公獣協ニュース(全国公営競馬獣医師協会の冊子)No516に、「症例報告の書き方」という翻訳記事が載っている。
Equine Veterinary Education 2019、31、620-623
Kentucky の超有名馬病院Rood and Riddle のMorresey先生によるもので、症例報告書き方について簡潔にまとめられている。
「症例報告においては、該当症例がなぜ報告に値するのか明確に述べ、読者に読む価値があることを示す必要がある。」
「症例やケースシリーズについて発表することは、新規性のある症例や、予想外の事象やアウトカム、確立された治療薬や治療方法に伴う副反応に関する臨床データについて広く発信する手段である。」
「臨床エビデンスとしてのレベルが最も低い研究デザインであるとの批判もあるが、新しく確認された疾患や治療法の基礎的報告として参考にされることも多い。」
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このEVEの記事には、数ヵ月後に厳しいコメントが寄せられた。
USA東部の超有名大学Cornell大学のRishniw先生からのものである。
「皆が同様の探査手法を用いて同様の結論に至るのだから、このような症例報告に教育的価値はほとんどない。」
「臨床家の日々の診療において指針となるような症例報告というのはほとんど存在しない。」
「症例報告の多くは、経験豊富な臨床家による専門分野を利用した自慢話であるか、若い臨床家が専門医取得に必要な論文要件を満たすために発表されているかのいずれかである。」
「症例報告は査読を付けずに、検索つきの検索可能なレポジトリに発表するので十分であり、学術的・学問的評価には値しないと考える。」
と手厳しく、口汚い。
おそらくRishniw先生は、臨床分野の先生でも研究を熱心にやっておられて、基礎実験やRCT ランダムコントロールトライアルこそが研究であり学問だと言いたいのだろう。
症例報告を、自分の研究と同じ価値のある研究活動だと評価するな、と言いたいのだろう。
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同じ号に、このコメントに対するMorresey先生のコメントも載っている。
「権威あるジャーナルにおいて症例報告欄は削除される傾向にある。これは症例報告の有用性が否定されたためではなく、ジャーナルを格上げするための戦略的措置が取られた結果である」
「臨床獣医学分野の読者層において、症例ベースの記事に対する大きな需要が存在していることを明確に示しており、臨床獣医師がその重要性を認知していることの表れでもある。需要のないところに供給はない。」
「多くの獣医学部では症例ベースの教育法が重要視されており、実際の臨床症例を題材とした課題が与えられ、実践に則した合併症や、臨床に伴う予測不能の事態への対処方法が問われる。査読を受けた上で発表される症例報告も、このプロセスの延長であるとは言えないだろうか?」
「しかしながら、Rinshniw氏自身が述べたように、疾患の原因や薬物の副作用に関する初期の報告や、臨床医学におけるパラダイムシフトを起こすような発見も、元を辿れば、基礎研究者ではなく心構えをもった臨床家によるたった一件の症例報告やケースシリーズに起因するのである。」
と、丁寧にコメント返ししておられる。
えらいな~、私ならキレて、もっと攻撃的な、相手を否定するようなコメントを書いてしまう。
さて、馬臨床家のみなさん、馬専門医としての二次診療をしているみなさん、症例報告の価値についてどう思われますか?
私は残り数年の臨床獣医師としての活動期間の中でも、いくつかでもcase series を書き残していきたいと考えている。
自分が大動物臨床獣医師として生きた証を残すのが目的ではなく、この分野に、他の人に役立つと信じているからだ。
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実はこの翻訳は私がリクエストした。
馬臨床家にひろく読んでいただきたいし、興味をもってもらえると思ったから。
翻訳者の村木先生の素晴らしい翻訳で、違和感のない日本語として読める。
感謝。
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分娩1週前から左後肢が痛く、分娩後起立不能であきらめられた繁殖雌馬の股関節。
DJD変形性関節症なのだろう、軟骨が欠損している部分もある。
左右の飛節内は出血していた。お産で寝起きしていて、あるいは、立てないでもがいて傷めたのだろう。
分娩した母馬が立てないと、牧場も子馬も困ってしまう。
が、お産をしてもゆっくり寝てもいられない。母馬もたいへんだ。
診断しようとしても難しかったでしょうね。
診断できないのに予防も治療もありません。
報告と発表、その場所といった”すみわけ”がすでにあるだろうと思うのですが。
どちらの報告、発表も臨床家に届けば診療に貢献する可能性はあると思います。
DJD変形性関節症少なくない印象。痛みのコントロールだけで進行と寿命を逆相関させるようなことは今でも日常なのでしょうか?(目汁)
日頃の管理で予防に効果のあることを手間を惜しまずにすることも大事かとは思いますが。
同じような実験をして異なる結果出しての論文もたくさんありますよね。
統計学稚拙により否定された論文、まだ否定されていない論文もまたたくさんあるだろうと思います。
フラクタルというモデル概念がコンピューターが普及に伴い一時期流行りました。
マンデルブロー集合とかいうやつです。
北京の蝶はカオスでしたかね。。
簡単な数式で様々な形が生まれ、スケール変えてもそれは極端に変わらないというお話です。
枝見て森見ずとはまた少し違いますが、臨床は葉っぱ一枚で研究は樹形を支配するののかも知れません。
葉脈も樹形も大体同じ形しているのですよね。
樹形を整えようとして枝葉を落とし始めるとモデルとしては単純な、理解は容易だけれどより本来の情報から乖離して両者の相違を生み出していくのだろうと思います。