悠々人生

気が多すぎて「時間破産」状態。もっとゆっくりとした人生が目標です。

お詫び

2017-02-28 18:48:44 | Weblog
 ステイヤングの会で「小網さんはいつも元気ですね」と声を掛けられました。「いえいえ先々週はインフルエンザで苦しめられました」と答えると、「うちの旦那もインフルエンザなのよ。今年は周りの人でインフルエンザに罹る人が多い」と言います。

 私も自分でインフルエンザに罹ったので今はその辛さが分かります。でも普段病気の方の話を聞いても、健康目線なので本当の理解をしていなかったのです。私は1月のブログで、健康が何よりも大事であることを取り上げました。

 その文中で現在闘病中の方をイニシャルで取り上げたのですが私の配慮が足りなかったため、その方を特定できてしまうのという苦情をいただきました。確かに気遣いの足りない文章でした。

 ご迷惑をおかけした闘病中のご本人、ご家族、そして病状を心配されている友人の皆様方が、不快な思いを持たれる結果になり申し訳ありませんでした。当日のブログは削除ました。

 闘病中のお二人が一日も早く元気になられ、地域社会活動に復帰きされますようお祈りしてお詫びとさせていただきます。
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宅急便の遅配

2017-02-27 18:36:23 | Weblog
 ヤマト運輸の労働組合が増加を続ける宅急便に現場が追い付かないので、受付を制限するように会社に申し入れたそうです。会社も前向きに検討すると言っていますので、売り上げ第一主義を見直すことになるでしょう。

 実はつい最近私の体験で多分この影響ではないかと思うことがありました。ヤマト便のメール会員になっているので、前日に配達の確認メールが入っていたのです。発送先からも翌日の午前中配達と指定してあります。しかし午後になっても届きません。

 何か事故があったのかも分からないと考えて夜まで待ちましたが届きません。しかも何も言ってこないのでヤマト便の受付に電話をすると、すいません、営業所には届いているのですが、配達便には積んでいないと言います。

 重量のある印刷物なので夜遅く届けて貰っても困りますので、翌日の午前中配達を受け入れました。翌日は昼前に届いたのですが、持ってきた社員はこのいきさつを何も知りません。せめて「遅れてすいませんでした」の一言があると思ったのです。

 私からその社員に経緯を話すと「調べます」と言って帰ったのですが、その後も何も言ってきません。正確な配達時間を売り物にしている宅急便なので、その無責任さにあきれました。

 ヤマト運輸の羽田物流センターを見学しましたが送り状のバーコードの読み取る早さ、自動化されたコンベアの仕組みは目を見張るものがあります。究極の物流システムだと思いました。

 ただ集荷と配達は人の手を省けません。運送業界の人手不足を聞いているだけに対応できるのだろうか心配でした。私の遅配も「たまたま」だったのでしょうか?慢性化している心配があります。

 私は宅急便を頼りにしています。配達時間の信頼を失う前に、翌日配達で受け付ける量の上限を早急に決めて欲しいと思います。
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「君よ生きて」その2

2017-02-26 19:56:12 | Weblog
 昨日の音楽劇で考えさせられたことがあります。何とか舞鶴まで帰り故郷に戻ると、赤狩りと称して抑留されていた人たちを責める動きがあったのです。ソ連に洗脳されたというのが理由です。

 確かに戦後の混乱時には実際に洗脳を受けた人たちが、政治的な活動をしたこともあるのでしょう。しかし過酷な収容所生活をやっと生き延びた人たちには、そんな洗脳を受ける余裕はなかったのではないでしょうか。

 思い込みの怖さです。今の世の中ならSNSやSMSで流れる情報が多すぎて間違った考えを持つ人もいるでしょう。しかし戦後の昭和23年頃でもそんな思想がはびこったのですね。そして殺されてしまうのです。家族に会うために頑張り抜いて、やっと日本の土地を踏むことが出来たのですから、無念では済まされません。

 軍人はもし戦争で亡くなったら靖国神社に祀ってもらえることを心のよりどころにして戦ってきました。ソ連軍による強制労働の抑留生活で死亡した場合はどうなるのだろう、と心配もしていました。もちろん抑留者は祀られたと思いますが、帰国してから殺されたのでは対象にしてもらえないでしょう。

 この思い込みは時代を超えて人間の基本的な思想なのでしょう。トランプアメリカ大統領のイスラム人に対する施策を見ていると同じような思いにとらわれます。平和な日本で命が軽く扱われるようになっていますが、もっと大事に扱う世の中にしたいものです。

