悠々人生

気が多すぎて「時間破産」状態。もっとゆっくりとした人生が目標です。

エッセイ「パークゴルフ」

2012-01-21 21:24:50 | エッセイ
 ゴルフをやめたのは肺の手術をしてからなので十年になる。途中五年ほど前にテニスを一緒にしていた仲間の旅行会で一回だけ回ったことがある。久しぶりのプレーなのに百を切るまあまあの成績だった。体力的にも自信はあるが、それでも復活しようとは思わなかった。

 自治会で三ヶ月に一度のコンペを開いている。昔宅配便で北海道から沖縄までゴルフクラブを送りながらコンペに参加していたことを知っている仲間たちからは、「なぜやらないの」と聞かれる。

 生意気な答えだと思うが「卒業したからね」というと、ほとんどの人は納得してくれる。実際は忙しいことも理由の一つだ。ゴルフコンペに参加するには朝の見守りを休まなければならない。一緒に朝の見守りをしている五人の人たちは誰もゴルフをやらない。いや会社員時代にはやっていたが、私と同じように退職とともに止めた人がほとんどだ。

 三月に一度くらいのゴルフ会なら朝の見守りを休んで参加することもできるが、一つのゴルフ会に参加すると、他のゴルフ会から誘われてどんどん広がってしまうのが怖い。ゴルフをするのを黙っていれば分からないのだが、そこがゴルフの面白さで、ついついどのコースをいくつで回ったなどと話をしてしまう。

 そんなときパークゴルフに誘われた。クラブは一本だけ使い、ボールはゴルフよりも大きいが、ゴルフのパターと同じような打ち方で良い。パークゴルフとグランドゴルフの違いは分からないが、パークゴルフはゴルフのルールに似ている。バンカーもあるしOBもある。そしてコース全体に芝が張ってあり、フュエアウエーとラフとの区別もある。公園などで行っているグランドゴルフとは違い、森に囲まれたコースはゴルフと同じような気分になる。

 都合がよいのはスタートの時間がゆっくりなので、朝の見守りを済ませてから参加できる。費用も安く会費無料の会員登録をするとプレー費は三十六ホールを回って九百円、それにクラブとボールを借りるレンタル料が三百円、合わせて千二百円と、プレー費の安いのが魅力だ。

 何よりも良かったのは朝の見守りをしている仲間たちが皆一緒に参加するようになったことだ。パークゴルフ場は三十六ホールを二時間半で回れるので、九時半のスタートでも十分に間に合う。毎回コースは混んでいてホールごとに待ち時間ができるが、それでも十二時には上がることができる。簡単な昼食をしながら表彰式をして解散。帰ってから午後のスクールガードにも参加できる。

 しかも二十人ほどのコンペなら予約をしなくても回れるので、雨が降りそうだったら中止になる。ゴルフコンペのように雨や強風の日までプレーをしたくない。

 コンペには四回参加したが平日なのにコースはいつもお客さんでいっぱいだ。ほとんどが高齢者に分類される六十五歳以上の人たちで、三分の一は女性。難しい練習をする必要はないし、靴も普段はいているスニーカーで良い。用具は上達すると自分のクラブが欲しくなるらしくマイクラブの人たちも多いが、ビギナーならレンタルで十分だ。上達してクラブとボールを買い揃えるとしても一万五千円程度で良いものがある。

 易しいとはいえコースの攻め方には頭を使う。コースを回る回数の差だと思うが私と同じくらいの年の女性に上手な人がいた。最初にコースを回ったときに、私たちの後ろの組で回ってきたのだが、ほとんどのホールをワンオンさせる。ホールは三十~八十メートルと短いのだが、ホールには適当な傾斜があるし、人為的にくぼみも作ってある。

 芝生を長めに伸ばしたラフに向かって強めに打ち、芝の長さで減速させてグリーンに乗せる。コースを知り尽くしているという感じだった。真似をするが、毎回芝(ラフ)の長さが違うので、スピードが変わり難しい。強弱まで読んでいるのだ。

