悠々人生

気が多すぎて「時間破産」状態。もっとゆっくりとした人生が目標です。

食器洗い乾燥機の故障

2008-07-10 21:05:12 | Weblog
 食器洗い乾燥機から水が漏る。ホームセンターで部品を買って水道水を取り入れる接続部のパッキンを交換したがポタッ、ポタッ続く漏れは止まらない。漏電などということになったら怖い。仕方なく購入した販売店に連絡するとメーカーから担当者がやってきた。

 戸を開けて内部を確認すると同時に「随分詰まっていますね」という。でもどこが詰まっているのか分からない。彼は「ここを見てください」と指で指しながら説明してくれた。食器洗い機は水を循環させて洗浄をするのだが、循環する水の中に食べかすなどのゴミが入ってしまう。それが詰まり水がまわらなくなっていたらしい。

 噴射口についている樹脂を外し掃除してもらうと魚の骨が固まってでてくる。これが穴をふさいでいた。人間で言えば血管にコレステロールがたまり、血栓を起こしたようなものだ。

 樹脂は10個くらいある。全部掃除を済ませ試運転を開始すると水の循環音がシャーッと軽やかに聞こえるようになった。これで完治と思ったがまだ水は止まらない。血栓が他の箇所にも出来ているようだ。結局持ち帰っての修理となったが使い始めてからすでに4年。修理が高くつくようだったら買い替えを考えなければならない。

 2人だけの食器は大した量ではないから手洗いでもよいのだが、水の使用料は機械の方が少なくてすむ。ただ担当者の説明によると食事で使った食器類をそのまま機械で洗浄するのではなく、軽く水洗いしてから洗浄機に入れるのがよいという。家内に言うと「やっているけどね~」との話。使い方の工夫をしなければならないようだ。

 
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プロバイダーの紹介

2008-07-10 20:55:10 | Weblog
 防犯活動を一緒にしているIさんから「インターネットを始めたいんだけどどこが良い?」と聞かれた。話によると結婚したお嬢さんがアメリカに住むことになった。できればテレビ電話で話せるようにしたいという。

 パソコンは使っているがメール通信はNTTの電話回線を利用する「ピッポッパ」を使っていた。これではインターネットが使えない。CATVのひかり通信を選択肢として考えていた。

 私が3月に切り替えたOCNがADSLの料金も安いし、無料でつながるIP電話の提携先も多くて経済的だと思う。キャンペーンをしていれば当初の工事費も無料となる。ネットで調べると9月末までの申し込みなら0円となる。約2万円の工事費が掛かるCATVよりもはるかに優位だ。

 しかしアメリカとのテレビ電話のことは良く分からない。親切に教えてくれる方電話してみてとOCNのフリー電話を教えた。

 早速電話したIさん。親切に応対してくれたそうで、小網さんと同じ12MのADSLに決めたという。少なくともこれで防犯のOCN仲間とは電話代が無料となる。その説明をするとIさん、電話で話すことなんかほとんどないでしょう? そうだよね。

 数日後にはIさんもインターネットが使えるようになり、お嬢さんとのテレビ電話が開通する。

 
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難しいボランティア参加

2008-07-09 20:46:38 | Weblog
 3ヶ月前から朝のスクールガードに参加してくれているSさんが辞めたいという。理由は子ども達に「おはようございます」と大きな声を掛けるのだが、挨拶を返してこない子が多すぎる。一人の子に2度も3度も声をかけ、挨拶が返るように頑張ったがもう我慢が出来ない。忍耐と自己統制がないと続けられないと思うが自分には無理だと、いうもの。

 元気な挨拶が出来るかどうかは家庭の問題だと思っている。明るい円満な家庭の子とは今でも元気な挨拶を交わしている。そして実際に元気な子どもたちの方が多い。

 しかしSさんの言うことも良く分かる。スクールガードで安全を見守ってあげている―という考えが基本にあると、挨拶を交わせない子どもに不満を持つようになる。一生懸命にやりすぎるのだろう。ではどうしているか。

 私は「子ども達に元気を貰っている」と感謝する心で接することにしている。この考えはボランテイアで太極拳を教えてくれているK先生から学んだ。先生は1年間、毎週月曜日、木曜日に出てきて指導してくださる。祭日も夏休みも関係なく、そして小雨でももし誰かが出てきたら困ると気を使って公園に顔を出す。

 私達お手伝いをしている数名の幹事は用事があれば適当に休んでいるのに先生は皆勤。その先生の言葉が「元気を貰っている」である。

 子ども達の挨拶は家康が「鶯が泣くまで待つ」と対応したように、挨拶が出来るようにするにも時間を掛けなければならない。出来ない子供は多分家族間でも挨拶を交わしていないのだろう。私達の接する子ども達全員が明るい挨拶するようになる、それが家族間の習慣になってくれることを願っているのだ。

