悠々人生

気が多すぎて「時間破産」状態。もっとゆっくりとした人生が目標です。

被災地応援旅行(4)

2012-05-31 21:13:36 | Weblog
 気仙沼市は市役所とその周辺の繁華街(だったと思う)地域を歩いた。津波の被害はあるのだが復興市場が立ち上げっておリ、しかも市役所の本館が津波の被害を受けていないのでホッとするが、それでも死者、行方不明者が1300人もいることを考えなければならない。


プレハブの復興商店街「南町紫市場」。飲食店が主。


震災前の商店は津波に流されたり、半壊しているところが多いので観光客の立ち寄るところは復興市場しかない。昼食のために(支援かも)観光バスも入るが、店が狭いので自由昼食で分散することになる。すし屋が多かった。他に飲み屋やスナックもあるから復旧、復興で現地に入っている人たちのオアシスになっているのだろう。


私が食事をした店は10人が座ったら一杯だった。店主は割烹の経営者だったが、この店主には失礼なことをした。元の店は半壊ぐらいだと思って話をしていたら「流されました」と言われる。言葉がなかった。でも忙しい中、避難した時の様子を写真を示しながら説明してくれた。写真の色紙にはテレビ局のスタッフが多かった。


神戸から来た人たちのメッセージ。高齢の店主は明るく応対され、僅かだが支払い時に「おつりは結構です」と言ったら、「それは困ります」とおつりを渡される。

 この店主には近くの住民140名とお寺に避難した時の住民の絆について、「日頃から顔見知りなので問題なく過ごせました」と話をしてくれた。明るく感謝する気持ちを話される東北人に感動した。
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被災地応援旅行(3)

2012-05-30 20:38:15 | Weblog
 内陸部の平泉から一般道を山越えして訪問したのが陸前高田市です。山を下っている坂道にプレハブの市役所仮庁舎がありました。私が着ているTシャツを販売している市の社会福祉協議会に寄って被災の状況をお聞きしたいところですが、土曜日でもあり遠慮しました。

 陸前高田市は人口24千人ですから今回訪問した3市の内では一番少ないのですが、市民の7%、1700人を超える方が亡くなっているのです。佐倉市の住民に置き換えてみるとその大きさが分かるのですが、宮ノ台を含むユーカリが丘地区の人たち全員が亡くなった計算になります。


3階建の屋上近くまで津波が来た市役所。全滅です。周囲には交番や郵便局の建物が廃墟となって残っています。交番の中には殉職した警察官の遺影が飾ってありました。


市役所の正面玄関です。写真を撮るのも躊躇しました。祭壇が設けられていますので私たち11名は黙祷しました。


陸前高田のシンボルになっている一本松。数千本の松並木だったそうです。葉が茶色くなっていましたので枯れてしまうようです。新聞によると2年間は寿命を維持するそうです。手前は津波が市内に向って逆流した川です。


住宅地だったところまで流され(家の土台が残っています)、そのまま残っている漁船です。「市民感情に配慮した写真撮影を…」という主旨のたて看板がありました。もちろん私たち人物を入れた記念写真は撮っていません。


高台にある国道の看板は残っていますが、建物は廃墟でした。

 陸前高田市は高台から市内の被害状況をひと目で見ることができるので、被災の大きさを別にして、悲惨さを一番強く感じました。
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被災地応援旅行(2)

2012-05-29 19:58:34 | Weblog
 最初に訪れた石巻市内です。市内地図を持っていなかったので、目の前が海だという以外市内のどの辺に位置しているのかが分かりません。ただ今は学校と病院の建物が残っているだけですが、ユーチューブなどで確認すると周辺は住宅地だったのです。
 


 瓦礫と化した小学校は裏山に接しているので108名の児童の内、約70%の74名が亡くなった大川小学校だと思いました。ところがぽつんと立っていた臨時のバス停で確認したところ門脇小学校でした。児童、教師全員が裏山に逃げて難を免れた学校です。

