真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「阿部定 ~最後の七日間~」(2011/製作:株式会社GPミュージアムソフト・新東宝映画株式会社/配給:新東宝映画株式会社/監督:愛染恭子/脚本:福原彰/製作:山田浩貴・後藤功一/企画:西健二郎・衣川仲人/プロデューサー:森角威之/ラインプロデューサー:泉知良/撮影:田宮健彦/録音:高島良太/ヘアメイク:唐澤知子/スタイリスト:野村明子/編集:石倉慎吾/助監督:浅木大/スチール:中居挙子/メイキング:高橋悠/撮影助手:坂元啓二・原伸也/制作応援:内田直之・安達守/現像:東映ラボ・テック/ロケーション協力:パートナーシップきさらづ/制作:Sunset Village/出演:麻美ゆま・松田信行・佐々木麻由子・中谷千絵・佐藤良洋・元田牧子・鶴西大空・浅木勝《声の出演》・飯島大介・菅田俊《友情出演》)。改めて後述するが、実際の登場人物からすると、出演者のクレジットが一人分足らない。
 昭和十一年五月某日、東京警視庁尾久署の取調室。中野の料理屋「石田屋」の住み込み女中・阿部定(麻美)が、情夫で石田屋主人の石田吉蔵(松田)を殺害後、局部を切断したとされる殺人及び死体損壊事件を捜査する浦川刑事(菅田)は、供述の安定しない定が吉蔵殺しをのらりくらりと認めるでも認めぬでもないことに、手加減抜きの重厚感をバクチクさせつつ業を煮やす。一応映画史的には、菅田俊が阿部定を取り調べる刑事を演ずるのは、武知印の禅問答映画「JOHNEN 定の愛」(2008/監督:望月六郎/主演:杉本彩)から二作連続となる。それはそれとして、凄いポジショニングだ。話を戻すと、定と浦川が正対する傍らでは、端正な顔立ちの宮田刑事が終始黙々と調書を取る。定が名古屋のパトロン・大宮五郎(飯島)と出会つた件から、再度供述が聴取される。商家に生まれた後十五で大学生に騙され非行に走り、十八の時に勘当された定は芸妓の道からやがて娼妓に身を落とし、転々とする内に教育者で市議会議員の大宮と出会ふ。定が足を洗ふのを願ふ大宮は小料理屋を持たせることを思ひたち、大宮の紹介で、定は石田屋に入る。ここで佐々木麻由子は、亭主の女癖の悪さに呆れ果て一度は家を出たものの、子供(子役一切見切れず)のことを考へ戻つて来た吉蔵の妻・トク。ところが―少なくとも劇中は―忽ち定は吉蔵と男女の仲に陥り、石田屋を離れ待合を漂白する日々を送る。佐藤良洋が番頭で元田牧子が女中の「みつわ」を経て、二人は荒川区尾久の待合「満左喜」に転がり込む。再びここで、松田信行・元田牧子・森角威之と同様に劇団「天然工房」所属で看板女優の中谷千絵は、満左喜の女中。定の留守中、戯れに体に手を伸ばす吉蔵を跳ね除ける際の膨れ面は、束の間のカットながらとても魅力的。元ラジオ日本アナウンサーの浅木勝は、中盤とオーラスに二度朗々とした名調子をラジオ越しに披露するアナウンサー。と、なると、ワン・シーン出番のある、満左喜の主人役に相当する人物がクレジットの中に―ポスターにも―見当たらない。因みに、佐々木麻由子の濡れ場は、満左喜から石田屋に金策に戻つた吉蔵の帰りが遅いことに膨らませる定の猜疑の中に、勿体ないくらゐの束の間放り込まれる。そしてこの時、定は牛刀を買ふ。
 四畳半襖の下張りと羊の頭を偽り夫婦善哉といふ狗の肉を売つた、「新釈 四畳半襖の下張り」(2010/脚本:福原彰)に続き愛染恭子が主演に据ゑた麻美ゆまとタッグを組む、一応ピンクの番線に含まれてゐるともいへ、一目瞭然、従来型狭義のピンク映画とは非なる以前に似てすらゐないキネコ連作の2011年第一弾。形式的な差異に、新東宝の提携先が従来の竹書房からGPミュージアムソフトに変更された点が挙げられようが、恐らくはそれは今のところ今回限りで、実質的な映画の出来上がりにも、さしたる影響が及んでゐるやうには特にも何も全く見受けられない。場面が取調室と定の供述内容、あるいは娑婆での回想パートを頻繁に行き来する中盤までは、テンポ自体悪くなくなほかつ菅田俊の重量級のしかめ面が適宜展開を引き締め、ある程度以上に充実させて観させる。ものの、舞台が満左喜の一室にほぼ固定された終盤は、定と吉蔵の“最後の七日間”を描き切らうとしたテーマには反し、引くでもなければ寄るでもない、甚だ中途半端な位置からカメラが基本動かない画的な単調と、愛染演出の矢張り一本調子とから、映画が激しく失速してしまふ感は禁じ得ない。定が口ではいふ運命的な連鎖とやらが、傍目には淫蕩女が懲りずに入れ揚げた男と偶さか迎へた、悲劇も通り越した惨劇的な結末とはいへど、最終的には物の弾みにしか別段見えない辺りは如何せん弱い。これまでの阿部定映画と、今作との彼我を分ける決定的な特色としては、ひとまづ十全な伏線も噛ませた上での、荒淫と痛飲の果ての吉蔵死因がいふまでもなく際立つ、ところではあつた筈なのだが。ところがその点に関しても、塾長は如何に弁へたものかもしくはまるで頓着無かつたのか、勘所中の勘所にも関らず、どうにも奥歯に物の挟まつたかのやうな踏み込み具合ないしは温度に止まる。俳優部は総じて健闘してゐるやうにも見える一方で、共にメリハリを欠いた撮影部と演出部とに足を引かれた印象の強い一作。最終的に、心に残るは菅田俊の一人ドス黒く気を吐きぶりばかり。


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