真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「覗きがいつぱい 愛人の生下着」(1994 夏/製作:国映株式会社/配給:新東宝映画/監督:本藤新/脚本:南極1号/プロデューサー:岩田治樹《アウトキャストプロデュース》/企画:朝倉大介/撮影:重田恵介/照明:田村文彦/編集:金子尚樹《フィルムクラフト》/音楽:E-tone/助監督:女池充/応援:タケ・上野俊哉/監督助手:戸部美奈子・島田剛/制作:鎌田義孝・河野恒彦/撮影助手:古谷一・増子貴也・松本直樹/照明助手:山本辰雄・植田力哉/現像:東映化学/録音:銀座サウンド/タイミング:鈴木功/効果:ダイナミック/タイトル:道川昭/スチール:スタジオ601/協力:中野貴雄・福島佳紀・丹治史彦・辻村晴子・鈴木佐和子・おもてとしひこ・後藤与一・伊豆山陽子・くどうともこ・井上冬樹・西浦匡規・鈴木幸子・スノビッシュプロダクツ・ラッシュ、タオ・コミュニケーションズ、旦々舎・大塚 White/製作協力:アウトキャストプロデュース/出演:小島康志・葉月螢・姫ノ木杏奈・林田ちなみ・吉行由美・吉田京子・いぐち武士・山科薫・嶋田剛・本多菊雄・佐野和宏・小林節彦・清水大敬)。監督の本藤新と脚本の南極1号は、それぞれサトウトシキと瀬々敬久の変名。と、されてゐる。
 机上にはワープロの置かれた部屋、目覚ましを強迫的に止めた男が、ジョギングに出る。スローモーションの走り始めた背中に劇伴起動、正面に回つたロングに、勘亭流が全ッ然似合はないタイトル・イン。一番サマになるフィルムハウス略してフィルハ以外、タイトルに勘亭流を使ふのはもう禁止にしよう。
 元々小説を志してゐたもののモノにならず、エロ雑誌専門のライターに憂き身を窶す多分朝森義雄(小島)は糖尿を患ひ、医者の勧めでジョギングを始める。曲り角で本屋の親爺(清水)と交錯した朝森は、親爺が落として行つたラークマイルドと金ピカのライターを、もしかすると本宅ではないのかも知れない家まで届けに行く。すると曲り角から家まですぐそこである僅少のタイムラグにも関らず、親爺は緊縛した葉月螢(以下仮称螢)をビッシビシ責めてゐた。翌日朝森が親爺の本屋で立ち読みしてゐると、店員の螢が出勤して来る。
 配役残り姫ノ木杏奈と、サード助監督の変名にまづさうゐない嶋田剛は、朝つぱらから藪蛇通り越して不自然極まりない青姦カップル。挙句嶋田剛が出鱈目で、朝森を見るなり脊髄で折り返して逆上、二度目などは単車を放置してさへ兎に角闇雲にシメる。この年対象の、第七回ピンク大賞に於いて新人女優賞を受賞する林田ちなみ(a.k.a.本城未織/ex.新島えりか)は、朝森の妻・律子、一馬力で全ッ然生きて行ける職業婦人。先行する新島えりか時代をスッ飛ばして堂々と新人賞に輝く林田ちなみメソッドは、後年涼樹れん期を等閑視した青山えりな(第十九回/2006年度)に継承される。吉行由美と山科薫は、朝森が取材する女王様と豚、佐野和宏が同席する編集者。jmdbには菊次郎で登録されてゐる本多菊雄は、泥酔した律子を送り届ける部下の野村クン。朝森の存在を憚るどころかものともせず、律子は野村と玄関口にてオッ始める。後に律子マターで離婚届に判を捺す段、理由を訊かなければ意見もいはない朝森が、僅かに問ふて「なあ、あの大江千里みたいな男のとこ行くのか」、本多菊次朗が大江千里には画期的に見えない件。吉田京子は、本屋の女房。朝森は三年前、実は一度螢に会つてゐた。ここは明確に芸か抽斗を欠き、由美女王様同様矢張り取材の形で、いぐち武士は螢を大塚のSMホテル―がWhiteか―で責める男。小林節彦は、恐らくサディストではなく堅気の、螢婚約者。あと小林節彦の前に、子供が出来て浮草稼業の足を洗はうとする朝森が、お世話になる面接部が遠目に計四名。
 国映大好きな当時の―ピンク大賞―ベストテンにも次点で入り損ねた、サトウトシキ1994年第二作で国映大戦第二十一戦。生煮えるのが関の山、おまけに色男でもない木偶の坊が、嫁に逃げられたり何故か姫ノ木杏奈にはトコロテン式に転がり込まれたりしつつ、再び邂逅したM嬢に心奪はれる。筆の根も乾かないうちに前言を翻すと、この“心奪はれる”といふのも適当に掻い摘んだ筆の綾で、まゝならぬ万事に漫然と自意識を拗らせる朝森に、奪はれるほどの内実を伴つた心があつたのかどうかそもそも疑はしい。挙句受ける葉月螢がデビュー当初の苛烈な磁場で会話の時空を歪め、噛み合はない方噛み合はない方へと転がつて行く朝森と螢の遣り取りには、痛いか居た堪れない映画を撮るのがそんなに楽しいかと、呆れ果てるのもグルッと一周通り越し、今更改めて腹も立たない。吉行由美は爆乳を無駄に放り出し、即物的な煽情性番長もといスケ番の姫ノ木杏奈も、踏み込む意欲を端から欠いた濡れ場にあつては至宝の持ち腐れ。正しく箸にも棒にもかゝらない、ぞんざいに片付けると小屋で観なくて命拾ひしたとすら思へる空疎な一作。に、首の皮一枚止(とど)まらないんだな、これが。無論、正方向にではないのだけれど。
 どうにもかうにも引つかゝるのが、劇中当初時制の半年後・冬。朝森と螢が最初に出会つた時からだと、三年と半年後。通算二度目の再会を果たした螢宅に、朝森が乗り込んでの相ッ変らずグジャグジャした地獄絵図。犯した事後、挙句勝手に自分語りをオッ始める朝森に向けられた、葉月螢の絶対零度よりも冷やゝかな視線は、ある意味鮮やか。とは、いへ。以来万事が判らなくなつたとかいふのも大概壮大な顛末で底が抜けるのだが、それはこの際強ひてさて措き、レス・ザン・脈略な戯言(たはごと)を一方的に振り回す朝森いはく「判らないんだよなあ」。何が判らないのかといふと『あしたのジョー』のラスト、ホセ・メンドーサ戦をフルラウンド戦ひ抜いた、“ジョーが死んだかどうかつていふこと”。どうもこの辺りの単なる語り口を超えた造形全体の惰弱さが、同じやうに自堕落な男主人公が最終的には同じやうに半死半生の目に遭ひ、いつそ死ねばいいのにそれでも矢張り死にきりさへしない、「アブノーマル・エクスタシー」(1991・冬/脚本:小林宏一=小林政広/主演:麻倉みお・杉浦峰夫)を想起させて想起させて仕方がない。不承不承商業ポルノに手を汚す、境遇まで一緒だ、面倒臭い自虐なのか何か知らんけど。逆に、死の匂ひなり政治の蠢きなり、瀬々的なエッセンスは一見一ッ欠片たりとて窺へない。本藤新―新東宝のアナグラムか―がサトウトシキといふのは兎も角、南極1号は一貫して瀬々敬久とされ、各種資料は固より小林政広の公式サイトにも、今作に関する記載は見当たらない。に、しても。本当に、瀬々なのか?といふこの期に及んだ疑念を強く懐いたのが、今回得た最大のサムシングである。

