廃鉱になってから50年を経過した軍艦島は8階建ての住居用ビルが立ち並んでいますが、老朽化に加え台風の影響を受けて荒廃が進み地震か爆撃の被害を受けたように見えます。
東京ドームの1.3倍という狭い島に5300人の人が住んでいたそうです。炭鉱は日本で一番深い地下1300mの海底での作業ですから暑さだけでも大変だったことは想像できます。交代で地上に上がってくると風呂に入るのですが埃まみれなので風呂を順番に3か所入ったそうです。
暑い海底での掘削作業ですから汚れはひどく、いちばん最初は服のまま入り積もった埃を落とす、次に服を脱いで体の埃を落とす、そして最後に普通の入浴になると言います。厳しい労働ではあったのですが賃金は高く、公務員の約3倍の収入だったので1964年の東京オリンピックの時のテレビ普及率は100%だったそうです。(東京や大阪は20~30%だった時代)
小さい島ですが幼稚園、小学校、中学校は8階建てのビルを使っていましたし、町にあるものはパチンコ屋などまで揃っていて、丘の上に神社もありました。見学コースは限られた一部だけですが、長崎市内には軍艦島デジタルミュージアムがあります。今回は欲張りすぎたスケジュールなので見学できませんでしたが、できれば一度観覧してみたいところです。
炭鉱の知識は何もありませんが軍艦島(端島)の世界遺産登録に際し、韓国から強制労働うんぬんの講義があったので関心を持っていました。確かに厳しい労働ですがその主体は日本人で三菱の経営で労働条件が良かったのですから、希望して働いていたと考えても良いのではないかと思います。