめなくてはならないのだ。さらにパウロは、
エペソ人への手紙第五章でこういっている--
「汚らしい話や馬鹿話、冗談などもキリスト教徒に
ふさわしくない、たとえほんの少しであってもそうだ」。
だが、どれほどのくだらない汚らしい話、神に対して
失礼な罵倒、清らかならざる不敬な言葉が、
酔っぱらいの口から吐き出されていることか。
神を信じる者の耳にはとてもでないが耐えられない。
まさに心から悲しいかぎり、魂はとまどうばかり、
恐れおののかざるを得ない状態である。

……………………
泥酔の怪物の二つめの頭、すなわち姦淫については、
パウロがコリント人への手紙第六章でこういっている
--「勘違いしないように。姦淫する者、姦通する者、
淫らな者、男同士で交わる者は天の王国に入れない」。
その十五節ではこうである--「知らないのか、
あなたがたの体とは救い主の体であることを。
あなたがたは救い主の体を娼婦の体にしてしまうのか。
姦淫をやめるのだ。他のすべての罪は他に対する罪だが、
姦淫だけは自分の体に対する罪である。知らないのか、
あなたの体とは神から授けられた聖霊の神殿であることを。
そもそもあなたがたはあなたがたのものではない。
救い主が高い代償を払ってあなたがたを取り戻して
くれたのだ。だからあなたがたの体に宿る神、魂に宿る
神を称えなくてはならない。あなたがたの体も魂も
神のものなのだから」。

……………………
聖ペテロもわたしたちにいっている、肉の欲望に耽っては
いけない、それは魂の敵である、と。例の詩人[オウィディウス]
曰く、「ワインは姦淫前の心の準備体操だ」。……
ロムルスは飲酒の悪が性欲につながるのを察知して
法に定めた、女が飲みすぎたら死刑、と。なぜなら、
「飲酒は不倫のはじまり、不特定多数相手の姦淫の
はじまり」だから。聖イエロニムスも同意見である--
「酒飲みが性的に清らかと信じることなど到底できない」。
こう考えたからこそ、ダヴィデ王もウリヤを酒で
酔わせようとしたのである。つまり妻と寝たい気分に
するために。

……………………
さて、泥酔の怪物の三つめの頭は怒りである。これを
プラトンは「瞬間的な狂気沸騰・血の炎上・別人格出現」
と呼んだ。これは復讐に対する欲望、友好の完全放棄であり、
まさに理性的思考の宿敵である。いうことを聞かないこと
荒れ狂う暴君のごとしである。……この悪、つまり
怒りの醜さをはっきり理解したければ、これを抱いた
最初の者、すなわち世界最初の殺人者カインについて
思い出せばいい。……ローマ人に対して聖パウロも
いっている--「神の怒りに任せなさい」(12.19)。
怒りは復讐を求めるものだが、神がおっしゃるとおり、
「復讐はわたしがすることである。わたし自身が報復する」
のであるから。……愛しき救い主も、激怒・憤怒がもたらす
不幸を見てこういわれる--「昔の人々に、殺すな。
殺す者は裁判を受けねばならない、と言われていたことは、
あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしは
あなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を
受けねばならない」(マタイ5.21-22)。思うにこれはみな
飲酒についていわれたことである。なぜなら、正当な理由なく
怒りを抱く者はいないし、思慮ある者は理由なく怒ったり
しないのであるが、酒飲みは思慮を失ってしまって怒り
狂うからである。思慮を保っているうちは誰だって互いに
愛しあい、仲間としてあたたかく接しあうものである。……

(つづく)

*****
Thomas Young
From Englands Bane (1617, 1634)
STC 26116, 26117

(26116のほうが印刷はきれいだが、
上に訳した部分を含むB2r-B3vが欠けている。)

*****
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Rossetti, DG, "Aspecta Medusa"

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
「メドゥーサヲ見ル」

ペルセウスに救われ、彼と結婚したアンドロメダは、
毎日毎日メドゥーサの頭を見たがった。だから
しかたなく彼は泉にそれをかざし、彼女をかがませて、
波のなかに見せた、
死んで生きつづける頭を。

目に映してはいけない、
直接、禁じられたものを。見たら来る、
同時に、幸せと死が。だから見るのは
その影だけにしておいて。

*****
Dante Gabriel Rossetti
"Aspecta Medusa"

Andromeda, by Perseus saved and wed,
Hankered each day to see the Gorgon's head:
Till o'er a fount he held it, bade her lean,
And mirrored in the wave was safely seen
That death she lived by.

