真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「老人の性生活 愛人はベットの上で…」(2004『新・老人の性 愛人いぢり』の2011年旧作改題版/製作:フィルム・ハウス/提供:Xces Film/監督:勝利一/脚本:国見岳志/企画:稲山悌二/プロデューサー:伍代俊介/撮影:小山田勝治/編集:金子尚樹/助監督:白石真弓/撮影助手:飯岡聖英・原伸也、他二名/小道具協力:アウトローカンパニー/スタジオ協力:カプリ/出演:水沢梨香・水原香菜恵・美里琉季・岡田智宏・麻田希美、他一名、中山正幻・久須美欽一・坂入正三)。出演者中、他一名は本篇クレジットのみ、思ひのほか多い情報量に屈する。
 エクセス的には久し振りに観た気もするが、見るも鮮やかではない、今作は全篇キネコ物件である。ただ、事この期に至ると、キネコでも、キネコなりのフィルムの色がそれでも愛ほしい。
 シルバー人材派遣の登録に向かふ、元会社社長で“曽”抜きの中根康弘(坂入)は横柄に道を尋ねた、男勝りのスーツ姿の水沢梨香と同行する形に。とりあへず会社到着、潤沢にも四番手かとも事前には思へた、台詞は幾分与へられど脱ぎはしない、若くはあるが容姿は全く十人並みの石原美保(麻田)と、山科薫から一切の臭味を抜いた如き他一名は、ここでの社員要員。登録者の病欠につき、社員二人が現場に出る中、面接に水沢梨香が当たらうとすることに、旧態依然とした男尊女卑観も振り回す中根は臍を曲げる。尤も彼女こそが、シルバー人材派遣会社「バイオレット」社長の横山玲子(水沢)であつた。面接がてら、役に立つのか立たないのか、玲子が中根に跨り確かめる感動的な先制弾を叩き込みつつ、他の面子も見当たらない為、上客のネット小説家・黒川みずほ(水原)の家に中根が家政夫として急遽出撃することに。ところで、みずほの造形に際し、わざわざ小説家の頭に“ネット”を被せる意味は、無論特段も何も全く無い。妻に先立たれて以来一人暮らし二十年、調理師免許も持つといふ中根は案外順調に家事をこなすものの、さういふライフスタイルだといふ、居間にてみずほが夫の誠(岡田)と、何ひとつ憚ることなく全裸でオッ始めた夫婦生活には度肝を抜かれる。同居する―多分みずほの―祖父の部屋に、逃げるやうに茶を届けた中根の顔を見た、祖父・喜一(久須美)は驚く。大東亜戦争当時、陸軍歩兵大隊百二十四連隊の喜一が二等兵で中根が上等兵といふ、二人は戦友の関係にあつた。現在は上下が逆転してゐるとはいへ、喜一と再会を果たしたことがそれはそれとして心強い中根は、みずほ夫婦のヌーディスト属性について行けず、これまで中々人が居つかなかつた黒川家での仕事を続け、玲子をひとまづ安心させる。ところがそんなある日、中根が無断欠勤する。美保が無責任に振り回す不謹慎に内心怯えながらも、玲子は中根宅へと恐々様子を見に行く。さうしたところ、風呂場で転倒してゐた中根は、一時的に身動きの取れない状態に陥る。仕方なく、その日は玲子が自ら黒川家へと赴く。
 見た目だけから自信を持つて、女優陣最高齢の美里琉季は、自宅療養中の中根を訪問を装ひ襲撃する、かつての愛人・水島京子。頃合を見計らひ乗り込む中山正幻は、ヤクザ風の京子情夫。巨漢からは予想外の身体スペックの高さを活かし、実際の嗜みの有無は正直微妙な、玲子の合気を身軽に受ける。
 ビリングトップの水沢梨香は、ヅカ時代には蓮城ルナの芸名で花組所属であつたといふ、元タカラジェンヌ。成程、均整の素晴らしく取れたプロポーション―臍ピアスは目障りだが―に、凛々しいルックス。カメラを前にした貫禄も申し分なく、全く磐石の主演女優ぶりを披露する。それと、このことは本作からは未来の出来事につき当然別の話にもなるが、水沢梨香から三度目の改名―蓮城ルナからの最初の改名は更紗といふらしい―を経た平仮名三文字の“ゆずな”名義で、2012年現在もショー・ビジネスの舞台に立ち続けてゐるのは何気に偉い。お話的には、開巻の玲子と中根の濡れ場で軽快に抜いた映画の底を、みずほ夫婦の特殊性癖で順調に加速した上で、玲子が中根のヘルプで黒川家に参戦しての一幕。俄にスランプに見舞はれた作家先生の要は出鱈目な我儘におとなしく従ひ、誠×玲子×喜一のシチュエーション・プレイを、こちらも半裸のみずほの前で繰り広げる羽目に。いふまでもなく、ほどなく怒涛の4Pに雪崩れ込むに至つて、四の五の無い知恵を絞つた講釈を試みる労力は、全て文字通りの徒労でしかないことを思ひ知らされる。劇映画としての体裁も、映画作家としての野心も、女の裸を銀幕に載せる本義の前には余計な邪心でしかないといはんばかりの、誠麗しき裸映画・オブ・裸映画である。寧ろ、物語がこれだけスッカスカである反面、間延びすることも微睡ませることもなく、流麗に観せきる勝利一の語り口は実は超絶なのではないのかと、称へすらするべきではあるのやも知れぬ。何れにせよ明らかにいへることは、最終的に何が何だかよく判らない内にとはいへども、兎も角玲子と中根が何時の間にか手放しでイイ仲になるフィナーレは、何はともあれピンク映画の主要客層の、穏やかな下心をダイレクトに激弾きするものに違ひない。作品としては兎も角、商品としては完成形。量産型娯楽映画としては、それもひとつの偉ぶらない到達点なのではなからうか。

 最後に、それにしてもたつた今気付いたが、愛人から攻める新旧題はどちらも如何なものか、所詮は三番手だぞ。ここは素直に、女社長属性からのアプローチでよかつたのではないか。それと、わざわざ“新”を謳ふ以上、それでは旧“老人の性”はなんぞやといふと。また随分と遡るが、リョウ×久須美欽一×甲斐太郎からなる“ゲートボール・ゲーターズ”が大暴れする痛快作、「老人の性 若妻生贄」(1996/監督:浜野佐知)のことで正解なのか?世紀を跨いで勝利一が浜野佐知と連なるのかと思へば、それはそれで感慨深いものもある。純然たる、エクセスの方便に過ぎまいが。


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