真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「連続不倫II 姉妹相姦図」(2008/製作・配給:新東宝映画/脚本・監督:福原彰/企画:福俵満/プロデューサー:深町章/撮影:清水正二/録音:シネキャビン/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:佐藤吏/監督助手:新居あゆみ/撮影助手:海津真也・種市祐介/協力:報映産業株式会社・セメントマッチ・金沢勇大/出演:速水今日子・淡島小鞠・しのざきさとみ・千葉尚之・西岡秀記)。前作「うづく人妻たち 連続不倫」(2006)の、直線的な続篇といふ訳では必ずしもないがナンバリングされた、福原彰(=福俵満)の第二作である。
 重たく揺れる、暗い海のイメージ・ショットにて開巻。
 縺れ合ふやうな、陰山栄子(速水)と安藤満生(千葉)との情事。出会ひ系でも介したのか、満生が「本当の名前教へてよ」といふと、栄子は「名前なんか無い・・・」。ベッドに押し倒された栄子が「ブーツ脱がなきや」といへば、今度は満生は「いいから」。カッコづけが未だ芸にはならない、臭味が目につく。デビュー第二作ともいへば、無理からぬ話といつていへなくもないのかも知れないが。若さ故の勢ひで栄子に惚れ込む満生に対し、渡米する大学教授の夫と日本を離れる栄子には、関係を継続する気はさらさらなかつた。筋肉質の肉体も逞しい、千葉尚之の充実ぶりは光る。
 二年後。栄子の妹で、旅行雑誌『旅の記録』編集者・結子(旧姓が陰山?/淡島小鞠)は、夫の学会出席の為に一時帰国した栄子と再会する。抑制的ながらフェミニンなジャケット姿に、鼻でメガネを掛けた淡島小鞠はウルトラ・スーパー・デラックス、サンダーファイヤー・エクセレント。以降の物語の展開も内実も最早ひとまづさて措き、今作が女優淡島小鞠必殺のマスターピースとならうことはまづ間違ひあるまい。濡れ場に於いて放たれる桃色の威力も、これまでのキャリア中随一。と、いふ訳で、もう横好きで脚本を書くこともないんではないかい?といふのは確信犯的に滑らせた筆である。西岡秀記は、女に手の早い編集長・長柄健。如何にもらしいキャラクター像を、都会的に好演する。しのざきさとみは結子の右隣に座る、年長の同僚・萩原雅恵。雅恵は結婚を控へた結子に対し、人妻キラーの長柄に狙はれるのではないかとカマをかける。最終的には棒読みの壁を何時までも越え得ないしのざきさとみが、福原彰の洗練を志向したオフ・ビートの中では浮いてしまふ嫌ひは禁じ得ない。雅恵の濡れ場の相方は、長柄が担当。
 ロング・ショットが抜群に美しい並木道を潜り、栄子と結子は両親の墓参りを済ませる。姉妹は両親を早くに亡くし、歳の離れた栄子は苦労して結子を大学まで卒業させたものだつた。遅刻して現れた、結子の婚約者と落ち合つた栄子は絶句する。結子の婚約者といふのは、何と満生であつたのだ。言葉を失つたのは、満生も同様。一年後、体調の不良を覚えた栄子は検査の為再び一時帰国する。事の真相を知らぬ結子は、秘かにスリリングな栄子と満生を余所に、姉を新婚家庭に逗留させる。週末、栄子は取材旅行の為家を空ける。栄子と満生の、薄氷を踏む思ひの二人だけの時間がスタートする。
 男と女、姉と妹、そして生と死。三本の幹が複雑に絡み合ひながら織り成される物語は、それなり以上に見事な出来栄えながら、決定的と賛するにはまだ幾分心許ない。繰り返し挿入される暗い海のイメージ・ショットは、結子が思春期の頃からよく見る夢の情景だといふ。『ツァラトゥストラはかく語りき』の中から、一般的に有名な訳としては「深淵を覗き込む時、その深淵もこちらを見詰めてゐるのだ」ともなるのであらうが、劇中栄子の台詞では「深い淵を見詰める者は、その淵に見詰め返されてもゐる」といふ形で、明示的にニーチェの言葉が引用される。暗い海あるいは、わざわざ引き出されておきながら、果たして一体そのニーチェが、劇中で如何様に機能してゐるのかといふことに関しては、桃色に煮染められた私の脳細胞には、恥づかしながら瞭然とはしなかつた。更に結子と雅恵との会話の中で、栄子の夫の専攻が文化人類学であることを耳にした雅恵が漏らす、「文化人類学か・・・」、「レヴィ・ストロース、野生の思考。何だか懐かしい・・・・」などといふ台詞―無論清々しい棒読みのしのざきメソッド―に至つては、迷ふことなく噴飯の一言で斬つて捨てられる。オーソドックスでストレートな手法は、福俵満(=福原彰)が新東宝の社員プロデューサー、兼脚本家として培はれた歴々としたキャリアを誇るとはいへ、あくまで監督としてはデビュー第二作の新人監督にしては恐ろしい領域で完成に近付いてはゐるものの、まだまだ、そこには余計な意匠が残る。
 姉と夫とが絡み合ふ、自宅に予定よりは早目に帰宅してしまつた結子が、嘔吐を堪へながら満生にか弱い拳を振るふシーンは超絶に素晴らしいが、そこから編集部に再び戻つた結子が、実際に嘔吐するまでも若干間が伸びてゐる。いふまでもなく、結子は満生の子を身篭つてゐたのだ。一旦は妹を想ひ満生を拒んだ栄子が、夫の両刀使ひの性癖を吐露した後に満生との背徳の情交に突入する流れは悪くはないが、その前段階の、言ひ寄られるも浴室に逃げ込んだ栄子が、着衣のままシャワーを浴びるのは、何を仕出かすのだかよく判らない。展開としての狙ひも酌めなくはないが、些か弱い。そもそも、先に挙げた男と女、姉と妹、そして生と死。最終的には誰の何がメインになるのかが、必ずしも明らかではない。物語は破綻無く進み一応深い余韻は残りつつ、手応へとしては決して強くはない。折角泉下から呼び出されておきながらニーチェの所在無さが、主題の不明瞭を象徴しもする一本。既に平面的な技術は確か過ぎる程に確かなので、福原彰には次回作は、半端な野心や虚栄は捨てた、もつと泥臭くも堅実な娯楽映画を、個人的には希望したい。

 以下は本質を宿さぬ細部に関する再見時の付記< タバコの火の点かぬ栄子に、満生がジッポーを差し出すシーンが都合二度ある。一度目に全く音がしないのも不自然だが、二度目の栄子が満生のジッポーを使ふ際には、あれはジッポーの発火音ではない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )