真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「亀裂本番」(1989『田代水絵 ザ・本番アクメ』の雑なAV題/製作:バーストブレイン・プロダクツ/配給:新東宝映画/監督:佐藤俊喜かサトウトシキ/脚本:小林宏一/プロデューサー:大橋達夫・佐藤靖/音楽:山田勲生/撮影・スチール:西川卓/照明:林信一/編集:金子尚樹/助監督:上野俊也/録音:勝山茂雄/メイク・衣装:岡本佳代子/撮影助手:福島佳紀/照明助手:森ケンイチ/録音:ニューメグロスタジオ/現像:東映化学/協力:芳栄丸?・西山秀明・堤栄一・太賀麻郎/出演:田代水絵・中根徹・伊藤舞・江藤保徳)。次作同様、鼻持ちならない英語クレジットにつき、佐藤俊喜が漢字と片仮名何れなのかと、照明助手の下の名前に、協力の“よしえいまる”の正確な表記が不明。そもそも新東宝も、大してどころかクッソ面白くもねえのに、かういふ小癪な真似を許すなや。
 適当にギターの哭く、曇天の砂浜。カメラがパンした先は営業してゐるとしたら実体は限りなく稀薄に映る、海の家的な掘立小屋。と、その脇で一心不乱に穴を掘る男。ジュンコ(伊藤)が魂の抜けた面持ちで見やる、男は中根徹。中根(大絶賛仮名)がこの時点で、ジュンコの配偶者であつたのか既に元であつたのかは、劇中明示されず。ところで首から上がパンッパンな伊藤舞が、最初誰だか判らなかつた。水を目的に砂を掘る中根を揶揄しつつ、江藤保徳がジュンコを求める。後背位が中途で暗転、ビデオ題のタイトル・インを“あるいは OR”と繋げた上で、原題である「おいしい水の作り方 HOW TO MAKE TASTY WATER」も入る。暗転したまゝ銃声が鳴り、ジュンコの声で「あれから一年が経つた」、豪快な映画だ。
 立ちションを済ませた江藤(超絶賛仮名)が、波打ち際に倒れる半裸の田代水絵を発見する。一方ジュンコは水道の引かれてゐない小屋のために、車でポリタンクに井戸水を汲みに行く日課。警察に届けるべきであるとする、脊髄で折り返したジュンコの抗弁も排し、江藤は水絵(鬼絶賛仮名)を小屋に置く。江藤が水絵の誘惑に負けるのにジュンコが荒れたりもしながら、流れついた時と同様、水絵は不意に姿を消す。そんな折、ゐなくなつてゐた中根が、フォードのデカい2シーターで小屋に現れる。
 厳密な国映製作ではないゆゑ、サトウトシキ通算と同義の1989年第三作で国映大戦番外篇第三弾。中根の帰還で再びデフォルトの三人になつた小屋に、水絵が都合のいいランダムさで舞ひ戻る。ポンプで水を汲んで来たり情交したりパスタをブルータルな量貪り食ふ、ストレンジな共同生活。結局物語はおろかジュンコと中根がかつては婚姻関係を結んでゐた以外は、一欠片たりとて外堀も埋められないまゝ、戯画的に大口径のリボルバーをも持ち出し、二人死ぬ。喘ぎ顔が笑顔に寄る素敵な特性はまだしも、主演女優が一度口を開くや口跡はエクセスライクも蹴散らす勢ひで壮絶。ならばとタイトルにその名を冠した看板映画の体裁を華麗にかなぐり捨て、実質主役の語り部に伊藤舞を据ゑる戦略は十二分に酌めるものの、残念なことに内容ないし文言以前に、伊藤舞も伊藤舞で独白が地に足が着かない始末。天候にすら恵まれず、淡々か漫然としか燻らない始終は、これは小屋に嫌はれても仕方なからうとでもいふ以外に、言葉を探す気力も萎えるナンジャコリャ作。質は兎も角量だけならば濡れ場が最低限度を満たさない訳では必ずしもないにせよ、暗転を濫用する始終は、終に落ち着きさへ欠く。不条理なり前衛だか何だかを目したものかも知れないが、量産型娯楽映画としての本義を問ふ以前に、斯様な中途半端に頭でこしらへた虚無よりは寧ろ、たとへば珠瑠美が絶対的に近い無作為で易々とグルッと一周してのける、ある意味より本質的な空白にこそ、打ちのめされるサムシングを感じるものである。一言で片付けると要は煮ても焼いても食へない一作ではあれ、突発的に琴線が撥ね上がるハイライトは、フォードの中根が殆ど原曲を止めてゐない洋楽を素頓狂に口遊む、清々しい間抜けさがバーストするカット。


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