悠々人生

気が多すぎて「時間破産」状態。もっとゆっくりとした人生が目標です。

竹林で遭難!

2017-04-30 19:22:42 | Weblog
 しづの里会員Tさん宅の筍掘りに誘われて出かけました。現地集合の時間より早く着いたので一人で竹林に入り、筍を探し求めて歩き回りました。過去に何回か竹林に入っているのですが、最初の時に奥さんから迷子にならないでねと言われたのですが、甘く考えていました。

 何ヘクタールあるのかは分かりませんが広い竹林なのです。家から近いところには見つからないので、どんどん奥に入っていったのです。やや大きめのものを含めて5本の収穫をして戻り始めました。

 ところがだんだん竹が深くなり車を止めたTさん宅の方向が分からなくなってしまったのです。明るく日が差す方向へ進むのですが、細い竹に阻まれて進めません。グーグルのマップで現在地を見ても目標物がないので動けません。

 私が「ここにいます」と声を出し続け、Uさんに探しに入ってもらいました。入ったところから100メートルほど東に来てしまったのです。筍を探しながら下を向いて歩き回ったための失敗です。

 あとから来たUさんとは携帯電話で連絡を取っていたので、私が戻らないことを心配してくれていました。通路を探すためには筍を置いて歩けばよいのですが、今度はその置き場が分からなくなってしまいます。

 欲と二人連れですから重い筍とシャベルを持っての出口探しでしたが、結果として動き回らずに助けを求めたのは正解だったと思います。それにしてもUさんには迷惑を掛けました。

 恥ずかしい失敗でしたが反省は家屋の裏の竹林とは言え、やはり一人で入るのは止めるべきだということです。
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私の"みどりの日"

2017-04-29 19:15:55 | Weblog

何の野菜か分かりますか?左手前は4種類、玉ねぎも元気です

間引きしたジャガイモとネットを外したブロッコリー

 4月29日はみどりの日だと思っていたのですが、平成17年に昭和の日に替わっているのですね。今のみどりの日は5月4日だそうです。そんなことは別にして今日は私のみどりの日でした。

 8時半から畑に出かけました。昼食で戻りはしましたが実質6時間半の作業です。強い日差しでしたが適当な風があり、絶好の農作業日でした。半月ほど顔を出せなかったので、ほうれん草や小松菜が大きくなり過ぎているし、カブと大根、それにジャガイモの間引きも遅れています。

 しづの里の農業部の方に、畑をやるなら週に5日は顔を出さなければだめだと言われます。私は落第です。それでもそれぞれの間引きをしたほか、スナップエンドウに竹の支柱を付けたりブロッコリーのネット外し、里芋も植えました。

 ジャガイモは男爵を作っていますが順調に育っています。今までは1本立ちにしていたのですが一つが大きくなりすぎますので、今年は2本立て、3本立てにしてみました。そうすることで間引きが楽になるということもあります。

 畑をしている楽しみは何といっても新鮮な野菜を食べられることです。夕食はほうれん草と豚肉のしゃぶしゃぶ、それとカブの葉をちりめんと一緒に炒めると美味しいのです。かたいのではないかと心配だったほうれん草も、柔らかかったので助かりました。これも自家農園の取り立て特典でしょう。

 普段は3時間程度でやめておくのですが、遅れを挽回するために頑張りました。疲れはしましたが気持ちの良いものです。きゅうりとナスの移植、それに落花生の種まきが次の作業です。


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心配な犯罪の増加

2017-04-28 19:07:52 | Weblog
 昨日はさくら防犯パトロールネットワークの運営委員会でした。席上警察から1月~3月の犯罪発生状況について説明がありました。残念ながら14年連続で減少していた佐倉警察署管内の犯罪件数が増加しているのです。

 佐倉警察署は2市1町を担当していますが、市によって犯罪の種目は違います。八街市は前年比約50%の増加だと言われてネットワークの地域責任者はがっくりときていましたが、増えているのは自動車盗難、車上ねらい、自転車盗難なので、防犯カメラを付けるなどの対策が取りやすいのです。

 ところが佐倉市内は空き巣が21件で前年比3倍、忍び込みが14件と倍に増えており、それもほとんどが志津・ユーカリが丘地区で発生しているのです。このデータは第一四半期ですが、4月に入っても忍び込みが続いています。警察も検問を行うなど警戒はしてくれていますが、犯人を逮捕しない限りゼロにはなりません。

 警察で刑事部を担当した幹部の方が逮捕した犯人に聞いたところでは、犯罪がし難い街は住民が「こんにちは」と挨拶をしてくるところだそうです。住民同士の挨拶も日常的に行われているので、まさに”ご近助力”が強いと判断して犯行を思い止まるそうです。