 話を戻して林田メソッドに関しては、元々知つてゐた青山ありな以外に、西藤尚(ex.田中真琴)が大いに可能性があるのではと調べてみたところ。西藤尚は西藤尚としてのルーキーイヤーに、いきなり女優賞を獲得(第十一回/1998年度)してゐた。


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コメント
 
 
 
実は・・・。 (失楽亭)
2019-12-06 20:42:47
 公開当時だったかに小屋で見ました。
 佐野和宏氏との遣り取り、糖尿云々と主人公が河原で二度にわたって殴られるシーンしか記憶に残っていませんでした。いや、もう一つ主人公が明日のジョーは死んでいない云々を喚くシーンもでした。
 このレビューを読んでも、女優陣がどういう演技をしていたのが全く思い出せませんでした。何のためにピンク映画を見に行ったのか。
 主人公が『明日のジョー』に斯くも拘るのが全く理解出来ませんでした。どう見ても、矢吹丈に肖った生き方をしている、或いはしたいと思っているようには思えないし。
 尚、主人公を演じた小島康志氏は今でも、演出・脚本・俳優業を続けています(http://www.ace-agent.net/kojima.html)。しかしながら、出演履歴にはこの映画のことは出ていません。一応、主演作なのですが。嫌々出たという事なのでしょうか。
 取り敢えずは、これにて。
 
 
 
>実は・・・。 (ドロップアウト@管理人)
2019-12-07 19:12:49
>何のためにピンク映画を見に行ったのか

 そこはそもそも、何のためにピンク映画を撮t(以下ry

>一応、主演作なのですが。嫌々出たという事なのでしょうか

 どうなんですかね、何れにせよ、ナメた態度は癪に障りますね。
 
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