悠々人生

気が多すぎて「時間破産」状態。もっとゆっくりとした人生が目標です。

大阪の百貨店競争

2009-10-31 21:44:53 | Weblog
         既存のビルに高層ビルを増築している阪急百貨店 

 2泊3日で有馬温泉と大阪を回った。話の順序が逆になるが2年ぶりの大阪でびっくりしたことをまず書きたい。大阪駅前周辺で大規模なビルの建築工事が進み、経済で大阪の地盤沈下と言われるのはなぜだろうと思うくらい活気がある。

 大阪駅は特に北側の旧JR西日本の本社、貨物線梅田駅の周辺が大きく変わっている。道路までつけ換わっており4車線の道路で、しかもバス路線のある道路まで新しいビルに塞がれて迂回している。

 どういう権利関係になっているのか不思議。今回驚いたのは写真のように駅南側にある阪急百貨店の本店増築工事だった。既存のビルに高層ビルを乗せている。従来のビルは昭和初期の建物ではないかと思うのだが、基礎工事はどうなっているのだろう。現在は1期工事で9階だったものに3階加えて12階まで使っている。

 さらに増築工事を進めている40階近い高層階の使い方は分からないが、さらに百貨店で使うフロアーもあるらしい。阪急百貨店と隣にある阪神百貨店は合併して現在は株式会社阪急阪神百貨店と称している。2012年に増築が完成すると阪急・阪神を合わせて日本一の売り場面積になるというから、さすが大阪といえるのだろう。

 この合併もまさかのものだった。百貨店だけではなく鉄道でも大阪―神戸線で競争関係にある両社。その2社が手を握るとは。それだけ生き残り競争が厳しいと言うことなのだろう。

 駅前ではJRの駅ビルにある大丸も増築をしている。毎月のように百貨店の売り上げ前年比マイナスで報道されている中での残り競争は熾烈だ。案内してくれた古い知人Tさんは共倒れにならなければ良いのが、と心配していたが、私も従来型の百貨店で生き残れるのか心配だ。

 もっともちょっと覗いた店内は、1階をメーンに地下1階、地下2階と3階を使った食料品売場はお客さんが一杯で、行列している売場もあった。ここでも売場改革をした百貨店1階の食料品売場には驚いた。
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核の廃絶 (29日、30日の2日分)

2009-10-29 08:19:56 | Weblog
 オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したことは成果を期待する、ということなのだろうが、現在でも核保有国の合計で2万発も持っている核を、どうやって廃絶できるのだろう。

 2万発でも米ソの冷戦時代に比べれば減ってはいる。当時は米ソの合計で7万発の核兵器を持っていたという。7万発を2万発に減らすことができたがゼロにするのは不可能だと思う。

 数が勝負ではなく核を持っている、あるいは核を持っているのではないかと思わせることに戦略的な優位性がある。北朝鮮、イランが核兵器を保有しようするのはある意味で当然のこと。日本が非核三原則といっていても世界の各国は違う。

 大体核兵器は数を持ったから優位とは言えないのではないだろうか。潜水艦に積み、核を搭載したB52航空機が常時飛んでいたことに意味がある。日本はアメリカの核の傘で守られることになっているが、アメリカが自国の本土が核の報復を受ける危険を冒してまで、日本を核で守ることはない―と言う考えがある。

 現在核を保有している国の合計数2万発の内訳はアメリカ9,400発、ロシア13,000発、イギリス185発、フランス300発、中国240発だといわれている。インドやパキスタンは数は少ないのだろうが保有国であることが軍事的な強みになっている。

 田母神さんお著書によると「ドイツもイタリアも核武装していないではないか、と言われる。しかし実はイタリア、ドイツ、ベルギー、トルコ、オランダの五カ国は、アメリカと核兵器を使う条約を結んでおり、ニュークリアシェアリング呼ばれるシステムになっている。この五カ国(NATO)の兵隊は、アメリカの核兵器を使う訓練を日常的に行っている。訓練をしておいて、ロシアなどの核保有国から、核の恫喝を受けた場合は、アメリカの核を使える」というものだそうです。日本の非核三原則とは基本的な考え方が違います。

 北朝鮮の核の脅威を抱える日本が今のままで良いのか、不安になるのだが―。
(田母神俊雄さん=元航空幕僚長、昨年10月末に解任された)
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防犯ネットワークの会議

2009-10-28 20:10:55 | Weblog
 佐倉市防犯ネットワークユーカリが丘地区のブロック会議だった。警察署、佐倉市の担当者を含めて28名の出席。私はネットワークの副事務局長としての出席。もっぱら聞き役に回る。