 私の主義はボランテイアでストレスをためるのならやめたほうが良いと考えている。人数が減って困るなどということは関係ない。続けるかどうかは本人の考え方次第だ。
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エッセイを書こう会!7月例会

2008-07-08 20:40:09 | Weblog
 エッセイを書こう会!の7月例会があり、いつものように各自の作品を合評した。私の「円熟した酒の好み」は私の飲酒の歴史を書いたもの。概ね好評だったがタイトルが大きすぎるとの指摘がある。逆に言えばタイトルに対して内容が貧弱だということになる。

 13名の会員の実力ははっきりと分かれており、先生の批評も会員の実力に合わせたものになる。同じことを書いても私なら褒めてくれるが、上級者には「この作者の実力としては平凡すぎる。可もなく不可もない」ということになる。

 今朝の読売新聞に檀ふみさんと阿川佐和子さんのエッセイに関する記事が出ている。共に作家の父親を持つ二人がそれぞれに父のエッセイを朗読したCDを出した。その記事に檀ふみさんは父親の檀一雄さんに「エッセイを書くんだったら一生懸命に書きなさい」 といわれたという。

 長年「一生懸命に書く」という意味が分からなかった。ところが父親の作品を声に出して読むうちに「一生懸命書くということは、一生懸命に生きなさい、恐れるな、ためらうな」ということだと思った。懸命に生きた自分を流し込めばいい文章になるんだと―」

 一方の阿川さん、阿川弘之さんの「食味風味録」を読んで、「いかに聞いた人の想像力を膨らませ、映像を浮かび上がらせるか」であり、例えば「鰻」では、鰻屋にすぐに飛び込みたくなるような、なんとも美味そうな印象を聞くものに与えるかだという。
 
 いつも先生に言われていることなので分かっているつもりだが、そこまで書く実力がない。美しい熟女の発言を機会に改めて”エッセイ”を考えてみたい。まず書き上げた作品を声を出して読む―ことは実行してみよう。 (7月8日付読売新聞朝刊を参考にしました)

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特別日課のスクールガード

2008-07-07 19:41:53 | Weblog
 下校していた2年生の女子が、気持ちが悪いといって歩道に座り込み、周りを同級生が取り囲んいた。普段からよく知っている明るい児童だが少し顔色が悪い。しかし熱はないし、脈もしっかりとしている。

 すぐ近くに消防署があるので救急車を頼むのは簡単だがかえって大事にしてしまいそうだ。本人が自宅にお母さんがいるというので携帯で電話をさせ、迎えに来てもらうことにした。15分~20分掛かるという話なので目標がはっきりとするので消防署で待つことにした。

 このとき一緒に下校していた同級生が「一緒についていないでいいですか?」というのに驚いた。「先に帰りなさい」と帰したが2年生の女児である。同じクラスだが家は近所ではない。1年半の学校生活で大きく成長している。

 消防署に事情を話し親が迎えに来るまで待たせてほしいと頼むと快く受け入れて(当然のことだが)、玄関奥のソファーを進めてくれた。消防署員も本人から話しを聞いてくれたが、症状に緊急度を感じないため救急車は利用しなかった。

 しばらくしてお母さんが見え、このまま病院に連れて行きますのでといって車に乗せていった。明日は元気に登校してくれるとよいのだが―。
 
 先週の金曜日から特別日課になり全校生が13:50の下校になった。いつものことだが同じ時間に終業すると6年生、5年生の上級生から帰ることになる。帰り支度の段取りが上手なのだ。一番遅いのは1年生。学年が違うと一緒に帰ることはほとんどない。

 この特別日課を続けている間に各学年とも保護者面談がある。そして18日は終業式。44日間の夏休みに入り我々のスクールガードも休みになる。
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「佐倉惣五郎と宗吾信仰」の講演会

2008-07-06 21:52:09 | Weblog
 坐禅会、ダーツの会を休んで悠々大学の講演会に出席した。悠々大学とはユーカリ地区を中心にした高齢者の会で毎月第一日曜日に勉強会を開いている。今回は聴講生として参加させてもらった。

 佐倉惣五郎(宗吾)は義に厚く、時の権力者である佐倉藩(堀田家)の圧政下、重税に抗し、民・百姓を救うために将軍家綱に直訴し、捕らわれて妻子ともども死罪となったという物語で有名。 

 佐倉惣五郎については平成15年度に佐倉国際文化大学で1年間勉強した時に、ゼミで「佐倉惣五郎事件の考察」のテーマでレポートをまとめた。史跡を歩いたり、国立劇場で歌舞伎の「惣五郎義民伝」をビデオ鑑賞するなど 10ヶ月にわたって足で調査をした。