 3階の破損状態が激しいのです。そして黒く焦げているように見えます。仲間のMさんは流れてきた自動車が学校にぶつかって燃えたためだと言います。言われてみればそんな感じがします。それにしても児童は今どこの学校へ通っているのでしょう。家族ごと疎開しているのでしょうか。



 写真では分かりにくいでしょうが正面の小高い丘は瓦礫の山です。建物の瓦礫は片付けられて数箇所に集めてあるのです。何万トンあるのか分かりませんが半端な量ではありません。何とかして被災地以外で受け入れなければならないと思うのです。

 都道府県で受け入れを決めても反対する人たちがいます。福島県の瓦礫は別にして宮城、岩手では放射能は基準値以下と言われています。反対する人たちを被災地に呼んで見てもらったらどうでしょう。多分納得してくれるでしょう。



 廃車の山ですが普通の廃車置場と違ってナンバープレートが付いたままです。所有者が亡くなったり、県外に避難しているからでしょうか。持ち主の了解が取れないので廃車出来ないのではないかと思います。
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被災地応援旅行(1)

2012-05-28 20:03:37 | Weblog
 現場に立つことの大事さを改めて感じた3日間の旅でした。第1日の被災地訪問は石巻市です。海沿いの被害は甚大ですが、日本製紙の工場が復旧して操業を始めているので、部分的ですが生活臭を感じます。でもテレビで繰り返し放映していた津波の映像とは結びつきません。

 もっとも私たちはほんの一部の地域しか見ていません。今回訪ねた石巻市、気仙沼市、陸前高田市3市の中では石巻市が人口(152千人)も一番多いのですが、災害の死者数(3230人)、行方不明者数(507人)とも最高です。

 最初の計画で第2日は平泉の世界遺産を見学する予定でした。そのために中尊寺のすぐ近くにある国民宿舎に泊まりました。夕食後に部屋に集まり2次会をしましたが、被災地の状況がもう一つピンと来ないね、という話になりました。

 そこで朝食のときに平泉の見学をやめてもう少し被災地の様子を見てみたいという意見がでたのです。食後に全員で話し合い、11名中7名の賛成で陸前高田市と気仙沼市を訪ねることを決めました。予約のない平泉の見学だったのでスケジュール変更は問題ないのですが、平泉見学のためにカラー7ページの資料を作ってくれた、旅行幹事のSさんには申し訳ないことをしました。

 私も平泉は初めてなので計画段階では見学希望を押した一人なのですが、平泉はまだ見学するチャンスはあるでしょうが、被災地訪問はタイミングがあります。そこで私も予定変更に賛成しました。結果として正解だったと思っています。

 海に面した陸前高田市が市役所を囲む中心地が一面廃墟となっているのに衝撃を受けました。続いて同じような状況の中、復興商店街ができて観光客を集めている気仙沼市を見学することができたのです。この両市の状況は明日以降シリーズで投稿して行きます。

 復旧と復興の違いを考えさせられる旅でした。そして"復興"は言葉で言うような簡単なものではなく、20年、30年と長期の計画で考えなければならないことを知りました。
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東北応援旅行に出かけます

2012-05-25 05:45:33 | Weblog
 今日25日から27日(日曜日)まで宮城県、岩手県、福島県を旅してきます。ボランテイアの協力はできませんが、被災地で復興のために努力されている方々に「忘れていません、忘れません」の応援メッセージを贈ってきたいと思います。

 そのために26日、27日のブログをお休みします。
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佐倉ゆうゆうの里 その2

2012-05-24 20:37:54 | Weblog
 入居者の平均年齢は一般室が81.8歳、介護室が88.4歳、最高は106歳ですが残念ながら要介護5で寝たきりだそうです。施設にはアスレチックジムや温水プール、大浴場、中浴場などが揃っていますが利用料はいずれも管理費(一人入居の場合約6万円、夫婦の場合は9万6千円)に含まれています。

 自炊であれば月々の費用は管理費に水道代、給湯料が掛かるだけですから安いと言えます。大食堂の食事は1週間のメニューを見て食べたいときだけ申込むのですが、朝食410円、昼食660円、夕食870円と安く量、質とも満足するものでした。