 ユーカリが丘交番担当地域の犯罪データについての説明が警察からあった。昨年同期に比べて忍び込み犯が増えている。忍び込みは家人に見つかった犯人が居直ると殺人や傷害事件に繋がるので、空き巣とは比較にならないほど危険だ。

 どんな手口が多いかという質問に、カラスを切って鍵を外す事犯が多いという。補助鍵の取り付けをPRすべきだろう。警察も防犯パトロールだけではなく住民に対する啓蒙を進めてほしいという。

 ただ防犯活動を担当する生活安全課と第一線の交番警察官の情報提供度が違いすぎる。交番の警察官は個人情報保護を建前に詳しい情報を出さない。被害者名は別にしても犯罪の内容は情報提供してほしいのだが―。

 自治会で防犯活動を行っているまちを守る会の認知度にも問題がありそうだ。犯罪被害者が警察に届けると共に、まちを守る会にも被害の状況を聞かせてもらえるようにならなければと思う。

 会議で防犯とは直接関係はない認知症老人の扱いが話題になる。自治会や防犯組織と認知症の方との付き合い方が難しい。長時間の行方不明は警察に捜索願を出せるが、短時間、それも近所で度々どこに行ったか分からなくなる様な人の家族から相談されることがあるという。

 それもほとんどが独居の方で、子どもなどの家族はいるが同居はしていない。それぞれ同居できない理由があるらしい。我々の自治会でも災害時の要援護者登録をしているが、認知症で届けの手続きが出来ない人もいるのではないか。

 いずれはわが身、自治会の防犯、防災活動は認知症対策も避けて通れないようだ。

 
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台風一過

2009-10-27 22:19:20 | Weblog
 台風20号は大雨を降らせたものの予想進路よりも南側を通過したため、風の被害もほとんどなかった。朝から台風一過の快晴となり、児童の登校も音楽部の練習を含めて平常通りとなった。

 台風で一番心配したのは畑の道具入れ。前回の台風で筒ごと倒れて中が水浸しになってしまった。重石を乗せて置くのを忘れている。気がついたときは真っ暗でしかも雨。飛ばないように祈るしかない。

 昼から畑に行って駐車場から道具入れをみると異常はない。ホッとする。ただブロッコリー、インゲンが倒れているので土もリと支柱で保護する。白菜、キャベツは元気だがアオムシとヤトウムシに食われて葉が穴だらけだ。

 午前中はエッセイの「ゆうかり」9号の製本作業を行った。年に2回製本をしているので段取りも良くなり、特の役割分担をしなくても自然と流れ作業が出来る。大体自分の得意な作業も決まっているようだ。

 私は31枚、62ページのホッチキス止め。コーナーを揃えてホッチキスで止めるのだが、こんな簡単な作業でもコツがいる。ずれたりホッチキス間が浮いたりする。とはいえ、手打ちそばやうどんと同じで、本を手にした人に手作りということが分かってもらうのも良いではないか、と開き直ってしまえば気は楽だ。

 所要時間も回を重ねるごとに短縮しており、当初は3時間でも足りなかったのが、今では2時間で出来る。作業は朝9時から始めるのだが女性が多い会員の中にはスタートが早すぎると言う声がある。次回からは30分遅らせても大丈夫だろう。

 次の10号は特別号にするべく企画を検討中。大きな区切りだろう。
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新たな学年閉鎖

2009-10-26 19:12:32 | Weblog
 学校から1年生の2クラスを明日から29日までの3日間学年閉鎖することになった、との連絡が入る。5年、6年生の閉鎖が解除になり、心配した6年生の修学旅行も新たな患者の発生はなく終息していただけに残念。今日は1時間繰り上げて1時に下校となったが、元気な1年生は我関せず。

 寒さや濡れることなど全然気にせず、いつものように歩道に出来た水溜りにスニーカーで入り、蹴ったりバシャバシャさせて掛け合っている。靴だけではなくズボンまで濡らしても平気。元気そのものだ。

 登校のときからマスク姿が増えていた。ほとんどは予防のためのマスクだろうが、いつも元気に挨拶する児童で顔の見えない子がいる。仲良し二人組みで登下校とも一緒に行動する3年生のM君に「O君は?」と聞くと「熱を出して休み」と言う。

 他にも3年生、2年生のYさん姉妹の姿が見えない。4人組の友達に聞くと「風邪で休み」だという。インフルエンザかどうかは分からないが、次は3年生の学級閉鎖かと思っていたほど。まだ他の学年にも広がりそうだ。ジワジワと新型インフルエンザは広がっている。

 昨日のジャズ演奏会でも咳をしている人がいた。風邪ではなくても咳をするとまわりから迷惑そうな目で見られる。それにしても咳をするマナーはまだ守られていない。困ったものだ。