 空き巣や忍び込みの犯罪者は必ず下見をすると言われていますので、この時に挨拶するのです。顔見知りでない人に対しても挨拶をする習慣をつけることが、一番の対策になるというのです。

 私たちもスクールガードのユニホームを着ているときは誰にでも気楽に挨拶できますし、挨拶も返ってきます。しかし普段はなかなかし難いものです。ユニホーム姿の時と違い、挨拶をしても知らん顔をされる人の多いことも理由です。

 しかし、まちを明るくするための挨拶ですし、経費も掛かりません。犯罪を減らすために挨拶運動を展開して犯罪減少に結び付けたいのです。まちを守る会の会議で提案してみます。
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嬉しい復興ニュース

2017-04-27 21:24:12 | Weblog
 27日付の読売新聞夕刊に「かさ上げ地 商業の要~陸前高田に大型施設が開業」という記事が載っていました。震災前に市内で営業していた店舗などが入る大型商業施設「アパッセたかた」が開業したそうです。

 飲食店や衣料店、ドラックストアーなど21店舗と市立図書館(7月に開館予定)が一体化した複合施設で、隣接地にできた「まちなか広場」には大型遊具が設置されて子どもたちの歓声が響いたそうです。

 少なくとも大手スーパー系ではなく地元の商店だということがうれしいのですが、19日に現地を見た限りでは、中心地のそのような施設は目に入りませんでした。12メートルほどかさ上げした台地がたくさん並んでいるのですが、山側の一つだと思います。事前に調べておくべきでした。

 ただ中心市街地49.6ヘクタールの地権者への意識調査では約65%は利用予定がなく、空洞化が心配されています。これからのまちづくりを期待するのですが、ぜひスピードアップして進めて欲しいものです。

 気仙沼では大島と結ぶ大橋の工事が進んでいます。先日NHK総合の「仕事の流儀」で「巨大クレーン船」で放送されました。東北地方最大の有人島ですが現在は船便しかありませんので、震災後20日間も孤立状態になってしまいました。そのために橋の開通は島民の悲願だそうです。

 この橋は現地で見たので完成していれば渡ってみたかったのですが、開通までにはもう少し時間が掛かるようです。一緒に旅をした西志津おやじの会の皆さんにも放送の情報を流したのですが、私は夜10時台の放送だったので録画はしたのですがまだ見ていません。

 復興は着実に進んでいますがマスコミの情報を上手に取り入れないと、現地に行っても肝心なところを見落としてきます。いずれにしても次の東北旅行が楽しみです。
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"復興計画"の難しさ

2017-04-26 19:53:20 | Weblog

余震を考えて避難路を考えておかなければいけないのです

海が見えなくなった堤防

この7万本の松林が流されたのです

陸前高田の市街地造成工事
 
気仙沼の復興住宅

 東北旅行の続きに戻ります。2日目は震災の翌年に訪れた陸前高田です。前回は全長何キロという巨大なコンベアベルトで土を運んでいました。そのコンベアベルトは撤去され10メートル以上の高台がいくつもそびえていますが、建物は何も立っていません。土木工事にまだ2年かかるそうですが全体像が見えないのです。

 ネットで復興計画を見ても理解しにくいのですが、それぞれの高台に市役所など行政の建物を建てる地域、住宅地、工場などに分かれるようです。道路をどのようにつなぐのかも分かりませんので、工事の進行を楽しみに待ちたいと思います。

 陸前高田と進め方が全然違うのは気仙沼です。魚市場が稼働しているので周辺には魚の加工工場もたくさん並んでいます。驚いたのは災害で大きな漁船が住宅地まで打ち上げられて話題になった地区に、5階建ての復興住宅が10棟ほど完成し、すでに入居しています。

 地元の人の話では土盛も2~3メートルしただけで住宅を建てたのは、万一同じ津波が来たら住宅の5階と屋上に避難することにするというのです。それで復興が早いのです。やはり働く場がなければ人は住めませんし、買い物もできないと困ります。

 それだけに災害に対しては現実的な対応で復旧のスピードを早くして、住民が戻りやすい環境を作っているのでしょう。素晴らしいと思います。これは宮城県の閖上地区にも言えることです。

 私たちも陸前高田では復興地区に店がないのです。仮設住宅の方へ行けば仮設商店もあるようですが国道はダンプカーが多く、交互通行で渋滞していることもあって行くことが出来なかったのです。

結局陸前高田では昼食もできませんでしたし、お土産も買っていません。気仙沼で魚料理やふかひれ入りのラーメンを食べたのです。海が目の前なのに高い堤防で海が見えないところもあります。防災と復旧のバランスについて考えさせられます。
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悔しい「忍び込み」事件の発生