 パー三十三のホールを四つ回るので百三十二打がパープレイだが、上位入賞するためにはアンダーで回らなければ望めない。上手な女性たちの戦略的な責め方を参考にして回ったので、四回目には十二アンダーの百二十で優勝した。ゴルフのパターと同じように流し込むのではなく、カチンとしっかり打たないと芝に負けてしまう。少しはゴルフの経験が生きているのだろう。
喜んでパトロール仲間にスコアーを話したら、その友人は百十以内で回るという。上には上がいるものだ。

 誰にでも気楽にできるパークゴルフ。それでも攻め方でスコアーに大きな差が出る。しばらく毎月一回の大会を楽しみながら、百十を切ることを目標に参加する。
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ラジオ体操

2011-07-12 20:30:35 | エッセイ
ラジオ体操

 毎朝軽快なリズムとリーダーの明るい元気な声に乗ってNHKのラジオ体操をしている。平日は児童の見守りに出かける前の五時ごろから始めるので、冬はまだ暗く雨戸も閉めたまま。ガラス戸に映る自分の姿を眺めながら行う。

 夜明けが早くなった四月からは雨戸を開けて庭のボタンや芝桜、つつじなどを見ながらの体操になるが、震災による節電のため、朝早く雨戸を開けるのだが気を使い、そっと音の出ないように引く。

 できれば庭に出て新鮮な空気を吸って行いたいが、朝早くても家の前は、上座公園に向かうウォーキングの人通りがあるので恥ずかしい。

 ラジオ体操の後、スクワット五十回を含めたストレッチを十五分ほど行う。畑の草取りで疲れていた腰の疲れも、三十分近い体操を終えると楽になるので、今は毎日欠かさずに取り組んでいる。

 ラジオ体操を始めたのはUさんに誘われたからである。井野長割遺跡近くの公園で毎日ラジオ体操の会を行っているUさんとは太極拳で一緒、畑も近い。Uさんは畑も熱心で、私には難しいごぼうや山芋も作っていて、時々ご相伴に預かる。

 私は公園の会に土曜、日曜だけ参加していた。Uさんが持ってきたラジオで六時半からの放送を聞きながら十分間の体操を行うが、周囲の住民から騒音と言われないように音量は絞っている。夏休みにこども会の体操会が会場近くの住民からうるさいと言われ、中止するような時代なので気を使う。

 放送はラジオ体操の歌から始まる。

  新しい朝がきた
  希望の朝だ
  喜びに胸を開き
  大空仰げ ……

 この歌を聞くと、健康で体操に参加できる喜びを感じ、「今日も頑張るぞ」と前向きになれる。ほとんどの人が歌の間、デンデン太鼓のように腰を回すスワイショーを続けたり、足踏みをするなど身体を動かしている。平日は高齢者がほとんどだが、土日はまだ現役と見受けられる熟年層も含めて、二十人前後の人が参加する。

 参加している女性の中には体操をするよりも仲間と話し合うのを楽しみにしている人もいるようだが、ラジオの指導者が「動かせる範囲で無理をしないように」と呼びかけているのだからそれでよいのだろう。ただせっかく早くから参加しているのだからもったいないとお節介心が動き出す。せめて背筋だけでも伸ばして体操をしたらよいと思うのだが。

 私は、多分自衛隊の朝礼で一緒に体操しても引けをとらず、もし北朝鮮のマスゲームで体操をするとしてもついていけそうな基本に忠実な体操をするようになったのは、毎週火曜日に行っている健康体操のステイヤング会に参加しているからだと思う。

 子どもの頃のラジオ体操会や会社の朝礼では、やらされていたという感じで、手足を形だけ動かしていた。ステイヤングはストレッチを主に行うが、どの筋肉を伸ばしているのか、強化しているのかなどを指導してくれる。特に筋肉を伸ばすのは気持ちが良い。

 ラジオ体操も普段の生活では使わない筋肉を動かすように組み合わされているので、同じように一つ一つの体操のねらいを考えながら体を動かすようになった。子どもや高齢者でも自分の体力に合わせてできるし、テレビでは椅子に座ってできる体操も指導している。

 易しい体操だが第一体操の二番のように両手を広げ、両膝を左右に広げる体操では膝が痛いときはスムースに曲がらない。体調のバロメーターでもある。

 “やらされていている”人たちも、指導者がきびきびしていると真剣に動くようになるもので、西志津で行われた夏の全国巡回ラジオ体操会ではリーダーがきびきびとした動きだったので、千人近く集まった人がきれいに揃った体操をした。