Let not thine eyes know
Any forbidden thing itself, although
It once should save as well as kill: but be
Its shadow upon life enough for thee.

http://www.rossettiarchive.org/docs/1-1881.1stedn.rad.html

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Drummond, "The Statue of Medusa"

ウィリアム・ドラモンド
「メドゥーサの石像」

異形のメドゥーサを
見た人は石になってしまったというが、
これはその彼女の姿を彫った石像ではない。
そう、これはメドゥーサ本人。
ある暑い日、
彼女は水を飲もうと泉にやってきた。
そして水に映る自分の恐ろしい頭を見て、
そのまま麻痺して固まって、この石になってしまった。

*****
William Drummond
"The Statue of Medusa"

OF that Medusa strange,
Who those that did her see in Rocks did change,
No Image carv'd is this;
Medusa's selfe it is:
For while at heate of Day
To quench her Thirst She by this Spring did stay,
Her hideous Head beholding in this Glasse,
Her Senses fail'd, and thus transform'd she was.

https://quod.lib.umich.edu/e/eebo/A36573.0001.001

*****
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商用、盗用、悪用などはないようお願いします。


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BGM

BGM


小さめの音で--

Augusta
https://tinyurl.com/y974ndcv
(GT)

Jane, gtr
https://tinyurl.com/ybm8bena
(GT)

Claribel
https://tinyurl.com/yasgyety
(GT)

Faustus (1000 ships)
https://tinyurl.com/ya62c7a4
https://tinyurl.com/y8kkx3ez w/voice
(GT)

RJ (Sonnet)
https://tinyurl.com/ybp9uf9x
(GT)

Verona
https://tinyurl.com/ybp6coot
(GT)

PL9
https://tinyurl.com/y99q7f6r
https://tinyurl.com/ybr4mc52 (ver. 2)
(GT)

*****
GT:ギター・声

*****
盗用・商用・悪用以外でしたら好きにしてください。


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明治神宮 201804

明治神宮
Meiji Shrine
201804















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Nedham, Case of the Commonwealth of England, ch. 3

マーチャモント・ニーダム
『イングランド共和国の主張』
第3章:政府に服従しないなら、政府による保護という
利益が当然奪われる

国家や王国を壊して新しくするのは賢き神であり、
彼が先の支配者を追放してかわりに新しい者を
おいたならば、そのような時に新しい権力者に
服従を拒みつつ保護してもらおうなどと考えるのは
おかしな話である。理由は以下のとおりである。

第一に、保護してもらうからには当然保護する側への
服従や友好的な態度が求められる。そのように
ふるまわない者は敵であり、国々のあいだの法が
支配者にみずからの身を守る権利を与えている以上、
服従しない者は国民の敵、法の保護の対象外とされて
当然である。このような者に保護を与える義務など
なく、むしろ反逆者として何か恥ずかしいかたちで
処刑すればよい。グロティウスも次のように
いっている--勝利によって新しく支配者となった
者は、服従しない者すべての喉をまったく自由に
掻き切っていい、そのような権利がある。

第二に、いつでも人間社会を保つため、混乱を
避けるために何らかの統治が必要であるから、
統治者が気に入らないといって従わない者は、
ある意味たんなる無政府主義者であり、社会を
つくる主たる二つの目的を妨げるといえる。
この目的のひとつは、アリストテレス曰く、人々の
身の安全である。これを守るため、国の人々
ひとりひとりが国全体の安全を考えなくてはならない。
もうひとつは人々のあいだの公平性を保つこと、
正義を実現し、正しいおこないを広め、悪を罰する
ことである。これがなければ平和な暮らし・幸せ
などというものは実現しえない。統治者が気に
入らないから従わない、というような人ばかりの
国では身の安全も正義も手に入らない。政治的
秩序も平穏な暮らしも維持できない。つまりまさに
統治が骨抜きになってしまうのである。社会を
研究してきた人たちがいうように、国の根幹は
「しかるべき命令と従順、支配と服従の関係」
である。だから、彼らに従っていうなら、支配と
服従の関係は神の法・自然の法の両者によって
認められたものであり、それゆえ支配者として
立てられた者に従うことを拒み、あえて国の混乱を
招く者は、「国を略奪した暴君よりもずっと悪い
結果をもたらす」のである。