 明日は台風20号の進路も心配しなければならないコースになってきた。学校からはメールで、「風雨が強い場合は親が状況を判断して登校時間を遅らせてほしい、遅刻扱いはしない」、とのメールが入る。

 音楽部の練習も中止するだろう。我々の見守り活動もいつもより30分程度遅らせても良いのでは―とのメールをメンバーに出した。

 

 
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ジャズinしづ

2009-10-25 20:28:50 | Weblog
 ユーカリフェスタの2日目は天気予報で雨となっていたが、昨日からの雨は朝で止みくもり空。演奏会へ行くため駅に向かって歩いていると、ちょうどフェスタの仮装パレードが始まった。

 若い人や子どもを中心にしたパレードは200人くらいいただろうか。目新しいデザインは少ないが貸衣装ではなく、それぞれが手作りで工夫しているのが良く分かる。駅前の国道から1キロほどを片側一方通行にしてのパレードは、フェスタの会場となっているサティの駐車場に向って行った。

 途中仮装の審査員をしている防犯ネットワークの知人らに挨拶をして一駅隣の市民音楽ホールへ。音楽ホールでは「ラテンをジャズで!」ジャズとラテンのコラボレーションと謳い、桝山りょう&ステイブルメイツの演奏会があった。

 志津公民館で活動していたジャズ研究会が発展して出来た、ジャズinしづコンサート実行委員会が年に1回主催する演奏会。公民館で活動していた時には市の補助金もあったらしいが、経費削減で今はそれもなし。完全な自主運営になっている。委員会に知っている人がいるので400人近い聴衆が入っていたのでホッとする。

 バンドのリーダー桝山りょうさんはユーカリの街でジャズ演奏つきレストランを経営している。普段は店での演奏はりょうさんのピアノだけだが、演奏会でバンドを組めるのはどういう仕組みになっているのだろう。スティブルメイツといってもこの顔合わせは滅多にないと思うのだが―。

 演奏は1部が南米ブラジル・ラテン、2部が中南米メキシコとカリブ海地域のラテンの構成だった。ラテンの明るいリズムで2時間15分の演奏をだったが、2部の方がエル・クンパンチェロ、ベサメ・ムーチョ、さらばジャマイカなど知っている曲が多く楽しめる。

 ラテンに使うバンディーロ、カバキーニョという楽器は初めて見たし聴くものだった。
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電気自動車

2009-10-24 20:01:40 | Weblog
 ユーカリフェスタ09のお祭りが今日、明日と行われる。商店街と開発デペロッパー山万の共同企画で行うものだが、今年の目玉はエコカー。ユーカリが丘の住民はエコ意識が高いのかプリウスを持っている人は多い。

 でも電気自動車を自家用として使っている家はまだないと思うのだが、山万は地区内に電気自動車の給電設備を5台ほど設置している。住宅を売るためのセールスポイントにしているのだろうが、当然利用者はない。



 今日は東京電力の電気自動車がデモストレーションで止まっていたが、四輪車のとして市販しているのは富士重工業「R1e」、三菱自動車の「iMiEV」の2車種しかないのではないか。それも軽自動車で400万円とか500万円ではとても手が出ない。

 今日から公開の始まった東京モータショーには日産自動車が「リーフ」を展示しているがその発売は来年後半の予定だという。価格は400万円を切りそうだがまだ高い。



 今日は写真の一人乗り四輪車、他に電動バイク「カルマート」、電動3輪「ファルコン」が並んでいた。
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ダストボックス(ゴミステーション)

2009-10-23 19:00:27 | Weblog
 
 自治会会報の記事その二つ目はどこの自治会でも悩ましいゴミ問題です。「ゴミは決められたルールで出してください。こぶし通り30-8のダストボックスには、度々、決められた種別以外のゴミが捨てられて当番が迷惑しています。他の地区の方が通りがかりに捨てていくことも考えられますが、少なくとも2丁目の方はルール違反がないようにお願いします。なお、不審な車が投棄する現場を見かけたときは、できれば車の番号を控えて置いてください。
 すべてのダストボックスで見受けることですが、掃除当番を忘れておられるのではないかと思うことがあります。ご自分の当番日を確認してください」。

 ゴミステーションの問題は厄介です。決められた地区の人だけが利用しているとは限らないからです。頭がいたいのは「燃えるゴミ」と決まっている日にプラスチック類や缶・ビン等を捨てる人がいることです。
 
 収集車は持って行きませんので、後に残されたままになるのです。当番は持ち帰ってそれぞれ決められたゴミの日に、改めて持ってこなければなりません。自治会の担当は環境係ですが、毎年類似の苦情で悩んでいます。