 冬の朝は寒いのでウオーキングをしてからの体操の会は血圧を心配した家内からストップがかかり、十一月の土日からは公園には出かけずに家で体操している。

 現役時代から週初めの月曜日の朝を大事にする習慣が身についている。私の伴奏は月曜日の番組を録音しているので「毎日が日曜日」ではなく「月曜日」である。
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「振り込め詐欺」

2011-04-27 19:30:49 | エッセイ
 振り込め詐欺

 社会福祉協議会のブロック会議で一緒になったOさんが、
「振り込め詐欺にあうところだった」
という。幸いに金銭の被害はなかったのだが、話を聞くと他人事ではない。

 Oさんは
「とにかく話が上手いんだよね。息子と言われ、信じてしまった」
私は、なぜ息子さんに電話を掛け直さなかったの?振り込め詐欺ではないか、と思わなかったの?と聞いたが、暗示をかけられてしまったのか、そんな疑問を抱く余裕はなかったという。

 内容は振り込み詐欺の原型ともいうべきもので、
「サラリーマン金融を借りていたが返済日に返せなかったので借り入れを繰り返した。そのために金利も含めて百三十八万五千円になってしまい、業者が弁護士を立てて返済を求めてきた。弁護士と貸金業者がお父さんのところへ集金に行くので払って欲しい」
というものだった。

 「電話を受ける家内のやり取りを聞いていると、息子の名前やお嫁さんの名前まで会話に含まれているんだ」
一緒に信じてしまったOさんが電話を代わって、
「金は持っていく。業者と弁護士、それに本人の三人で一緒に待つように」
と言い、場所を指定させた。

 翌日指定された新宿のアルタ前に夫婦で金を持って出かけたが、当然のことだが誰も現れない。ここで初めて詐欺だと気がついたOさん、息子さんにも電話して詐欺だったことを確認し、帰宅して佐倉警察署に連絡した。

 実質的な被害はなかったが警察から刑事が二人来て、二時間ほどことの顛末を聞かれた。息子さんやお嫁さんの名前を犯罪者がなぜ知っているのか、全部電話を受けた奥さんが会話の中でしゃべってしまったらしい。

 そんな話を聞いた三日後、防犯パトロールで一緒に活動しているHさんからも振り込め詐欺の話を聞いた。Hさんによると
「息子と名乗る男から、携帯電話の番号を変えたから」
と番号を連絡してきた。老人会の会長をやり、会合で振り込め詐欺に注意するよう話をしているHさん。おかしい、とピンときたので電話を切り、息子さんに確認の電話を入れると、息子さんは
「なに言ってんだよ」
と否定した。最初の受け答えで、これは無理だと犯罪者は判断したのだろう、その後電話はなかった、という。

 Hさんには、佐倉警察署から貰った振り込め詐欺防止のポスターを、集会所の室内に張ってもらったばかりだった。よく言われることだが、老人会や社協の催しに参加する高齢者は被害に遭う率が低いらしい。犯罪の情報を聞いていることや、相談できる人が身近にいることが役立っているのではないだろうか。
 
 佐倉警察署管内では振り込め詐欺の発生件数は減少しているが被害金額は増えて、二十二年も二億円を超える被害があった。警察は防犯に関係する会議や交通安全についての会合でも振り込め詐欺の注意を訴え、おかしいと思ったら一一〇番に通報して欲しいと言っているが、それでも被害に遭う人は絶えない。被害者はまじめな女性や高齢者に多いらしい。

 我が家も息子が名古屋にいる。ほとんど電話を掛けてくることはないので、もし同じような電話があったら久しぶり、と喜んでしまい、息子からだと信じてしまうかも分からない。

 防犯委員が詐欺に引っかかったのでは様にならないので、家内とはどんな話でも一度切って、携帯電話か固定電話に登録してある子どもの番号に自分で掛け直すこと、とにかく「おかしい」と疑うことにしようと話し合っている。

 今回の話は二件とも未遂に終わったが、近くで被害に遭い、人には話せないで苦しんでいる人もいるだろう。
防災と同じように万一のときは近所付き合いが生きる場面だ。警察には言いにくくても、近所の人には相談できる、そんな付き合いのある街にしたい。
 


