真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「半熟売春 糸ひく愛汁」(2008/制作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/原題:『小鳥の水浴』/撮影:清水正二/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:中川大資/演出補:田中康文/監督助手:内田芳尚・田中圭介/撮影助手:種市祐介/照明応援:広瀬寛巳/協力:スワット・スターダスト・鎌田一利/メイキング演出・撮影・編集:森山茂雄/挿入曲『愛しのピンナップレディ』詞・曲・歌:大場一魅/出演:日高ゆりあ・野村貴浩・田中繭子・篠原さゆり・牧村耕次・なかみつせいじ・銀治・山ノ手ぐり子・田中圭介)。出演者中、山ノ手ぐり子がポスターには山の手ぐり子。
 看板を抜く類の明示は別にされないが、阿佐ヶ谷スターダストの閉店風景。この店で働き始め半年になる鳥本すみえ(日高)と今日からの綿貫健一(野村)とが、すみえが一方的にどぎまぎする遣り取りを交し、一足お先に日高ゆりあは一旦捌ける。初日の綿貫に戸締りを任せるのは、不自然に思へなくもないが。残された店内、「僕も楽しかつたよ」と綿貫が投げた、すみえに面と向かつていへばいい台詞に続いてタイトル・イン。
 すみえの母親で売春婦の真理子(田中)と、常連客である進藤(牧村)との濡れ場。真理子が娘に客を取らせ始めたことを聞きつけた進藤は、すみえを買ふことを強く求める。のは、実は劇中過去時制。本作が、前日深夜から翌朝五時四十八分までの要は概ね四分の一日の推移に、諸々の過去が重層的に挿み込まれる体裁を採つてゐることに漸く気付き驚かされたのは、遅れ馳せるにもほどがある後述する本間との初戦も経ての、二度目の過去時制明け。己の節穴も棚に上げておいて何だが、過去パートへの入(はい)りのノー・モーションぶりには、正直不必要に眼を眩まされた。殊に、1.5回目の現在復帰も含めての、綿貫の書架からすみえが手に取る、スーザン・フォワード著『毒になる親』の単行本・ここは些か非常識にも、招いたすみえを待たせシャワーを浴びる綿貫の尻・壁に吊るされたセーラ服、といふ短い3カットの畳み込みは、よくいへばアヴァンギャルドにも過ぎまいか。なのでといふのも我ながらぞんざいな便法ではあるが、登場順に配役を整理すると、意外といつては失礼だが綺麗な御御足を大胆に披露する山ノ手ぐり子(=五代暁子)は、真理子とは付き合ひも長い同業者・ナンシー。お互ひ寄る年波から商売も厳しくなる一方故、真理子に沖縄への転居を持ちかける。話に乗つた真理子はその軍資金の為に、未だ処女のすみえに売春を強要する。篠原さゆりは、綿貫の元恋人で社長令嬢の和美。作家志望の綿貫を事実上養ふ間柄にあつたが、在り来りなすつたもんだの末に破局する。和美の出番は計三回、徐々に痴話喧嘩がエスカレートして行く強靭な構成は見応へがある。なかみつせいじが、現役女子高生を偽らされた―挙句に中卒の―すみえの破瓜を散らす、ポップな好色漢・本間。演出部からの増員で田中圭介は、木村ミユキが娘で小学生のミナコを悪魔が憑いてゐると殺害した悲惨なニュースと、後にもう一件尊属殺を伝へるTVアナウンサー。藪から棒にMr.オクレのやうな造形の銀治は、剃毛したすみえの秘裂に驚喜する真鍋。真理子のことだ、絶対に事前にオプション料金を取つてゐるに違ひない。