 私たちも入居者と一緒の食事を頼みましたが、23日のメニューは和定食でした。長くなりますが内容を書きますと枝豆豆腐、出汁巻き玉子、高野豆腐、にんじん、南瓜、絹さや、ほうれん草の胡麻和え、サワラ、それに焼き穴子ご飯としじみの赤出汁、そして水饅頭とぶどうのデザートも付いていました。市中だったらランチ価格でも1000円以上になるでしょう。

 食堂の座席数から見ると自炊の人が半数近くいるようです。一般居室にはキッチンがついていますし、入居者の75%は女性ですから、ボケ防止のためにも調理をしているのでしょう。京成佐倉駅、JR佐倉駅には1日に数本、市内のスーパーにも買い物バスが出るそうです。もちろん無料です。

 至れり尽くせりですが、でも私だったら退屈してしまうでしょう。幸い今は友人にも恵まれていますし、楽しいサークル活動も続けられます。今の生活で満足ですが、持続させるためには夫婦お互いの協力、助け合いが必要だと強く感じました。

 老人ホームの宣伝になりましたが、老人ホームと聞くと暗いイメージがありました。でも資金さえあれば診療所も完備して安心できる、そして明るく前向きに生活する人たちがいる老人ホームのあることを知りました。

 
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佐倉ゆうゆうの里 その1

2012-05-23 20:49:26 | Weblog
 介護付有料老人ホームの「佐倉ゆうゆうの里」が企画した見学会に、家内の友人に連れられて参加してみました。東京からバスで参加した方が多く、地元からの私たち5名を加えて16名の参加でした。

 堀田の殿様の別邸で牧場だったところを約1万坪買って作った広い施設です。公開している堀田邸へ行く時はこの施設の中を通りますので、自然に囲まれた老人ホームのことは知っていました。しかし分譲型の老人ホームで、経済的に恵まれた方々の、しかも元気な高齢者を対象にした施設だと思い込んでいました。

 私は病気になったら別の介護施設に移らなければならないのだろうと思っていました。ところが違いました。マンションスタイルの一般室が280室あり350人が生活していますが、認知症などで介護が必要になったら100室ある介護室に移れるのです。

 脳疾患など病気のときも同じです。退院してからの生活で介護が必要になったら、一般室から介護室に移って、一生面倒を見てもらえるのです。素晴らしい施設ですがその分入居金が高額です。一番安いワンルームで3041万円です。夫婦で43.5平米の1LDKに入居するには4700万円の入居金が必要です。(夫婦用の一番多い部屋は52.2平米で5020万円)

 地価が下がっているので自宅を売っても買い替えでの入居はできません。私には無理ですが、でも素晴らしい老人ホームです。現在は満室なので申し込んでも1年近い待機になりますが、宝くじに当たったら入居したい施設です。


森の中の老人ホームはヨーロッパ風のレンガ作り


自然が豊かなセンター通り。道路の両サイドが老人ホームで
突き当りが堀田別邸
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節電

2012-05-22 19:48:12 | Weblog
 原子力発電所が停止しているので発電量が最大需要量を確保できないとして、関西電力などは節電要請をしている。発電量の40%を原発に頼っていた関西電力だから、3・11時の東京電力よりもきつい節電が必要ではないかと思っていたが意外と低い。

 私も昨年は思い切って節電した。その結果9月を除く6月から10月の4ヶ月の使用量は250kw/h前後だった。エアコンの使用も極力押さえた努力の成果は前年比25%減となり、2回の努力賞を貰った。ところがその緊張感は続かない。

 ムダな使い方をしているつもりはないのだけれど、今年1月からは毎月前年同月の実績を30~60kw/hも超えてしまう。原因は分からない。暖房は都市ガスなのでほとんど電気は使っていないし、夜も遅くまで照明具を点けているわけでもない。

