晴走雨読

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『拉致対論』 その2

2009-09-11 20:21:02 | Weblog
 慌ただしい日々に追われ、東北小旅行から1ヶ月も経っていたのか。

 八戸と函館を結ぶ「スーパー白鳥」、新幹線が青森まで延びる来年12月からは、青森ー函館間になるのだろうか。



 『拉致対論』(蓮池透、太田昌国著)その2 

 第2章「拉致問題の起源と停滞する現状」より

 1977年から78年という時期に拉致事件が起きた理由のひとつに、1975.4.30にベトナムが社会主義勢力によって全面解放されたことがある。これを見て、金日正が「自分たちも朝鮮全土を解放できる」と考えるようになった。(太田)

 蓮池氏が重要なことを発言しているので以下引用する。

 「北朝鮮に制裁を加えれば拉致被害者が帰ってくるというのは、誰が証明したことなんでしょうか。」(蓮池)

 「安倍首相時代には、官房機密費の中から家族会と救う会へ多額のお金が渡されたという噂があります。」(蓮池)

 小泉訪朝で北朝鮮が、「拉致を認めて謝るというとことまでは、水面下で約束していたと想像します。」「拉致を認めることが国交正常化のために必要だということで妥協していたと思う。」

 「9.17の朝に知らされて、8人死亡で慌てたということになっていますが、そのわりには当日の対応が周到だった。」「北朝鮮との間で、「何人か死亡と出すぞ」「分かった。我々が家族を黙らせる」という話しをしていた可能性がある。」(蓮池)

 2004.5.22小泉の再度訪朝直後で、蓮池、地村の子ども5人が帰国、その直後家族会は小泉を非難、それ以後小泉は日朝交渉を進める気力を失った。(太田)







コメント (2)
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