真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「ビデオガール 夢中女人」(1991/企画:サン企画/製作:Gプロダクション/配給:大蔵映画/監督:市村譲/原案:桜井文昭/脚本:夢野春雄/撮影:立花次郎/撮影助手:余郷勇治/照明:高橋甚六/助監督:高橋純/スチール:最上義昌/編集:酒井正次/音楽:東京スクリーンサービス/効果:サウンドBOX/録音:銀座サウンド/フィルム:日本アグファゲバルト《株》/現像:東映化学《株》/出演:中川みず穂・山岸めぐみ・グリーン・井上真愉美・ファイター裕・野澤明弘・登根嘉昭・江戸太郎・吉田正治)。
 夕刻か朝方か、薄暗い陸橋遠景に即座のタイトル・イン。遠目のAV撮影風景に、“二十世紀に於ける性の氾濫はAVビデオによつてその頂点に達してゐた”云々と、回りくどい割に内容は殆どないナレーションが入る。“AVビデオ”なる、武士の侍が馬から落ちて落馬する類の珍単語は兎も角、性に関する娯楽の頂点の座を、仇敵たるアダルトビデオに諾々と明け渡してよいものかといふ根本的な疑問も過ぎりつつ、結論を先走るととてもではないがそれどころではなかつた。予定してゐた男優が来ないとやらで、監督(登根嘉昭?)が自分でAV嬢(グリーン)との絡みに及ぶ濡れ場初戦を経て、“ここにも一人その―ドロップアウト注:AVビデオの―快楽を求め欲求不満を解消してゐる男が存在してゐた”と、ビールを飲み飲みボサッと歩くロングで佐藤武雄(ビリング推定でファイター裕)登場。結構馬鹿デカいフラミンゴのネオンサインを掲げた、その名もそのまんまビデオフラミンゴで三上涼子(山岸)の「そこまでされたいの」を借りて来た佐藤は、見進める内にビデオの世界に入り込み、三上涼子を抱く。射精とともに佐藤が我に返ると、驚く勿れ、侘しい寡暮らしの部屋に三上涼子の持ち物の女物のバッグがあつた。それはさて措き改めて振り返るに、開巻のグリーン篇には全体何の意味があつたのか。
 配役残り吉田正治は、「そこまでされたいの」の男優、実のところ何のことはない芳田正浩である。井上真愉美(真愉見ではなく真愉美名義はクレジットまま)は矢張りAV女優、役名は判らないが、次回作のタイトルは「イケイケ快感天国」らしい、何だそれ(´・ω・`) 後述する川辺のパンの件に於いて、佐藤と―多分―実際に交錯する中川みず穂は、この人もビデオガール、「SMつぽくない」の広瀬裕子。野澤明弘が、「SMつぽくない」の中でプレイに匙を投げられ、チェンジの憂き目に遭ふ―代りに佐藤が招き入れられる―男優。因みに「そこまでされたいの」にせよ「SMつぽくない」にせよ、佐藤宅のテレビに映し出されるビデオの中身は、画面のルックと―本篇同様―恐ろしくとりとめのない内容に、恐らく何れも今回新撮されたものではなからうか。最後に、グリーンの現場にもう二人見切れるカメラマンか助監督、あるいは、居るのか居ないのか甚だ微妙な井上真愉美の―ビデオの中での―相手役。候補はほかに見当たらないとして、清々しく変名感を爆裂させる江戸太郎については手も足も出ない。
 さて市村譲1991年第四作は、衝撃的も通り越し壊滅的な問題作。日本語が一切判らなくとも全然関係ない第一の衝撃は、とりあへず画が遠く、兎にも角にも暗い。そんなに俳優部を満足に抜きたくないのか、それとも市村譲は演者に近付くのが嫌なのか、寧ろ綺麗にその人と知れるショットの方が余程少ないくらゐ。とりわけ、井上真愉美のパートは本格的に暗黒。あまりに暗くまるで要領を得ないので、部屋を真暗にして見てみたところが矢張り一体何が映つてゐるのか本当に判らない。原案には桜井文昭と大蔵本体が絡んでゐながら、これで商業映画として成立してゐるのが信じ難いほどに暗い、藤原健一の「女囚701号 さそり外伝」(2011/主演:明日花キララ)よりもなほ暗い。あるいは、大蔵本体が絡んでゐるからこそ破れた横紙なのか。散発的に当たる照明で井上真愉美は辛うじて識別可能にしても、犯してゐる男の方は所々僅かな光の隙間に覗く衣服で判別するほかないゆゑ、そのカットが佐藤が借りて来たAVの中身なのか、実生活とAVとの境界を喪失した佐藤の幻覚なのか判断に苦しむ始末、そこから混濁させてどうする。佐藤と同じ迷宮に見るなり観る者を叩き込む、メタフィクションでも狙つたつもりか。終盤まで温存される中川みず穂こと広瀬裕子は、一応佐藤に最後通告を突きつける。“キミは既に狂つてる”、“夢も現実も見境がつかない”。全く以て御尤もといふしかない話で、見過ぎたものか何なのか、AV好きのチョンガー男が拗らせた狂気。を描いた映画にしては、第二の壊滅はそもそも映画自体が狂つてゐる。前述した画面の圧倒的な暗さと薮蛇な遠さとで、ただでさへ捉へ処があるない以前に視覚的にすら見えもしない始終は、市村譲の根本的に脈略を欠いた語り口に委ねられた結果、五里霧中が火に油を注がれ木端微塵な支離滅裂に。加へて、AVを見てゐる間終始独り言をグチャグチャ垂れ続ける、不快といつた表面的な印象では済まない佐藤の造形に否応なく次第に募るより本質的な不安は、川辺でパンを食べてゐる際―その場面設定の唐突さが既にキナ臭い―膝元から落としたビデオを、確か借りた物にも関らず踏みつけたかと思ふと、バラバラに壊した挙句に引き出したテープで自らグルグル巻きとなるシークエンスに至つて確信に変る。ファイター裕の、目が完全にヤバい。まさかとは思ふが、本物を連れて来た訳ではあるまいな。気違ひが気の違つた展開に放り込まれて右往左往する、気違ひみたいな映画、気違ひの気違ひによる気違ひのためのピンクか。土台が、通常三割増の女優部四本柱を擁しておいて、女の裸もちやんと見せずに何が始まるのかとツッコむ気力も最早失せる、危険なレベルでダウナーな一作。“覗くな、狂ふぞ”―予告篇では、“観るな、狂ふぞ”ではなかつたか?―との、いざ観てみると狂ほしく詰まらなかつた「マウス・オブ・マッドネス」(1994/米/監督:ジョン・カーペンター)の惹句を何となく思ひだした。


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