 節電のことが頭から離れなかった震災後とは違って小さな無駄が増え、その積重ねで増えてしまったのだろう。今年の夏が一昨年のような猛暑だったら、昨年のようにエアコンなしの生活ができるか自信がない。

 私は原子力発電を廃止して再生可能エネルギーに置き換えるのは正しい選択だと思う。ただしそれにはそれなりの時間が必要ではないか。今すぐすべての原発を止めることには無理がある。現に原発の地元自治体で再稼動賛成を表明しているところもある。

 電気料金の値上げについてアナウンサーがインタビューするとほとんどの人が反対する。そのときに反対した人に原発との関連を聞いてみてほしい。反対する人は原発に依存している市町村や、電力の不足が企業の海外移転を促し、結果として空洞化を招いてしまうことなどをどう考えているのかを。

 何事にもリスクはつきもの。できる限りの安全性を確保した上でリスクがあっても受け入れなければならない時があるのではないか。節電努力だけでは解決しない。

 
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金環日食

2012-05-21 19:22:55 | Weblog
 
残念ながら佐倉市ユーカリが丘2丁目のわが家では金環日食を見ることができなかった。7時の時点では太陽もしっかりと顔を見せていたので、写真のようにリハーサル時ははっきりと太陽が写っていた。ところが金環日食が始まる時には雲が広がって、太陽は隠れてしまった。

 太極拳の例会で聞いたのだが、わが家から2km程離れた宮の杜公園で観測したHさんは「見えたよ、感動した」と言う。その後畑に行くとやはり西志津から来ているTさんも良く見えたという。

 私はダンボールで作った天体望遠鏡(?)を準備していた。長細い箱の一方のサイドに2㎜の穴をあけ、もう一方のサイドの横を切り開いて、底の部分に白い紙を張ったので太陽が5mm程の大きさできれいに写る。

 この方法が目にも優しいので作ってみたが、当然のことながら光が弱いと紙に写る太陽もボケてしまう。ひょっとするとわが家でも日食メガネで見たら、雲を通して太陽が見えたのかも知れない。

 ファーマーズ・カフェーでAさんから聞いたのだが、雲の高度は低いから少し離れたら太陽と雲の位置が変わるのだ、という。ちょっと離れただけで見えたり見えなかったりするのだからこの説が正しいのだろう。

 ということで、世紀の天体ショーを肉眼で見たのは雲が切れた8時頃に、終演近くの上部が少し欠けた太陽だけ。金環日食はテレビで眺めて終った。
 
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2012-05-20 21:01:40 | Weblog
 ダーツの会はNさんの車の乗せてもらって参加した。その車中でNさんが孫に手がかかると嘆いていた。土日は毎週のように家族でやってくると言う。でも孫は家に来てうるさいくらいのときが花だ。

 わが家では一番下の孫が中学生。近くに住んでいても部活で忙しくて、ほとんど顔を見せない。試験の前を除き土曜、日曜日も部活がある。平日も7時には朝錬が始まる。生徒もきついだろうが指導する先生も休みなしだから大変だ。

 Nさんは二人のお子さんがいてそれぞれ2人ずつの孫がいる。まだ幼稚園だが来年から小学校に上がる。両親とも仕事を持っているので、学校に上がると学童として預かってもらわなければならない。

 小竹小学校で見る限り希望すれば学童保育所に登録できると思うのだが、Nさんの孫は西志津小学校に入学すると言う。西志津小学校は児童数が1000人を超える市内で一番大きい学校だ。1学年が170名前後いるのだろう。

 最近は仕事を持っているお母さんが多いので、よほど大きな学童施設がないと希望者を収容できない。学校内に施設があるようだが希望する人を全員受け入れられる施設であって欲しい。

 それにしても40代、50代の保護者も大変な時代だ。人員削減で仕事量が増える上に給料カットされボーナスの支給なしというときもある。一番安定した収入があるのは年金生活者といわれる時代はやはりおかしい。

 今晩の会合でリーダーから夢を持った事業展開の話があった。若い人が夢を持てる街、仕事でも夢をもてる時代にしなければならないと思う。

 
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