『北海道の稲作とそのルーツ』
2013.5.25 「第19回サイエンス・フォーラムinさっぽろーホットな科学の話題をやさしく・深く・おもしろくー」(講師:竹川昌和(北海道立道南農業試験場元場長) 札幌市中央図書館)
確認したいことがあり、久しぶりに専門家のお話を聞き、本を読むのも楽しいが、たまに講演を聴くのもいいなと感じた。
北海道における稲作の起源は、元禄5年(1692年)頃渡島国文月村(現北斗市文月)で、安政5年(1858年)琴似村、発寒村で米作りが行われたとの記録がある。それを道央圏に広めたのが、明治6年(1873年)月寒村島松で赤毛種の栽培に成功した中山久蔵であった。その後品種改良が行われ、タコ足式直播機の普及とともに、モミの穂に毛の無い坊主と呼ばれる品種が開発された。
1892年、道庁の酒匂常明財務部長は、道として始めて稲作奨励策を打ち出した。ちなみに、現在の生産量は64万トン、それを石高にすると426万石!
さて、稲作の起源は、これまでインドのアッサム地方から中国の雲南地域の一帯とされていたが、1980年代になって中国の長江中・下流域が定説化された。また、この国における稲作の開始もこれまで知られていたより古く、従って弥生時代の開始も歴史を遡る事になるということだ。学校で習った歴史が、新しい事実の発見で随分と変わっているのだなあと思う。
『農耕社会の成立 シリーズ日本古代史①』(石川日出志著 岩波新書 2010年刊)を参考にした。