真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「スージー明日香 緊縛の舞」(昭和61/製作:ローリング21/配給:新東宝映画/監督:渡辺護/脚本:しらとりよういち/企画:渡辺護/撮影:志村敏夫/照明:石部肇/編集:田中修/音楽:飛べないアヒル/現像:東映化工/録音:銀座サウンド/助監督:塙幸成・大野芳嗣/撮影助手:古谷巧/照明助手:山田一/出演:スージー明日香・更衣詩子・風原美紀・堺勝朗・田村寛・岡大介)。
 古民家の白黒画に、ローリング21クレジット。直ぐ様カラー復帰、地味に尻がエロい女中が階段を上がり、別の女の観音様を背負つた背中にタイトル・イン。彫師の九条清治(堺)が、根を詰めて久子(スージー)の背に観音を彫る。女中の一枝(更衣)が告げる薬の時間を無視しつつ、ある意味定刻に発作を起こした九条は昏倒。慣れた風情で、一枝が口移しで粉薬を飲ませる。中略して久子の肌の、朱の発色に不満を覚え煮詰まる九条は、一枝が顔色を変へる“あの男”の招聘を思ひたつ。
 配役残り、口跡だけなら津田寛治の岡大介は、飲み屋を潰した借金の形に、久子を九条に売つたクソ亭主・安夫、体を表す名が清々しい。口跡だけなら津田寛治なんだけど、千鳥足も別の意味で覚束ない大根。風原美紀は、目下の安夫の情婦・ひろ子、夜の女。精一杯、ただの濡れ場三番手で済ませようとはしなかつた、節は窺へなくもない。そしてティアドロップが戯画的に似合ふ佇まひは悪くないものの、一言でも口を開くや下卑た地金が出てしまふ田村寛が、九条が呼び寄せた縄師・流山童子。
 四月七日に緊急事態宣言が発令されて以降も、十二日までは営業を続けてゐた福岡県下映画館最後の砦たる地元駅前ロマン―とパレス―が、遂に十三日からクソ国は補償もしやがらない休業に突入。そのため、ex.DMM戦で十七日から来る予定であつた渡辺護昭和61年第一作、残りは買取系とミリオンの全三作。
 何時の間にか見初められてゐた彫師に売られた女が、何時の間にか縄の味を覚える。言葉の響き的にはより眼力に近い、堺勝朗の目力。何時の時代でも十二分に戦ひ得よう、粒の揃つた女優部と、あくまで汚くはならなくも苛烈な、見応へある責めの描写。丹念に積み重ねられた一幕一幕が、ある程度深い映画的充実を湛へる、にせよ。白鳥洋一が何処まで書いてゐたのか、あるいは渡辺護がどれだけオミットしたのか。一枝の外堀は九条と流山双方向にまるで埋められず、篭の鳥があまりにも判り易すぎて、寧ろ暗喩だとは思ひたくないひろ子周りのありがちなシークエンスは、三文に値引きされる。久子に至つては彫られ縛られする内に、勝手に開花した印象、狂ひ咲きか。状況的にはハードランディングともいへ、定番みの色濃いラストに大人しく収まるとあつては、よくいへば広い行間に余裕を持たせた、直截にはモサーッとした作劇が、最終的には薄さか安さを露呈してしまふ印象が強い。当時的には最先端であつたのであらうが、ダサいシンセがその癖下手にラウドに鳴る劇伴は聞くに堪へず、仕出かしたスタッフの足下が映り込むだとか、九条の刺し棒で頬を切られた安夫が、その前に何某か刺したのか刺さなかつたのかゴチャゴチャしてよく判らない。終始狙ひ過ぎかねないほどキメッキメに画角と距離に凝り倒す割には、選りにも選つてクライマックス近辺で激しく出来の宜しくないカットが散見されもする。殆ど積極的に観るなり見てゐないといふのも否定はしないが、橋が転ぶと祭り上げられる渡辺護といふ映画監督を、当サイトはこの期の未だに理解してゐない。

 逆の意味で見事なのが、調教の目処のついた久子に対し、九条が「女といふものはな、男に愛されるやうに出来てゐるものなんぢや」、“なんぢや”ぢやねえよ。現在の、所詮は偶さかな価値観で過去を一方的に裁断する悪弊に関しては、保守を標榜する以上なほさらいはれなくとも忌避するところであれ、流石にこれには震へた。その煌びやかなまでの旧さをこそ尊ぶか勿体ながるべきなのかも知れないが、正直付き合ひきれない。浜野佐知は、この手の人等と戦つてゐた、もとい今も戦つてるんだらうな。


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