2017-04-25 19:28:27 | Weblog
 残念ながら先週の月曜日に2丁目で忍び込み事件が3件発生してしまいました。同じ日に1丁目でも1件入られていますので、この夜は合計4件です。忍び込み犯は空き巣と違って家に人がいるときに侵入しますので、家人が目を覚まして顔を合わせてしまうと、傷害事件や殺人事件になる可能性がある怖い侵入犯罪です。

 今回は午前2時から6時半までの間に侵入されているのですが、朝まで気が付かずに怪我はありませんでした。それにしてもここ数年、町内の犯罪は自転車盗と車上ねらいだけでした。それも鍵のかけ忘れによるものだったので、対策の取りようがありました。

 この犯人はリビングや居間のガラスを焼き切って侵入したとのことなので、手の打ちようがありません。とりあえずは雨戸のついているところはしっかりと施錠をする、家の周りに照明をつける、プライバシーとは相反しますが家の中が外から見えるようにしておくこと、などでしょう。

 雨戸も外から閉める人がいます。家に入ってから鍵を掛ければよいのですが、それをしていないと言います。下見をする犯罪者はそれを見ているかも分からないのです。これから暑くなると窓を開けたまま寝る人もいますが、補助キーを使って人が入れないようにしなければならないのです。

 週に4回行っている防犯パトロールですが真夜中までは回れません。今回の事件とは関係ないのですが、今月初めに忍び込みの犯人が逮捕されています。やはり警察を頼りにしなければなりません。

 自治会の掲示板を使って町内に情報を流し、注意を喚起しました。

 *東北旅行の続きは明日投稿します。

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1年生と3年生の交通安全教室

2017-04-24 20:22:03 | Weblog
 小竹小学校の交通安全教室でした。千葉県交通安全推進隊に対して協力の要請が来たので、朝の見守りを一緒にしているまちづくり協議会の方々にも参加してもらいました。教室は警察官が先生で1年生が交通ルールと横断歩道の渡り方、3年生は同じく交通ルールと自転車の安全な乗り方を実際に乗って学びます。

 1年生の学習には保護者の方が7~8人見えていました。見学しているという感じでしたができたら子どもと一緒に話を聞き、横断歩道も一緒に歩いてもらったらよいと思うのです。もっとも平日では保護者の参加はあまり見込めませんので、参加しやすいまちづくり協議会のキャンプや餅つき大会など、土日の行事の時に行うことも考えてみます。

 登校時には横断歩道の手前でいったん止まらせますが、車にも止まってもらうので、指導されるように安全確認のために右を見て左を見る、そしてもう一度右を見る時間の余裕はありません。

しかし基本をしっかりと覚えて、放課後に遊びや習い事など1人で歩くときは守って欲しいのです。でもそんな使い分けが子どもたちにできるでしょうか?やはり通学時にも基本を徹底させなければならないのではないか、悩むところです。

 自転車も後方を確認してから漕ぎ出す、その漕ぎ出しは右足からで、左足は地面につけておくのは転んだ時に自動車にはねられないためだということが理解できたかどうか?漕ぎ出すときのペダルの位置が悪いのでフラフラしてしまう児童の多いのが心配です。

 子どもたちと一緒にしっかりとルールを守って、これからも無事故記録を続けます。

 *東北旅行のレポートはお休みしました。
 

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うれしい前向きな経営者

2017-04-23 19:42:35 | Weblog
 帰ってきてから資料で閖上に朝市の始まっていることを知った。その内容は「震災の津波で甚大な被害を受け更地になった閖上に、カナダ政府から寄贈されたカナダ産の木材でメイプル館を建築した」。

 「その中の水産棟を中心に朝市が行われている。朝市は被災地の中で本格的な建物として最初に営業を始めた施設で、海辺に最も近く危険な場所であるにも関わらず元の場所に戻り、地元の人たちに復興への道の一つを示すものになっている」そうです。現地では知らなかったので寄ることが出来なかった。

 ただ慰霊碑の近くで稼働していたちりめん工場の売店に寄った。お客がいないので呼び鈴を押して工場から担当者を呼ぶのだが、出てきたのが経営者の奥さんだった。震災前は浪江町で工場を経営していたが、浪江町に立ち入りできなくなったので誘致を受けて閖上に工場を立てたという。

 浪江町にも魚市場の建設が進んでいるので、親の代から仕事をしていた故郷なので完成したら工場を作るという。ただ閖上の工場も借金をして建てたので移転はできない。小さなものになるけれど、代々お世話になった浪江町にお返しをしなければならないと言っていた。

 浪江町の放射能については、子どもも高校生になったので全然心配していないという。まだ漁船が震災前の数に戻っていないが市場が出来て、魚の加工工場もできるようになれば浪江町に戻る人も増えるだろう。皆が気の良い奥さんの前向きな考えに感動し、お土産を買い増した。

