禅宗・臨済宗の名僧として、生涯自由な魂を持ち続けた一休和尚。トンチの名人として有名ですが、その一休さんの言葉に「門松や冥土の道の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」があります。
今年初めての坐禅会は45名の参加と盛会。住職の法話が「門松や…」だった。話の趣旨は今を大事にしてほしいと言うことで、年齢には関係ない。しかし高齢者にとっては切実なことだ。残りの人生を考えた生き方をしていかなければならない。
坐禅会後の茶礼会では参加者の一人ずつが順番に新年の抱負を言うことになっている。席順の関係で私は三番目。私の抱負は「前向きに生きるためには健康でありたい。その上で、お世話になった社会にささやかなお返しをしたい」である。
坐禅会の参加者は意外なことに若い人が多い。私たち古希を迎える年齢は少数でしかも最高齢者といえる。したがって抱負もバラエテイに富んでいる。若い男性は厳しい仕事との兼ね合い、中年の主婦は子育てに関することなどが目立ったが、やはり高年者は健康に対することが多い。
しかも前向きな人が多くボケ対策も兼ねて英語やイタリア語の学習に励んでいる人、月に3回のゴルフをノルマにして続けている人、仏教の勉強を始めている人など様々だ。人生の終点がいつなのかは分からないが、悔いのない毎日を過ごしたい。
余談=一休さんは後小松天皇の子。母の照子姫のお腹にいたころに、回りから妬まれ照子姫は宮中か追い出さて民家で生まれた。母の照子姫は一休さんの将来をお坊さんにと願い、一休さんが6歳の時に初代足利将軍・尊氏が建てた臨済宗の安国寺に預けられた。僧侶になった一休さんが亡くなるまでいた一休寺は京田辺市にある―、そうです。
今年初めての坐禅会は45名の参加と盛会。住職の法話が「門松や…」だった。話の趣旨は今を大事にしてほしいと言うことで、年齢には関係ない。しかし高齢者にとっては切実なことだ。残りの人生を考えた生き方をしていかなければならない。
坐禅会後の茶礼会では参加者の一人ずつが順番に新年の抱負を言うことになっている。席順の関係で私は三番目。私の抱負は「前向きに生きるためには健康でありたい。その上で、お世話になった社会にささやかなお返しをしたい」である。
坐禅会の参加者は意外なことに若い人が多い。私たち古希を迎える年齢は少数でしかも最高齢者といえる。したがって抱負もバラエテイに富んでいる。若い男性は厳しい仕事との兼ね合い、中年の主婦は子育てに関することなどが目立ったが、やはり高年者は健康に対することが多い。
しかも前向きな人が多くボケ対策も兼ねて英語やイタリア語の学習に励んでいる人、月に3回のゴルフをノルマにして続けている人、仏教の勉強を始めている人など様々だ。人生の終点がいつなのかは分からないが、悔いのない毎日を過ごしたい。
余談=一休さんは後小松天皇の子。母の照子姫のお腹にいたころに、回りから妬まれ照子姫は宮中か追い出さて民家で生まれた。母の照子姫は一休さんの将来をお坊さんにと願い、一休さんが6歳の時に初代足利将軍・尊氏が建てた臨済宗の安国寺に預けられた。僧侶になった一休さんが亡くなるまでいた一休寺は京田辺市にある―、そうです。
可愛らしいお花で私も気になったのでこちらをお借りしました。
2014年4月26日付ボタン満開のブログの後半に載せられている野の花は、
「クマガイソウ」ではないでしょうか?
なかなか珍しい花のようで、絶滅危惧U+2161類という分類になるようです。
詳細はURLを貼り付けておきます。
http://www.yasashi.info/ku_00020.htm