真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「わいせつ女獣」(2002/製作:SEKI-プロ/製作協力:クリエイティブ・オフィス・モア/提供:オーピー映画/脚本・監督:関良平/企画:陳汰郎/プロデューサー:北川響子/撮影・照明:小山田勝治/助監督:水島貞之/メーキャップ:田代洋子/スチール:金子優/音楽:入江直介/録音:シネキャビン/編集:フィルムクラフト/撮影助手:伊藤潔/撮影助手:赤池登志貴/製作助手:塩之屋裕介/出演:麻倉エミリ、神咲真子《新人》、デイ・内藤、塚本一郎)。ポスター惹句が、“刺激を求めるこのカラダ”、と“ワイルドにヌキまくれ”。“ワイルドにヌキまくれ”とは、非常に奮つてゐる。惹句は非常に奮つてゐるのだが。
 「タバコ、いいですか?」、「どうも」。字面からはまるで伝はらぬが麻倉エミリの、日本語から非ネイティブと思しきファンタスティックな関西弁が、いきなり映画にキラー・パスを通す、但しオウン・ゴールの。家庭裁判所にて、ストリッパーの矢後ひろみ(麻倉)が旦那の不倫相手といふ当事者として、離婚調停手続内の事情聴取を受ける。ひろみのオッチャン好きといふ属性が語られるのみで、いきなりこのシークエンスに、話の本筋との関連は潔いまでに全くない。
 聴取を終へ、桜咲く春の町を歩くひろみは並木道のベンチでタバコを吸ふ、好みのタイプの渋めの男(塚本)と目が合ふ。ひろみは帰宅するや、ストリッパーだか何だか知らないが、戯れに踊つてみたりなんかする。ぬるいエアロビ感覚のダンスが云々以前に、尻をこつちに向けるのか向けないのか、せめてそこはハッキリして欲しい。今度はひろみは、親友・三村さなえ(神咲)がママを務めるスナックに行く。するとダブルのスコッチを頼む客が現れる、昼間に目を合はせた、ベンチでタバコを吸つてゐた男だつた。一杯入れた男が直ぐに店を後にすると、ときめかされたのだかひろみとさなえは、再び戯れに踊つてみたりなんかする。赤いミニに乗り込まうとするひろみ、お前酒飲んでたよなといふツッコミは、ここでは禁止ではなく有効だ。録音が何故だか微妙に小さいのでディテールのニュアンスがいまひとつ伝はらないのだが、慌ただしい周囲の雰囲気に続き逃げてゐる風の、ベンチでタバコを吸ひさなえの店ではスコッチのダブルを頼んだ男・佐伯譲二が再び現れる。佐伯はひろみを車に引き摺り込み、カーセックスを装ひ追手を撒く。ひろみが車を走らせると、カーラジオからは何処そこ組の若頭銃撃を伝へるニュースが流れて来る。若頭は重傷を負つたものの一命を取り留め病院に搬送され、二人組の実行犯の内、一人は射殺されたとのことだつた。射殺・・・・・?主語は何なのだ、いきなりその場に銃を抜くのに気前のいい司法警察官が居合はせたのか?