 今回はこぶし通りという歩道のある大通りですので通過車両が多いので、その車両が捨てて行った可能性大です。そこで写真のように大きく警告を張り出してくれました。市の曜日別ごみ収集一覧表を3つの壁に6枚張り出し、中央に「不法投棄厳禁」と書いてあります。環境B係担当Tさんの力作です。

 犯人が通りがかりの人だとしても、自治会の担当者でもない近くの住民では車のナンバーまでは控えられないでしょう。でも監視の目が厳しいことを感じて選別ルールを守ってくれれば良いのです。
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愛犬を抱いて車の運転

2009-10-22 20:11:30 | Weblog
 年に2回発行する自治会会報の後期分を今月中旬に発行しました。6ページ建てですが1ページ分の余裕があったので、会員からクレームとして聞いていることを2件取り上げました。

 一つは次の記事です。 
「危ないと思うので一言。2丁目の方で愛犬をひざの上に乗せて車を運転している人を見かけます。
携帯電話で話しをしたり、メールを読んだり入力しながら車を運転する事は、法律で禁じられています。愛犬を抱いての運転が法律違反かどうかは私も分かりません。でも運転中に動いたらよそ見をする原因になるでしょう。見ていてとても危険だと思います。事故を起こしてからでは遅いのです。止めてください」。

 同じ町内に住む顔見知りのAさんから2ヶ月ほど前に話があり、回覧板で回して注意ほしいというのです。具体的に誰が、と言う話は聞いていませんが思い当たる人が二人います。

 その二人は私もよく知っている人なので、できればこのようなことは回覧で回したくありません。機会があったらそれとなく注意しようかなと思っていました。たまたま会報にスペースが取れたので載せたのですが、この話には後日談がありました。

 思い浮かべていた二人のうちの一人から電話がありました。「これは私のことなんだ」、彼の話によると匿名の手紙も届けられていたそうです。記事とほぼ同じ内容で、さらに高齢化すると動体視力も落ちるので危険度が増します。

 ゆっくりと走るので後ろに続く車が迷惑しています、とも書いてあったそうです。彼は「私を知っている人なら直接注意してくれれば良いのにな~」とぼやきながら反省しています。手紙で忠告―私には抵抗があります。同じ自治会員同士ですから、出来れば顔を見て注意してほしいのですが。

 難しい話ですが犬や子どもを抱いて車を運転する姿は良く見かけます。中央通りを50㎞以上のスピードで犬を抱いて走っている時もあります。携帯電話よりも怖いと思っています。

 もう一つの話はまた明日。

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坂の町・佐倉

2009-10-21 19:51:50 | Weblog
 旧市内にある昔からの坂道に名前がついているが、それを観光用に活かしていないのだろうか?だとすれば観光用に売り出したら―と提案しようと思った。しかし調べてみたらすでにしっかりとした資料があった。

 佐倉市が発行した「佐倉ガイドブック」はA4版のカラー32ページの立派なもの。いつ貰ったかは覚えていないが、市役所か観光協会で配布していたのだろう。例によって積読。貰っても本文を読んでいない。

 そのガイドブックの中に、300年の時を超えて息づく風情「坂の町・佐倉を訪ねる」が載っている。巻頭に「佐倉は坂の町です。台地と台地に入り組んだ谷津からなる地形のため、どこへ出るにも必ずと言ってよいほど坂を通らなければならないのは今も昔も変わりません。近世初頭に佐倉城を建設するにあたり、この複雑な地形が取り入れられました」とある。

 そして佐倉・坂めぐりのタイトルで13本の坂道が紹介されいる。「総州佐倉御城府内之図」の引用に続き現代語で解説してある。例えばへび坂は「北堀ばた行きあたり、へび坂と言坂にて、坂かぎの手に曲がりである。坂の長さ二丁余、北下根曲輪へ出る」

 続いて「整備された馬出しの南西角から、鹿島橋方面へ続く坂です。連隊から出る下肥を角来方面へ運ぶ経路にあたり、『こやし坂』の異名もあったとされます」という具合。

 現在でもこの坂の上には連隊で使われていたトイレの跡が残っている。下肥が畑の貴重は肥料になっていた明治時代。急な坂を運ぶのは大変だっただろう。農民はこの肥料を争って確保したという話を聞いたことがある。

 他に「みそべやの坂」「杉坂」「七曲坂」「猿ヶ脇の坂」「くらやみ坂」などとそれぞれに名がついており、このうちいくつかの坂を歩いたことがあるので、説明を読みながらあの坂だと思い出すことが出来る。

 調べて良かった。提案!などと言ったら笑われるところだった。
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