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「高齢者には扱いにくいデジタル」

2011-04-26 19:42:56 | エッセイ
高齢者には扱いにくいデジタル

 地上テレビ放送のデジタル化。十分に満足する映像で映り楽しめるアナログテレビを、電波の有効活用のためという理由で買い換えなければならないのか、しかも費用は消費者負担である。そんな反発と、なんと言ってもテレビ機器を処分するのがもったいない。

 CAТV局の勧めでケーブルテレビの受信機(セット・トップ・ボックスといい、CATVの線とテレビとを繋ぐ機械)をデジタル用に交換し、ブラウン管のアナログテレビのままでも地上デジタル放送を受信するように準備をした。

 ところが友人宅や家電店で薄型の液晶テレビを見ると映像は数段きれいだ。画面が大きいと旅番組の風景や映画は、ブラウン管テレビとは比較にならない臨場感がある。家内も「買い換えようか」と言う。

 毎週週末になると大型家電店の大きな折り込み広告が、ここまで安くしているのにこれでも買わないか、という調子で迫ってくる。四十型ならエコポイントは旧型の下取りと共で二万六千円分もつく。

 わが家は地上デジタル波、BS、CS放送ともCATVで受信しているのだが、そのた
めに録画するのにいくつかの制約があるという。家電販売店で説明を聴いたが難しくて良く分からない。簡単に言えば家電販売店で売っている一般のブルーレイの録画機でもデジタルでは録画できず、アナログ画像になるという。

 すべての送信波をデジタルで録画するには、CATVが貸し出す専用の受信機と兼用の録画機を使うことだという。これだとリースで月に千八百九十円も掛かる。ちょっと待てよ。録画してまで何が見たいのだろう。家内と話しあった。昼間留守にしている時や、夜遅い時間に放映となる映画ではないか。でも映画は録画しただけの時間をかけて見ることになる。コマーシャルをカットして見ることもできるらしいが、ビデオテープの時にも「積読(つんどく)」が多かった。

 近い将来直接アンテナ受信や光ケーブル受信に変えることも考えているので、録画機はやめてテレビだけ買おう、買うのは亀山モデルをセールスポイントにしているシャープの製品に決めている。量販店のホームページを調べると店頭価格よりも安い。決断しすぐに申し込んだ。

 テレビは家電量販店の担当者が設置し調整してくれた。でも地上デジタルはCATVのリモコンを使うのと、テレビでのリモコンで選局するのとでは画質が違う。取扱説明書と首っ引きで設定をするがもう一つ満足する画像にならない。

 納得できないので購入店に電話をすると、折り返してメーカーから三日後に訪問すると連絡してきた。三日掛かることを詫びながらの電話は、さすが液晶のトップメーカーだと感心。来てくれた担当者は少し調整をした後、
「これはCATVさんの受信機を調整する必要があるようです。電話をして聞いてみてください」
という。

 CATVに聞くと、担当者はいとも簡単に「設定で直ります」と言い、電話で指示をしてくれた。画面を見ながら設定を進めると、なんとすべてのチャンネルがデジタル画像になり見違えるようにきれいになった。

 丁寧な受け答えする担当者に甘えてもう一つの不満をぶつけてみた。
「スイッチを入れるのにテレビとCATVのリモコンを二台使わなければならないし、放送チャネルを選ぶのはCATV用リモコン、音量の変更やいろいろな設定はテレビ用を使うのは不便だけど何とかならないの?」
この質問に対しても
「簡単な設定で一本化できます」
と言って、同じように電話で指示をしてくれた。

 解決したのだから文句はないのだが、何で毎月届く番組表などで契約者に説明しないのか、言わずにはいられない。CATVが貸し出す機器の設定だから家電量販店の担当者では分からないのだろう。担当者は
「皆さんに怒られます」
という。

 私は納得できなかったので質問し、電話の指示を聞きながら最良の設定にしたが、電話で聞いても設定できない人がいるだろう。

 今年はネットやメールの機能を搭載したテレビが発売されるという。正しい使い方が分からなければ宝の持ち腐れになる。

 屋根にアンテナを張らなくて済むなど、便利なはずのCATV回線を利用することが、かえって操作を難しくしたのでは話にならない。
優しい設定、説明をしなければ高齢者には扱えない。