 この日の宿泊は宮城県の山に入った栗原町の花山温泉・温湯山荘だったが、ここでも地震の被害で建物の損傷が大きかったという。岩魚や山菜の料理がうれしかった。
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悲劇の五叉路交差点「閖上地区」

2017-04-22 18:56:34 | Weblog

仮設商店街
 
慰霊塔 塔の高さは津波の8.4メートルを示す

 浪江の町役場横に町が建物を建てて賃貸する復興商店街で昼食の後、名取市の閖上へ。
インターから閖上中学校を目指したがカーナビに従って走ると海から離れて内陸に向かう。おかしいと気が付きスマホの地図で見ると仮設中学校になっていた。

 改めて海岸に向かって走ったがその距離は10㎞ほどある。こんな遠いところまで通学するのは大変だと思ったのだが、よく考えてみたら今までの中学校区に人は住んでいない。避難した場所からなら5キロ以内程度なのだろう。

 戻って悲劇の五叉路に着き、当日事故でトラックが止まっていたという大橋に上るが、周囲は更地になり土盛の工事が進んでいて中学校、小学校、そして避難する出発点だった公民館の位置が分からない。

 工事が進む港のすぐ近くに日和山(高さ6メートルほどで津波の時は水没した)神社と道路を挟んで隣に立つ慰霊塔をお参りした。震災前は閖上地区の住民は5600人だったが、そのうち約600人と10人に1人が犠牲になった。

 閖上は海岸から5㎞ほど奥まで平地なこと、さらに五叉路近くの公民館で行われていた保育所の卒園式に参加していた人たちが車で避難した場所だ。そこが渋滞で身動きが出来なくなり、車ごと津波に飲み込まれてしまった。

 すぐ近くに中学校があったので徒歩で避難した人たちは助かったと言われている。悪い条件が重なったのだが、津波は来ないと思い込んでいた悲劇らしい。そんな中でも海岸に近くに漁業関係の工場が新築されていた。住宅は認められないが工場や店舗は平屋でも許されるのだろう。

 小学校中学校の一貫教育をする校舎の建築も始まっているので、万一大きな津波があったら避難場所にするようだ。仙台市、仙台空港も近い、災害がなければ恵まれた場所だけに早い復興が望まれる。

 それにしても現在の人口は震災前の約半分、2400人しかいない。浪江町とは条件が違うものの、新しい街が出来た時にどのくらい人が戻ってくるのだろう。心配だ。
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福島県浪江町

2017-04-21 19:55:44 | Weblog

 
震災後4度目の東北旅行第一日は、福島第1原子力発電所から4キロほどしか離れていない浪江町にしました。震災後も福島県の中通りや会津地区には行きましたが、3・11の翌日に全町民が避難させられた地区に入るのは初めてでした。

「まちのこし」がスローガンに復興の厳しさを感じました。私が日ごろ口にしているのは「まちづくり」や「まちおこし」です。そんな言葉ではこの町の再建はできないのです(6年間の空白は長すぎます)。

 浪江町も震度6強の地震で15メートルを超える津波に襲われ、全壊家屋は651戸(流失586戸、地震による倒壊65戸)、死者182名の被害(他に震災関連死400名)を受けています。さらに約1,000の事業所も被災したのですが、その後6年間の苦難は原発事故によるものです。 

 今年の4月1日に避難解除が出て帰宅できるようになった町の中心を歩いたのですが、ガソリンスタンドや各種商店はほとんど閉まったままです。銀行もJAが開いているだけで他の銀行は閉まったままで、復興商店街などやっと50の事業所が業務を始めただけです。

 町役場の係りの方から被害の状況と復興計画を聞くことが出来ました。震災前の人口は21,000人だったのですが避難している人たちからアンケートを取ると、戻りたいという人は4,000人弱しかいないのです。戻らないが11,000人、判断つかないという人が6,000人もいるのです。

 立派な民家が多いのですが、ほとんど人は住んでいません。復興を進めるためには戻って欲しいのですが、働く場所や学校がない、さらに医者も臨時の診療所しかない現状では戻りたくても戻れないでしょう。

 それでも沿岸部の土盛が進み、魚市場の建設も計画されています。漁船もまだ目標の1/4の25隻しか戻っていませんが、何とか町が生き延びて欲しい(まちのこし)と願っています。町内のあちこちに放射能を測定して表示していますが、いずれも0.1~0.3μ㏜と問題はありません。

 常磐高速道は全線開通していますし、JR常磐線も仙台まで通じました。住みやすい気候と言われる浜通りです。これからも原発の影響も大きく受けている福島県を応援していきます。

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