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音楽劇「君よ 生きて」

2017-02-25 23:33:08 | Weblog
 感動の音楽劇「君よ 生きて」でした。小竹小学校の卒業生Iさん、井野中学校の卒業式で「仰げば尊し」を歌った時の天使のような声に魅せられて、今回の公演を聞いてチケットをお願いしました。


第二次世界大戦で負けた後、ソ連軍によって日本人57万5千人がシベリアで抑留され、5万5千人が亡くなりました。まだ3万3千の方々の遺骨は帰国されないままだそうで、戦争は終わっていないともいえるのです。

生きて帰ってこられた方、日本に帰ることを願いながら飢えや寒さ、あるいは労働中の事故で亡くなった方々の帰国窓口になったのが舞鶴港です。私の先輩にも栄養不足で視力が落ち、ガラスの分厚い眼鏡をかけていた方がいましたが、当時を思い出したくないのかあまり話題にしてくれませんでした。

 物語は職場になじめないために仕事をやめ、恋人にも振られて当てのない旅を続ける主人公トモキが、亡くなったはずの祖祖父・善吉と出会い、時空を超えた旅へと誘われるのです。そしてシベリアの収容所でトモキは善吉をして生きることになります。

 戦後70年経ち日本がアメリカと戦ったことも知らない世代が増えているそうですが、今の日本はこの人たちの犠牲の上に成り立っていることを忘れてはいけないのです。シベリア抑留という固いテーマでしたが、”生きる”ことの意義、仲間同士が助け合う強さを考えさせられました。

 「先人たちの命のバトンをあなたの大切な誰かに繋いでください。という演出家のコメントです。両親があり、祖父母がある。さらに曾祖父母とつながる人たちがいて今の自分がいることを考えたら、命を粗末にはできません。

 今年は5月に鹿児島へ行って特攻隊の知覧記念館を見学することにしています。また新しい感動があるでしょうが、改めて国のために亡くなった方々に感謝したいと思います。

 それにしてもIさん。小竹小1年の時に「私恋しているの!」と言って私たちスクールガードを驚かせたり、6年生の時には仲良し3人組で毎日歌を歌いながら飛ぶようにして登校していた可愛い姿とは結び付きにくい、堂々とした素晴らしい演技に感動しました。

 小竹小学校の先生も見えていました。小学生高学年や中学生にぜひ見せてあげたい音楽劇です。舞台と客席が一体になった天王洲 銀河劇場の舞台演出、楽しい3時間でした。
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防犯団体とPTAの情報交換会

2017-02-24 19:07:27 | Weblog
 ユーカリが地区自主防犯団体の情報交換会でした。自主防犯団体と小中学校のPTA、それに警察、市役所からの出席者を加えると40名を超える大きな会議でした。主なテーマは地域の安全マップについてです。

 それぞれPTAに発言を求めましたが、校外指導部の方たちはほぼ1年任期なので詳しい実情が分かないので不発でした。それだけに通学路の交差点はスクランブルにして欲しいとか、通学時間の交通制限等の要望になります。

 警察の交通課の係長も出席しているのですが、元論色よい返答はできません。規制を担当している部署に話を伝えてもらうことが精一杯です。従来から機会があれば要望しているのですがなかなか実現しません。時間が掛かりますがあきらめないことが大事なのでしょう。

 ただ余計なことですが気になったのはスクランブル交差点と歩車分離式交差点では、斜め横断ができるかどうかの大きな違いがあると思うのです。しかし発言者は分かっていないようでした。警察からもはっきりとして説明はありませんでしたが、スクランブルの方が実現は難しいという話でした。

 小竹小学校の校外指導部役員も、安全マップについては詳しい取り組みが分からないようでした。小竹小では26年に今の6年生(当時は4年生)が現地を歩いて危険個所を拾い出しました。昨年の末にこの資料を土台にして、今の4年生が再調査をして立派な報告書を作っているのです。

 学校の地域学習室にこの時の地図が写真入りで掲示されています。補足発言で応援しようと思ったのですが、他の学校も同じように何も分かっていませんのでやめました。毎年代わるPTA役員にはより具体的な会議案内を出してあげないと対応できないでしょう。

 まちづくり協議会でも同じような場面が考えられますので、良い勉強をさせてもらいました。
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慣らされる怖さ