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価値のある高齢者講習

2011-03-08 20:19:25 | エッセイ
 今日はエッセイを書こう会の3月例会だった。私の「価値のある高齢者講習」はまあまあまとまった作品との評価を受けた。ブログで書いたことが元になっているのですが、エッセイとしての作品もお読みいただければと、2000字の少々長い文章ですが掲載します。

*****************************************************************

 高齢者は免許の更新手続き前に教習所、自動車学校等で高齢者講習を受けることが義務付けられた、と公安委員会から案内がきた。三月の更新なのに六ヶ月も前に案内があるとは随分早い。

 まだ日にちは十分にあるので年を越したら予約しようとのんびりしていたが、パトロールの仲間で教習所へ勤めているWさんに話をすると、混んでいるのですぐに予約を取っておかないと誕生日に間に合わなくなってしまうよ、と教えてくれた。

 佐倉市内には一ヶ所しかない自動車学校に電話をすると年内は無理、一月六日なら午前中の予約が取れるという。まだ松の内なのにと思いながらも一月から三月は高校や大学を卒業する若者の免許講習が多くなり、高齢者講習の時間は減るとも聞いていたので、すぐに申し込んだ。

 当日の受講生は男女三名ずつの六名だけ。まだ余裕があるではないかと思ったが検査と講習が始まると人数を制限している理由が分かった。検査に時間が掛かるのだ。
 まず夜間視力の検査だった。夜間の運転はヘッドライトを上向きしないと見難くなった。雨が降るとさらに見えにくくなり、センターラインが見えないこともある。検査の結果は数値で身体の衰えを思い知らされる。

 昨年末に眼科で検査した視力は裸眼で一・二と一・〇だったが、初めて受けた夜間視力の数値は五回の平均でその半分以下の〇・四しかない。評価も悪い方から二番目の「やや劣っています」だ。もっとも三十歳から五十九歳の平均に比べての評価だから、高齢者としては平均的なのかも分からない。次の動体視力検査も判定はB。

 薄暮や雨の日の朝などは自分を守るためにも、他の人の安全のためにも早めのライト点灯が必要だと思うし、視力が落ちていることを自覚した運転をしなければと思う。
 
 自慢できるのは視野測定結果で、両眼の視野角度は百六十六度あり、担当者から「素晴らしいですね」と声をかけられた。子どもの視野は九十度だといわれるが、子ども返りで、年とともに狭まってくるために交差点での事故が増えるのだろう。

 これも初めての体験だが機械による模擬運転は、目の前の画面に映る映像を見ながらハンドル、アクセル、ブレーキ操作を行って反応を見る。ゲームセンターで遊んでいるような気分で楽しい。
 
 子どもにさせた方が上手だろうと言いながらも、数値を記録されるので皆真剣だ。流れる画面を見ながらアクセルを踏んで走っていると、駐車している車の陰から子どもが飛び出す。すぐに急ブレーキを踏む。その時間を測っている。

 私の平均時間は〇・四八秒で「正常な判断力を持っています」との評価だった。それでも時速四十キロメートルで走っていれば停止までに七メートル走ってしまう。路地から飛び出す子どもの自転車だと衝突していることになるので、生活道路では三十キロメートル以下で走ろうと思う。この検査だけでも受講した価値がある。

 受講者三名と指導員の四名が一組になってブルーバードでコース内を実車走行する講習は、まず十センチほどの高さの縁石の手前から発進し、乗り上げたらすぐにブレーキを踏む練習だった。
 
 最近高齢者の事故として多いアクセルペダルとブレーキペダルを踏み間違ってコンビニの店内に飛び込んだり、前進と後進のギアー操作を間違えて駐車場ビルから落下する事故を想定したものだろう。練習所だから良いものの、縁石を乗り越えて芝生を走ったわだちが残っている。指導員がついていたにしても怖い。

 さらに指導員の指示に従って運転し、車庫入れやクランクの走行などしながら十分ほどで交代した。心配していた車庫入れも上手くできたので、指導員の評価は「左折をするときはもう少し小回りで曲がってください。他は良好です」だったが、「若いときとは違うことを意識して運転して欲しい」とのアドバイス付きである。
 