 結論は史実として確定したものではない。しかしながら歌舞伎や浪曲、映画なので伝承されるだけではなく、神として祀られ信仰の対象になっていることも事実である。

 当然のことながら我々の研究の結論も伝承なのか、史実なのかの判断は出来ない、ということにした。今日の講演は地元で惣五郎事件を研究されている成田高校の教諭鏑木先生だった。鏑木先生は本日のテーマと同じ題名の本を出されているし、その後も研究を続けられているので新しい話が聞けるか楽しみにしていた。

 先生の見解は伝承では堀田氏を悪大名、惣五郎氏を民衆の味方としているが、事実は違う。堀田氏は善政を数多く行っている。惣五郎事件も当時の百姓一揆を抑えるための対策だったことが考えられるという。

 少なくとも歌舞伎で泣かせる甚平衛私は史実ではない。義民として崇め立てられるのだが、幕末、黒船、悪疫、飢饉、そして一揆の多発した時代背景を考えることも必要だ。

 義理人情の薄くなった現代にこそ、伝承であるとしても「佐倉惣五郎物語」を考える価値があるように思う。
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うなぎの産地偽装事件

2008-07-05 21:53:18 | Weblog
 中国産うなぎ蒲焼の産地偽装事件がマスコミを賑わしているが、不思議だと思うことがある。この偽装うなぎは消費者向けの市場に出回らなかったのだろうか。

 消費者が国産として買わされたうなぎが中国産だったとすれば、この偽装うなぎの流通ルートを発表しなければならないはず。それにしては偽装されたうなぎを市場から回収したという記事を見ない。

 悲しいことだが商売に関しては性善説が成り立たないようだ。儲かるなら法律違反でもなんでのやる、分からないようにやれば大丈夫という考えが横行しているようだ。偽装うなぎだけでも次々に発覚している。

 昔の話だが韓国から輸入した製品に原産地表示をしていなかった。税関で指摘され後付で表示することを条件に輸入を許可された。正直に倉庫業者に頼み原産地表示を付けたことがある。

 このときに同じ倉庫でやっていた仕事は、傘についている原産地表紙をハサミで切り取る作業だった。今ほど輸入品の多い時代ではなかったので日本品に見せかけていたのだ。その後、日本で生産した製品には”日本製””国産品”などの表示が義務付けられた。

 品こそ違うが原産地のごまかしは昔からやっていたこと。高いものは品質がよい、あるいは国産品は高いけど品質がよいという考えも通用しない。商品に原産地表示が出来ないものは何を信用したらよいのだろう? 輸入品と国産品の価格差が大きい商品ほど、これからも偽装は続くと思う。

 せめてその商品を扱った流通業者も含めて、もっと重い刑罰を科するしかないのだろう。
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尊敬する先輩の死

2008-07-04 19:14:02 | Weblog
 43年の長きにわたって公私共にお付き合いをしていただいたMさんが亡くなった。74歳とまだまだ若い。友人からの連絡で知ったのだがすでに葬儀は終わっている。社長で現役を引退されてから業界との関わりを一切絶っておられたので、近親者だけの葬儀はいかにもMさんらしい。

 私が26歳で営業所長として大阪に転勤した時からのお付き合い、お客様だが可愛がっていただき、翌年には私の結婚式にご招待するほどになった。しかし、Mさんの上司を招待しなかったため気を使われて欠席。このときに筋を通すことを教えられた。

 お祝いに頂いた湖畔の風景画は今でも我が家のリビングで安らぎを与えてくれている。Mさんは人柄のよい実力者でどんどん昇格され、社長在任も10年以上だったのではないだろうか。私が本社に戻って東京から出張するようになると会議中でも時間を調整してくださり、話を聞いていただくだけではなくいつも会社の近くのホテルで昼食をご馳走になった。

 その間高度成長時代もあったが順調に売り上げを伸ばしていただき、全社で一番のお客様になった。よき時代で毎月1回はゴルフをご一緒してきた。Mさんの会社の主催で、あるときはわが社の企画で北海道から鹿児島や沖縄のゴルフ場をご一緒したことを思い出す。実力は拮抗しており40年近くも続いた良きライバルだった。

 大阪市内に住んでおられるMさんは資産家で、遊んでいる広い土地を耕し野菜作りをされていた。私が家庭菜園を始めたのはMさんの影響だった。苗の植え時、肥料のやり方などを教わり、今につながっている。

 残念なのは6月20日に大阪へ行ったときにお会いしなかったこと。そのときの病状でお会いできなかったかも分からない。今回は葬儀で急に行ったため時間がなかったのだが、電話しなかったことが悔やまれる。