第三に、個々の私人には権力を握る者がどのように
その権力を握るに至ったかを問う権利がない。
そのような権利が認められたら、あらゆる地位を
めぐって論争がはじまってきりがないからである。
権力を握る者に抵抗することが不可能なら、
服従を拒む者を強制的に服従させることが
彼にできるなら、当然そのような場合、政治に
関して私人はただ服従していればいいのである。
この点についてあの優秀な学者グロティウスも
こういっている--「私人は地位に関する論争に
口をはさむべきではなく、ただ支配力のある者に
従っていればいい」。なぜなら、すべての権力は
神から与えられるものであるからだ。救い主も
ピラトに対して、彼の権力は天から与えられたものと
いっている。もちろん、彼は総督代理であり、
支配の座を簒奪したカエサルから権力を与えられたに
すぎないことは承知のうえで、である、これについては
ボディヌスも同じ意見であり、次のようにいっている
-ー「すべての統治者はまず神に定められたという点で
合法である。他方、二次的な統治の根拠を見るなら、
彼らは武力・暴力で統治の座についたといえる」。
つまり、すべての支配者はその最高の地位を神から
与えられており、また国際的な法によって支配下の
者に対して権力を揮うことを認められているのだから、
それゆえ権力者に対する抵抗を禁じる神の法により、
また国々のあいだの法により、服従を拒む者は
財産および保護という恩恵を奪われて当然である。
これは支配者がどのような方法でその地位についたか
には関係ない。……

*****
Marchamont Nedham
The Case of the Commonwealth of England, Stated
Ch. 3: That Nonsubmission to Government Justly
Deprives Men of the Benefit of Its Protection

IF AT any time it seem good to the wise disposer of states and kingdoms (who puts down one and sets up another) to permit the expulsion of such as were formerly in possession and admit others in their places, it cannot in reason be expected that those which refuse obedience to their authority should receive the benefit of protection; and that for several considerations.

First, because protection implies a return of obedience and friendship from the persons protected to those that protect them. Otherwise they put themselves into the condition of enemies, and by the law of nations, which indulges a liberty unto all that are in power to provide for their own security, they may be handled as public enemies and outlaws. Wherefore in this case so little of protection is due to them that they may be punished as traitors by some shameful execution. And it appears out of Grotius, in case of nonsubmission to new lords after a victory, the throats of every refuser are wholly at their mercy; and all this, de jure.[1]

Secondly, there being a necessity of some government at all times for the maintenance of civil conversation[2] and to avoid confusion, therefore such as will not submit, because they cannot have such a governor as themselves like, are in some sense mere anarchists and destroy the two main ends of all civil communion. The first whereof Aristotle sets down to be public safety, in relation whereunto each member of the commonwealth is concerned to have a care of the whole.[3] The second is public equity, for the administration of justice, encouragement of virtue, and punishment of vice, without which it's impossible to enjoy peace or happiness. Where this humor reigns, there those two can never be secured nor any political eutaxy,[4] good order, or tranquillity maintained, which is the very soul of government. For as much as, say the civilians, the essence of a commonweal consists ratione imperandi & parendi; in imperil & subjectionis recta ordinatione, "in a due course of commanding and obeying, rule and subjection." From whence, say they, we may conclude, regere & subjici, that "rule and subjection" are founded upon the law both of God and nature and they must needs be transgressors against both that upon any pretense whatsoever shall refuse to obey those powers that are set over them and open a gap to confusion, ipsa tyrannide deteriorem, "of far worse consequence than any tyrannical usurpation."[5]

Thirdly, private and particular persons have no right to question how those came by their power that are in authority over them. For if that were once admitted, there would be no end of disputes in the world touching titles. It is ground enough for the submission of particular persons in things of political equity that those which have gotten the power are irresistible and able to force it if they refuse. For, as touching this case, saith the most excellent Grotius, "Private persons ought not to take upon them to meddle with these controversies in point of title, but rather to follow them that are in possession."[6] For all power is from God; and our Saviour told Pilate the power that he had was given him from above, though all the world knows that Pilate was but a deputy governor and, in a civil acceptation,[7] received his power from Caesar, who was an usurper. To this accords that of Bodinus, I, De repub., cap. 6, who saith that "all governments are lawful in respect of the first cause, viz., God; but on the other side, if we regard secondary causes, all governments have had their beginning and foundation upon force and violence."[8] Now since all commanding powers hold their supremacy from God, and that by the law of nations, they have a right to exercise their power over those whom they hold in possession. Therefore by the law of God, which damns resistance against those powers,[9] and by the same law of nations, they which refuse submission to those powers (be they just or unjust by the way of acquisition) may be justly deprived of their possessions and protection.