 晴れて講習終了の証明書を受け取ったがこれを持っていっても高齢者のゴールド免許期間は三年に短縮されている。加齢とともに運転が下手になるということなのだろう。最後に指導員から「今日の検査結果は大事にとっておいてください。三年後の検査で比較すると運転能力の変化が分かります」と言われる。

 高いと思った五千八百円の費用を掛けた講習会は三時間も掛かったが有意義だった。

 公安委員会からのはがきには免許証返納の案内が載っている。運転技術に自信がなくなったら返納するつもりだが、それまで何回更新できるだろう。


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ボランティア

2010-12-17 20:55:30 | エッセイ
ボランティア

 数年前、佐倉マラソンの給水所を手伝ったとき「ボランテイアは食事、宿泊は自分で用意するのが原則」と教えられた。初めてのボランテイアらしい手伝いだったがこのときは昼食の用意をしていかなかった。近くにコンビニエンス店はない。困ったなと思っていたら、幸いにこの日は佐倉市からの弁当の支給があった。災害が発生したときに駆けつけるボランテイアの人たちの面倒を行政が見切れないのは当然だろう。
 
 このときの教訓をその後のボランテイア活動に生かしている。社会福祉協議会(以下社協)の福祉委員に選ばれたが、その活動はまさにボランテイア。一日がかりの研修に出かけても食事は自分持ち。年に二、三回おこなう飲み会も補助は一切なしの割り勘である。

 何かといえば会社の経費で負担していた会社勤め時代の感覚が完全に抜けていない恥ずかしさを思い知らされるのだが、個人の費用は原則として自分持ちという考えは、社協という団体が住民に理解されていないことにも起因するのだろう。
 
 自治会の役員から「社協とは何をしているの」と聞かれることがある。正直な話、私も福祉委員になるまでは社協の活動を理解していなかったが、今は
「一言で言えば社協は自治会の福祉部門を担当するところ」
と答える。

 自治会のように毎年役員が変わる組織に側面から協力することが必要だと思っている。広報誌の編集に参加して分かりやすく社協の活動を伝えているつもりだがまだまだ理解されていない。年間五百円の会費を負担してもらうのだが、「私は社協には世話にならない」と言って会費を払わない人が各町会で数パーセントいるらしい。そのために自治会によっては自治会費から一括して社協の会費を払うところもあるという。

 ユーカリが丘地区社協の場合は年間予算六百万円だがその半分は「敬老の集い」に割り振られており、ほとんどがお年寄り対策に使われている。若い人が税金でやるべき年寄り対策に金を払いたくないというのは理解できないでもないが、いつか対象になる可能性の高い高齢者の中にも支払い拒否者がいるのは残念だ。それだけに自治会と同じように経費の使い方には無駄のないように気を使わなければならない。
 
 その社協で今年からスマイルサービスと名づけたお手伝いのサービスを始めることになった。普段家でやっている仕事、やっていた仕事が高齢や病気、あるいは身体が不自由になったためにできなくなった時にお手伝いするシステムだ。

 この活動は有償である。サポーターと呼ぶ住民の協力者を募って行う作業なので、わずかだが作業費を支払うことを考えている。有償のボランテイアがあっても良いのではないか、ボランテイアについての私の定義を変えなければならない。

 スマイルサービスの仕組みは簡単で利用者の申し込みを受けたコーディネーターが、登録しているお手伝いの協力者(サポーター)を派遣するというもの。利用料は一時間六百円、そのうち五百円をサポーターに支払う。当然社協は赤字だが事務管理費は年間予算で対応する。

 十月のスタートを予定して準備会を重ねているが、有償に対する異論もでる。
「生活が苦しいので払えない人もいるので無料にすべきだ」
「ボランテイアなら無償が原則だ」
という。もっともな意見に聞こえるが、地区社協が担当する地域内約八千世帯でどのくらいの人が払えないというのだろう。もちろん根拠はない。
 
 十分ではないだろうが国の介護制度もある。その隙間のお手伝いだから多少の費用負担は許されると思うのだ。どうしてもお手伝いしなければならない生活困窮者がいるなら、民生委員や福祉委員が別に対策を考えればよいことだ。

 無料ではかえって頼みにくいし、サポーターに何か御礼をしなければとの気遣いも生まれるだろう。この場合は割り切ったほうがよいと思っている。それよりも類似のサービスを提供しているシルバー人財センターなどと競合しないように考えなければならない。