 元気でおられると思っていたので49日の法事で行くときにお会いできればと先延ばしにしてしまった。電話をして「時間がないので帰ります」では怒られるなどと考えたのが失敗だった。

 言葉では言い尽くせないほどお世話になったMさん、今はご冥福をお祈りするしかない。本当にお世話になりました。お礼を申し上げます。カラオケの最後にMさんのリードで合唱した「青春時代」を歌いながら―。   合掌

 


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ファーマーズ・カフェー

2008-07-03 21:41:01 | Weblog
 2時間草取りを続けたので腰が痛くなり一休みしようと思っている時に声が掛かった。ファーマーズ・カフェーの開店だ。椅子に座るだけでホッとしているからインスタントコーヒーでも最高に美味しい。

 しゃがんで草を抜いていると汗がメガネに流れてくる日もあるのだが、今日はカフェーでも風が気持ちよく通り、疲れた身体を癒してくれる。例によって近況報告が始まる。雨が多くトマトがほぼ全滅状態だと言う。

 折角実っても黒くなって落ちてしまうのだ。農家は雨の翌日には農薬をかけているが我々は一切使わない。その違いだろう。「農薬を使ってまで作りたくないからな―」Mさん。来年はビニールを被せるという。キュウリ、ナスとは作る難しさが全然違う。私の苗も小さな実を付け始めたが収穫は難しいだろう。

 苗を植えるのも早すぎるとの反省がある。昔はこの梅雨頃に種を蒔く、そして梅雨が明けた7月中旬に植え替える。そして収穫は8月。雨に当たることが少なく路地でも良いものが出来たという。

 今は苗の販売も早くなり五月の連休がピーク。2ヶ月くらい早いのだ。ビニールハウスで作ることが標準になっているのだろうか。7月に入ると苗はもう売っていない。

 草の多さには皆同じ悩みを持っている。「草は諦めないからね。動物なら叩いたり脅かしたりしたら寄り付かなくなるけどなあ」。毎年のことだがその生命力に感心する。野菜でも同じように生育の早いものがある。一方で恩恵を受けているのだから文句は言っても仕方ないのだが―。

 それにしても3日間で述べ8時間の草取りをしたがまだ終わらない。あ~あ。

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東京の見学

2008-07-02 21:30:50 | Weblog
 おのぼりさんをしてきた。霞ヶ関に行くと警察の検問があちこちで行われており、交差点には必ず警察官が立っている。新聞やテレビで警備の強化されたことを見ていても佐倉にいる限りは関係がない。しかしさすが東京、サミットの開催日が近づいていることを肌で感じる。

 佐倉市文化大学OB会の東京見学バスツアーに参加した。まず110番を受け、指令を出す警視庁の通信司令室。続いて愛宕警察署の裏にある交通管制センター、そして日本航空の羽田整備工場を見学した。その中でも印象的なのは警視庁の通信司令室だ。20台の受信台があり絶えず2~3本の電話が掛かっている。もちろん部屋の中に入ることは出来ず2階のガラス窓からの見学。

 1日の平均5千件の110番が入るところなので18秒に1本の割りになる。受信台には3台のデイスプレーがのっており、電話を聞きながら手書き入力をし、同時に現場の地図を呼び出すことを一人でこなしている。

 受信と同時に各方面別の指令台にその情報が流れていく。まさにITの最先端を見る。停電したら、コンピューターがダウンしたらという心配をするが、地震対策を含めてそれぞれの対策は万全だという。

 9時からの見学で事件、事故のは少ない時間だと言うことだったが、それでも電話が途切れることはない。昼間の勤務は半分以上が定年退職したOBが担当していた。仕事を同時進行で進めるためのノウハウがあるのだろうと思う。

 ここで驚いたのは新宿などの盛り場に設置されたテレビカメラの映像が、大きな画面に映し出されていること。カメラアングルが動きアップで写すこともあり、個人の顔もはっきりと写っている。すごい時代だと思う。

 交通センターも同じように大きな画面を見ながらの仕事だが、通信司令室ほどの緊迫感はない。勉強になったのは、道路にある車両感知器のデータによって信号機の時間をコントロールしていること。部屋の2階にNHK他ラジオ局のスタジオがあり、この大画面を見ながら交通情報を放送している。

 ここでも驚きは首都高速道路の主要点はカメラで捕捉されていること。ちょうど羽田線でトラック同士の事故があったがその模様が画面に映し出されていた。

 日本航空の整備工場はさすがに大きい。767-200の大点検中だったが影の苦労を見た。最後はサッポロビールの船橋工場見学。ビール工場は装置産業なので1度見たら感激はないが、コース最後の試飲が楽しい。黒生、エビスを1杯ずついただく。出来立ては美味い。 
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