http://constitution.org/cmt/nedham/com_eng.htm

*****
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者、タイトル、URL,
閲覧日など必要な事項を必ず記し、剽窃行為のないように
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鳥(メモ)

鳥(メモ)

四十雀(シジュウカラ):
スピーチスピーチスピーチスピーチスピーチ
すきーすきーすきーすきーすきー
(近くで聞いたら下のほうだった。)

小綬鶏(コジュケイ):
ちょっとこいちょっとこいちょっとこいちょっとこいちょっとこい

雉鳩(キジバト):
ボーッボー、ボッボー

?:
ピッピッピッ、ピピピピピ
(ピピピピピは "aabbc" と音階が上がる。)


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Perkins, The Golden Chaine, ch. 57

ウィリアム・パーキンズ
『黄金の鎖:神学解説』
第57章より

極めて重要なのは、個々の人に与えられた予定を正しく、
二段階で実践することである。この二段階とは、まず
予定を正確に理解することであり、次にそれをきちんと
生きることである。

自分に与えられた予定は、以下の法則によって見極め、
理解することができる。

I. 選民のみが、天国に選ばれた人すべてが、いずれ
神が定めた時が来た時に、救い主によって永遠の命を
与えられる予定であることを確信でき、そして実際に
確信する。

II. 自分が天国に選ばれていることは、選びの第一の源、
つまり神様のご意志からではなく、これがもたらす結果
からわかる。この結果には二つのものがある。聖霊の
証言による確信、そして選ばれたがゆえに可能な数々の
おこないである。

IV. この聖霊による証言についてかたい確信をもてなくても、
人は天国に選ばれていることを聖霊がもたらす他のことがら
から判断できる。たとえば、炎そのものが見えなくても、
熱ければそこに火があることがわかるのと同じである。

V. 天国に選ばれた人がすることのうち、特に顕著なことは
以下のとおりである。

1. 自分の不完全さを感じ、神様に対して犯してしまった
すべての罪についてつらく悲しく思い、また嘆き悲しむこと。

2. 体の欲望に抵抗すること、つまり、神様の意に適わない
肉体的衝動を憎み、拒み、そしてそれらを重荷として、
面倒なものとして悲しむこと。

3. 神様の恩寵を、また救い主のご厚意により永遠の命を
得ることを、心から強く激しく乞い求めること。

4. 神様の恩寵が得られたときには、それがもっとも価値ある
宝石であると考えること。

5. 神様の言葉を伝える牧師のことを牧師であるがゆえに
愛すること。また、キリスト教徒をキリスト教徒であるが
ゆえに愛すること。またそれゆえに必要な時には彼らの
ために血を流すこと。

6. 心をこめて、涙を流しながら、神様に助けを求めること。

7. 救い主の再臨および最後の審判の日を望み、愛すること。
これにより罪に生きる日々が終わるのだから。

8. 罪を犯す機会をすべて避け、生まれ変わった生きかたが
できるよう真剣に努力すること。

9. 最後の息を引きとる時まで、以上のことを貫くこと。

……………

VI. 今のところ心のなかで以上のようなことを感じて
いなくても、すぐに自分が地獄落ちだと思いこんでは
ならない。むしろ神様の言葉をよく読み、かつ秘蹟に
与ることにより、救い主の力で自分が彼に引き寄せられる
ことを、救い主の苦難と死によって救われるという確信を、
心に感じられるよう努力すべきである。

VII. 誰かが地獄落ちであると勝手に決めつけてはならない。
なぜなら、しばしば神様はもっとも彼に嫌われていると
思われる人を、人から見ればもっとも彼に愛されている
人よりも先にご自分の王国に招き入れるからである。……

*****
William Perkins
From The Golden Chaine: Or,
The Description of Theology
Ch. 57

*****
救済の試験に合格するためのルーブリック。
人の考えることは今も昔もたいして変わっていない。

*****
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