2017-02-23 19:01:36 | Weblog
 

 ICカードの利用で電車の乗降が便利になりました。券売機で乗車券を買う手間が省けるだけではなく改札口ではタッチするだけなので、瞬時に精算処理が終わり人の流れが滞らなくなっています。

 このICカードは一方で魔物です。ある鉄道関係の方の話ではパスモやスイカの利用が増えるとともに、東葉高速鉄道の利用客が増えたそうです。なぜでしょう?現金の支払いが伴わないので料金に対する感覚がマヒしたというか、慣らされてしまったのです。

 私も開業当時はとにかく高いので所要時間が少し長くなっても京成やJRなど他の交通機関を利用していました。券売機で乗車券を買わなく済むようになった代わりに、利用している区間の料金を意識しなくなってしまったのです。

 例えば勝田台から西船橋までの東葉高速は627円、ちょっと西船橋で歩きますが京成だと319円と約倍の料金です。どれだけの人がこの料金差を知って乗っているのでしょう。会社によっては通勤には東葉高速の利用を禁止しているところがあると聞きます。

 私はクレジットカードのオートチャージを利用していますので、残額が2千円を切ると自動的に3千円が補充されます。クレジットカードの請求を見て初めて使った額の多さに驚くのです。

 昨年の10月から12月は東京へ出る機会が多かったので11月分が6千円、1月分で3千円の請求です。そんなに乗ったかな?請求は遅れてきますのでどこに行ったか忘れていることがあります。

 そんなときに便利なので利用明細です。パスモが使える券売機にカードを入れて、「利用明細」のボタンを押すと写真の明細がすぐに出てきます。もちろんカードを落とし物にしたことはありませんので内容に間違いはないのですが、それにしても日本人の信用する度量はすごいものです。

 万一プログラムの間違いで料金が違っていても、分からないまま支払っているのです。IC全盛、IoTとますます利用範囲は広がりますが、たまにはちょっと疑問を持つことも必要ではないでしょうか?
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佐倉マラソンの観察員

2017-02-22 19:23:01 | Weblog
 今年も佐倉朝日健康マラソンにボランテイアの外観察員として参加します。コースの担当地点の案内が届きましたが、昨年までと同じところなのでホッとしています。というのは往路だけの地点なのでトップの選手が通過してから1時間半ほどで終わります。

 これが往復路だとランナーの見守りに5時間近くもかかるところがあるので大変です。私たちはコースの15㎞地点、ちょうど標識のある所を担当しているのですが、それでも朝7時過ぎに市役所で受け付けを終え、現地へ移動してから4時間ほど立っていなければなりません。

 3月の第4日曜日です(今年は26日)が春とはいえ寒い日が多いのです。雨が降ったらさらに大変です。今年がボランティアに参加して10年目ですが、嵐のような日もありました。ランナーはゼッケンが飛んでしまい正確な記録が取れなかったのです。

ランナーも大変ですが私たちもスタッフとして傘はさせません。薄いビニールのレインコートが支給されますが、寒さには耐えられないので自分の合羽を持参します。カイロを使った時もあるのです。

 児童の見守り時に子どもたちが続いて登校して来るときは寒さも感じませんし、雨も苦になりません。それと同じでランナーが通過しているときは大丈夫なのです。なんでもそうですが待っている時間の方が長いので、辛い思いしか記憶にないのかも分かりません。

 ペースメーカーはニッポンランナーズが担当しています。ステイヤングの会員はこのマラソン大会に参加しても10㎞のコースが限度でフルマラソンは走れませんが、コーチは3時間とか、3時間半と決められたペースで走ってきますので、手を振ったり声を掛けたりの楽しみがあります。

 今年も風の弱い晴天を願いながら、ランナーを応援します。
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ステイヤング15周年

2017-02-21 19:41:44 | Weblog
 1時間半、充実した体操を行い、健康のありがたさを改めて感じました。軽く走ってもストレッチをしても身体が軽いのです。ちょと熱っぽかったら怠け心が働いて、動く意欲がなくなってしまうのですから怖いものです。引きこもりにならないためには健康でなくてはなりません。

会場はコミュニティセンターのホールでしたが、相変わらず風が強いのでいつもより厚着をしていき、準備体操をしてから1枚脱いだのですが、それでもうっすらと汗をかきました。