 庭の草取りや話し相手、あるいは電球の交換などの作業にサポーターとして参加できそうだが、いつ依頼する立場になるか分からない。お手伝いできるときにサポーターとして参加しておこうと思う。

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黄色いリボン

2010-07-19 19:58:06 | エッセイ
黄色いリボン

 前年度末に自治会が全家庭に黄色い紐を配布した。しかし使い方は何も決まっていない。引き継いだ私たち今年度の役員が防災委員会と話し合いながら活用方法を考えた。

 「黄色いリボン」を表示するのは千葉県北西部の地震が震度五強以上と報道された時、震度五以下でも防災無線や広報車から避難勧告、避難指示が発令された時、震度に関係なく自宅に倒壊の心配があり、個人的に避難する場合、余震が強く家にいるのが不安で避難所に移る時、そして訓練の時と具体的に決めた。

 これらの災害が発生した時に家族にケガ人などの異常がないことを知らせるため、自宅の敷地内で外から確認しやすいところに黄色いリボンを結んでもらうことにした。
出来るなら助けを求める人がリボンを結んだら良いのだが、家具の下敷きになって動けなくなったり、ショックで動けなくなった人たちにはそれが出来ないので、結んでいない人を助けるという仕組みになっている。

 九月末の防災訓練で表示のテストを行った。防災に関心はあっても自治会の活動に参加してくれるだろうか、三十%くらいが表示してくれれば第一回としては成功かと思っていたが、半分を超える家庭がリボンを結んでくれた。しかし考えてみると残りの半分の人が参加していないのだ。

 安否の一次確認はそれぞれの班長が行い、その報告を受けたブロック責任者が表示していない家を一軒ごとに訪ねて、無事を確認することになっている。責任者は五人。全世帯の半分二百五十数軒を短時間で回ることは出来ない。二次確認でブロック責任者がリボンの確認に訪ねても、関心のない人とは「うるさい」などとトラブルになることもあるだろう。今回は班長が確認して集計するだけで終わりにした。

 黄色いリボンの表示については「防災訓練の案内」に書き、さらに訓練一週間前にもう一度黄色いリボンの表示についてのお願いを回覧で回した。それでも防犯パトロールの時に、まちを守る会のメンバーから黄色いリボンはどんなときに使うのですかと質問される始末。回覧板では中々徹底しないようだ。

 我が家では玄関の内側にいつでも表示できるように結んであるのだが、今回も表示しなかった人に聞いてみると、リボンを貰わなかったとか、どこに仕舞ったか分からないという人がいた。そんなことを見込んで予備に百本用意したのだが、回覧で「お持ちでない方はどうぞ」と呼びかけても要求は十本程度しかなかった。

 関心が低いのだろう。確かに災害はいつ起こるかわからない。起きないかも分からない。それでも備えは必要だと思う。

 大災害の時には一一九番や一一〇番に通報しても消防も警察も対応できないといわれている。せめて三日間、住民同士の助け合いで生き延びることのできる体制を作りたい。幸い我々の防災訓練を見学した隣町の自治会が、黄色いリボンを導入したいので購入先を教えて欲しいといってきた。もちろん喜んで教えた。

 その自治会の訓練では八十%近い表示率で、ある班では九十五%だったと聞いた。すばらしい。意識を高めればそこまで出来るのだ。目標が出来た。その他の周辺自治会でも導入が広がっている。消防署と警察署にも制度について話を通し、いざというときには活用してもらおうとの話に進んできた。

 実際の災害の時には家が倒壊すればリボンの表示のあるなしとは関係なく、隣近所で助け合いをするだろう。自分の家の家具が大きく倒れていれば、隣はどうかと心配もすると思う。
大災害が発生した時には古い日本人の温かい心や情が生きて助け合いが行われると聞くので、訓練の結果を心配する事はないのだろう。それでも普段の隣近所の付き合いを深めるために約束事は守って欲しい。

 黄色いリボンを訓練以外で使うような事態にならないのが一番良いのだが、使わなければならなくなった時には全家庭が、安否を表すために表示してほしいし、合わせて映画「幸福の黄色いハンカチ」と同じように、会社や学校に出かけている家族が無事に帰宅するように願いをこめて表示してもらえればと願っている。