 変則的なクレジットで開巻する「超いんらん やればやるほどいい気持ち」(新東宝/脚本:後藤大輔/主演:日高ゆりあ・牧村耕次)に即して、あるいは逆算していふならば“池島ゆたか監督100本記念作品(パート1)”。即ち正真正銘の、記念すべき池島ゆたか監督百作目である。尤も、ジャスト百作目にも関らず、その点に関しては本篇・ポスター何れも贅沢もしくは奥ゆかしくも一切触れない。そこは別に、晴々しく謳つてみせて当然のやうにも思はれるのだが。兎も角今作は、今作に於けるすみえと綿貫がそれぞれヴェルマとフランキーとなる、米人劇作家レナード・メルフィ作の戯曲『小鳥の水浴』を、池島ゆたかが自ら翻訳したものの更に翻案である。今映画化に先立ち、『小鳥の水浴』はかわさきひろゆき率ゐる超新星オカシネマでも様々な組み合はせのヴェルマとフランキーで舞台公演を重ね、目下、池島ゆたかの演出による里見瑤子×なかみつせいじ版の紐育逆輸入も企画されてゐる。さうはいへ、その辺りの事柄は改めてお断り申し上げるまでもなく当方清々しく門外漢につき、ここは潔く通り過ぎる。その上で、正しく絶望的な環境の中激しく傷つき終には壊れた魂に捧げられた、美しい文字通りのレクイエム。さういふ趣向自体は、小生のやうなレナード・メルフィの“レ”の字も知らぬ間抜けにも、ヒリヒリと届く。届くことは確かに届くのだが、主演女優の分の悪さ、より直截には役の不足も感じざるを得ない。幾ら望んで産んだものではなくとも、実の娘を精神的のみならず性的にも虐待するクズ母を凶悪に演じ抜くのは、現代ピンクきつての大女優・田中繭子こと佐々木麻由子。因みに一時的な田中繭子への改名期間は、出演作でいふと公開順に「物凄い絶頂 淫辱」(2007/監督:深町章/脚本:後藤大輔/主演:華沢レモン)から、「不純な制服 悶えた太もも」(2008/監督:竹洞哲也/脚本:当方ボーカル=小松公典/主演:Aya)までの計六作。こちらは「さびしい人妻 夜鳴く肉体」(2005/監督:竹洞哲也/脚本:小松公典/主演:倖田李梨)以来となる電撃銀幕復帰を果たす、主には前世紀終盤に活躍した伝説の怪女優・篠原さゆりはそれはそれとして判り易い修羅場を、衰へぬ突進力で凄絶に展開する。映画を背負ふ以前にこの二人を向かうに回すのは、日高ゆりあには些かどころではなく荷が重からう。元々さういふ演出であつたならば元も子もないが、台詞が、一々劇が板の上で執り行はれてゐるものかのやうに芝居がかつて聞こえることにも躓く。但し、その心許なさはヴェルマだけのものでは決してないのかも知れない。都合三度目の過去時制明け、すみえがまるで自分に言ひ聞かせるやうに、「お母さんきつともう寝たわね」と綿貫にはどうでもいいことを独り言つ際の、日高ゆりあの瞳の輝きは尋常ではない。話を戻して最終的に残されるすみえの弱さは、そもそも今回の場合ヴェルマを援護する格好となる、フランキーに起因する部分も大きいといへるのではないか。綿貫は綿貫なりに惨めな境遇にあることは酌めるのだが、そこから、わざわざ自作の詩を捧げ、しかも世間一般的には危ない橋を渡りすみえを救済し受け容れようとするエモーションまでには、唐突な距離も感じた。池島ゆたかの気迫といはんとするところは判るものの、ビリング頭二人が開けた穴に、真の傑作への道を遮られた一作といふ印象が強い。

 本筋とは全く関らないところで、メモリアルな側面も踏まへるとなほのこと解せないのは、池島ゆたかにとつて盟友と呼ぶに相応しい神戸顕一の不在。言ひ訳すると物語に引き込まれ、画面の片隅を探ることを忘れてた。監督作百本連続出演を誓ひ合つた仲―コメント欄を御参照頂きたい―としては、三作後の2008年第四作「親友の妻 密会の黒下着」(主演:友田真希/未見)までは何が何でも如何なる形であれ、その姿をスクリーンに載せておかねばならない筈なのだが。例によつて、鳥本家か綿貫宅に御馴染み『AHERA』誌がコソッと見切れてゐる可能性も当然ありつつ、少なくとも、クレジットにその名前は無かつた。


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