 終了後に世話役の打ち合わせです。ユーカリ会場の総会日を4月の第1火曜日に決めました。今年は桜の開花が早い予想なので、それまで花が待ってくれているかどうか?楽しみです。

 このステイヤング会も今年は設立15周年を迎えます。スタートしたときのメンバーも10人ほどの人が続いていますが、皆さん元気です。週に1回の活動日だけではなく、自宅で毎日ストレッチをしている人、ウオーキングをしている人など健康維持に関心が深いのです。

 メンバーが多くなり例会に50名前後の人が集まるようになると、会員間の和を保つのが難しくなってきました。私たちも歳とともに名前も覚えられなくなったので、親近感が弱いということもあるのでしょう。

 10周年の記念行事はバーベキュー大会で盛り上がったのですが、新しい人が増えるとともに例会に参加する目的も違ってきましたので、ハイキングや親睦の食事会など家族的な行事がしにくくなっています。

 15周年はどうするか?悩ましい課題です。
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春二番?

2017-02-20 18:55:28 | Weblog
 朝は風がない穏やかな晴天だったのですが、午後は春二番と言っても良いくらいの強風でした。月曜日の2時45分下校は1年生だけです。学校を出たからすぐに通る調整池の横と4丁目の高層ビル街は、児童が風で足元をすくわれかねない危険な場所です。

 いつもは学校を出ると列がバラバラになり、最終地点につく頃は先頭と一番後ろで5分以上の差がついてしまうのです。風対策としてスクールガードが児童を囲むようにして帰ることにしました。そこで下校前に担任の先生から、2列に並んで帰るように注意してもらいました。

 並んで歩くこと、前との間隔を開けないことを強く言いながら歩いたこと、そして途中で脇道に分かれていく児童がいるので、最終の4丁目交差点まで静かにまとまって歩きました。児童にとっては遊びながら歩けない面白くない、辛い時間だったでしょうが、今日はやむをえません。

 それにしても風の強い日が例年以上の多のではないでしょうか。イオンタウンができてビル風がさらに強くなったように思います。高齢者の方が風に向かって歩くのは押し戻されてしまいなかなか進みません。道路の途中で一休みしている人も見かけます。

 こんな時は5分ほどの薬局に行くのにも車を使います。その車もドアを開けるときには、向きに気を付けないとド~ンと開いてしまい、隣の車のドアに傷をつけてしまいます。私は風の強いときにはイオンタウンの屋上駐車場に止めません。

 日の出が早くなり一日ごとに暖かさも増していますが、東大寺のお水取り明けまではまだ半月あります。もうしばらくの辛抱です。
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インフルエンザの予防

2017-02-19 19:36:11 | Weblog
 スナップエンドウの種をまくのが遅れています。インフルエンザの謹慎中も一番気になっていたので一番で畑へ行くと、うっすらと雪が積もっているのです。日差しで昼には消えましたが夜は寒かったのでしょう。

 相変わらず風の強い一日でした。先日の春一番で玉ねぎのビニールシートが飛ばされてしまったのではないかと心配していたのですが、養生が良かったのか今回は無事でほっとしました。

 帽子が飛ばされそうになる北風だったのでダウンの頭巾を立て、北風を背中で受けるようにして土起こしをしました。石灰をまいたので5日ほど待たなければなりませんが来週後半には種が蒔けます。

 この温度差と湿度の低いことが風邪の原因なのでしょう。いつも立て看板で健康の情報を書いてくれている整骨院が、今度は風邪を取り上げていました。予防策は3つ書かれていて一つは十分な睡眠と栄養をとること、二つ目は外出後の手洗いとうがいをすることとあります。

 これは実行しているかどうかは別にして、誰でも知っていることでしょう。私もしっかりと守っています。三つめは毎日の歩行で基礎体力と基礎筋力の確保とあります。これも毎朝の体操はしているのですが、ウオーキングは不足しているかも分かりません。

 毎朝40分ほどウオーキングをしている家内は多少風邪気味になりましたが、私のインフルエンザはうつりませんでした。もちろん私のインフルエンザの原因は分かりませんが、多分東京へ行った時の不注意でしょう。

 インフルエンザに罹った時の処置についても注意があります。熱を下げるために後頭部とおでこを冷やせ、とあります。私は解熱剤に頼ってしまいこれは思い浮かびませんでしたが、子どもの頃は水枕や氷嚢を使いました。原始的な療法に思いますが、基本はしっかりと押さえるようにしなければならないことを教えられました。
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