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米作り

2010-07-15 20:13:36 | エッセイ
米作り   (「ゆうかり10号」掲載作品)

 まだ田には穂を垂れた稲が三分の一ほど残しているが、授業時間の関係で児童の作業はそろそろ終ろうとした時に、リーダーの山崎さんが
「落ちている穂を拾ってください。十本でお茶碗一杯分になるから」と、田の中にいる人たちに声を掛けた。

 子ども達が切れの悪い小さな鎌で刈取った田には、落ち穂が一杯落ちている。折角一年間掛けて自然の恵みを体感する現場の授業をしたのだから、食物を無駄にしてはいけないことも教えたい。

 一緒に落ちている穂を拾い集めたが、黄金色に実った穂も地面に落ちると同じ色で、見分けがつきにくい。それでも一人ですぐに数十本の落ち穂を拾った。集めると三束もオダ掛けすることができた。

 小竹小学校の教頭先生から「地域の人たちの協力が得られるなら、子ども達にお米作りの体験をさせたい」という要望があり、社会福祉協議会のメンバーが協力する事になった。米作りは五年生の授業で行っているが、今までは児童が家から持ってきたバケツに五本ほどの苗を植えて育てていた。しかし夏休みの水の管理が悪いこともあり、ほとんど枯らしてしまった。

 専業ではないが米作りをしている福祉委員が農村地帯の小竹地区にいる。ブロック会議で声を掛けると山崎さんが手を上げた。家の前にある約一反の田んぼを借りられると言う。米作りは初めてという十数名の賛同者がでて米作りの準備が始まった。私は畑と両立できるのか不安だったので、参加の意思表示は躊躇していた。

 夏場の草取りが重なったら体力が続かない。それを言うと、山崎さんに「田んぼの草取りは畑ほどきつくないから」と言われ、またブロック長の保谷さんからもやや強引に勧められ、参加組みに入れられてしまった。

 五年生が米作り体験をした約二百五十坪の田は、二十年以上も休耕田になっていたのでセイタカアワダチソウが一面を覆っていた。作業は収穫時期から逆算して作業を始めなければならないので、まだ寒い二月から田作りが始まった。

 セイタカアワダチソウは根がきついので、山崎さんが耕運機を掛けても取り切れない。西側斜面の竹やぶから延びている竹の根も田んぼを侵食している。まだ四年生だった児童六十四名も参加して根を掘る作業から始めた。

 セイタカアワダチソウの根はスコップで掘って除き、竹の根は十セントほどに切って掘り出す。始める前は寒かったが、力仕事なので作業を続けているとちょうど良い温かさになる。田植えのときは子ども達が靴下で田に入るので怪我をさせては困ると、小さな切れ端も残さないように作業を進めた。

 四月に入ると種蒔きをした。消毒した培養土に富山県から取り寄せたコヒヒカリの籾。一粒が百倍の米に育つと言う。一ヵ月半で鮮やかな緑に育った苗を田に植え替える。五月でも日陰はまだ水が冷たい。裸足で田に入り「冷たい」と悲鳴を上げていた児童も、作業を重ねると慣れくる。

 汗をかきお茶を飲みながらの夏の草取りも数回行った。田んぼにはいつも水を張っているのではなく、根をしっかりと張らす時には水を抜くことも学んだ。PTAの役員と一緒に毎回参加していた校長先生は、この水を切る厳しさに感動し、子ども達にその意味を良く分からせたいと言われていた。

 その苦労が実って九月末には稲刈りを行い、三〇〇キログラムの収穫があった。
昔の田んぼのようにタニシやドジョウはいないが、子ども達は冬眠中のカエルを起こして捕まるなど、米を作るだけではなく自然観察をする事もできた。

 私が心配した草取りは意外に楽だった。参加したことで農家の方々と親しくなったこと、何よりも無農薬で、肥料も極力押さえた新米の美味さに出会えたことが米作りの大きな収穫だった。

 PTA役員のお母さんたちももちろん初めての体験。
「私の子どもは一年生ですが、五年生になったらぜひ米作り体験をさせたい。続けてください。お願いします」と言われ、毎年の行事として続けることが決まった。何歳まで一緒に作業出来るか分からないが、しばらくは毎年参加するつもりだ。
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