 佐伯はひろみの家に転がり込む。ここも録音が何故だか微妙に小さいのだが音楽が流れ始めると、「ウチの曲や!」とひろみは再び再び戯れに踊つてみたりなんかする。一方店のオーナー・本城洋(デイ・内藤)と、さなえがセクロスする。さなえの爆発的に目の粗い網タイツが、今作の何とも形容のしやうがない風情に火に油を注いで拍車をかける。本城は佐伯の行方を捜してゐた。終盤に漸く全貌が明らかになるストーリーとは、殺し屋の佐伯は、相棒と共に本城が属する組織の敵対組織の若頭射殺を請け負ふ。だがそれは嵌められた罠で、本城の組織は自ら雇つた佐伯らを殺し、敵対組織への恩を売らうと画策してゐたのだ。伯父貴の指示を受け佐伯捜索に出た筈の本城は、何故だかひろみ宅を訪れる。本城はさなえだけでなく、ひろみとも関係を持つてゐた。
 ピンク界のエド・ウッドともラス・メイヤーとも評される伝説の迷監督関良平の、歴史的怪作。公開当時故福岡オークラで一度観てはゐたが、是非とももう一度きちんと通つておきたいと思ひつつも、モノがモノだけに正直半分以上は諦めてもゐた複雑な待望の一作である。今回かうして再見の機会に恵まれたことに、まづは桃色の神と小屋とに海よりも深い感謝を表したい。自編集による自由自在といふか縦横無尽といふか、要は木端微塵の展開が観客を眩惑させる、らしい前作「三十路兄嫁 夜這ひ狂ひ」(2000/製作:ワイ・ワン企画/提供:Xces Film)は残念ながら―多分―未見。今回は編集にフィルムクラフトが入つてゐることにより、破天荒な繋ぎが火を噴くといふことは―比較的に―ないものの、殆ど一切の作為と技術とに欠いたまま、だからこそなのかも知れないが妙に狂ひ咲く自意識と、後に詳述するがあるものの決定的欠如とが、矢張り観る者をクラクラさせ倒して呉れることには変りがない。極私的な体験で恐縮だが、小屋で何時もお見かけするアル中気味のおぢいさんが、今作を観ながら頻りに「理不尽・・・・理不尽・・・・」と呟いてをられたのが妙に印象的であつた。今作の本質にこの星の上で最も近づき得たのは、実はこのおぢいさんであるのかも知れない。
 画面の片隅に見切れる者もない四人きりの出演陣は、何れも強力、徒に強力過ぎる。何はともあれ、麻倉エミリは主演女優ならぬ最終兵器。明確に美人の範疇に止(とど)まるエキゾチックな容姿、ギリギリ肉感的といふ徳俵から、足が一歩外に出てしまつた体重。今風にざつくばらんに譬へると、10㎏強増量した徳用リア・ディゾン。更にお芝居とついでに踊りの方もといふと、紛ふことなき素人。無闇にチョーチョーと女子高生言葉に汚染されつつ片言にも似た棒読みの関西弁で、関良平の書く恐るべき怪台詞の数々を連呼する様には戦慄も禁じ得ない。ただ麻倉エミリに関して、唯一積極的に評価し得るのは、その源が諒解可能な形で提示されることは終にないままに、何時でもフレームの中で不可思議なまでに100パーセント自信満々でゐられる点。どういふルートでだか招聘された小山田勝治の他に通常の技術論の枠内に一切の寄る辺を持たない砂上の映画を、辛うじて麻倉エミリの自信満々が一本通つた背骨として支へ抜く。たとへそれが、如何に曲がつてゐたとしても。こちらは微妙にプロの役者らしい塚本一郎はといふと、三代前の曾祖父の隣にクリストファー・ウォーケンが住んでゐた、とでもいつた感じか>どんな感じなのだか全く判らねえよ 雰囲気だけならば悪くはないものの、芝居といふか表情の抽斗をひとつしか持たないことと、濡れ場に入り脱いだ際の、弛みこそしてゐないとはいへまるで締まりのない肉体は、殺し屋といふにはどうにも画的な説得力を欠く。何故だか塚本一郎よりビリングが上に来るのが全く解せないデイ・内藤も、全きアマチュア。この人を強ひて譬へると、竹中直人と和田勉とを足して二で割るとかうなるか。本城がさなえと会話するシーンでは、本城の台詞だけアフレコの音量が小さいこともどうにも非感動的に意図が見えない。フと気が付くと今作、理解に苦しんでばかりである。矢張り理不尽なのか、あるいは不条理とでもいへばよいのか。十五年早くデビューしてゐれば天下を取れてゐたのかも知れない神咲真子は、終始どうにも身の遣り処に困るかのやうに所在なさげにしてゐるのが目につくが、尤もそれは、神咲真子に帰すべき責ではなく、関良平による所作指導の問題であらう。
 最低限繋ぎが一応スムーズなだけで、最終的には関良平の為すがままな展開の正体不明は矢張り絶好調。「あんた死神だなあ、俺のよ」。本城をやり過ごした後の夜、死んだ相棒がかつて遺した言葉だとかいふことで、佐伯はひろみを死神認定する。何ヌカしてやがるんだ、アホかといふ気分にしかさせられないが、御丁寧にも、死神といふキーワードはこのまま全篇を通じて活かされてゐるとは決していはないが、継続して使用される。偶さか出会つた殺し屋と踊り子、踊り子は、殺し屋の死神であつた・・・。かういふと多少安目とはいへフィルム・ノワールの香りもしないではないが、勿論、麻倉エミリを主演に据ゑておいてそのやうな代物が成立し得よう筈もない。
 翌朝ひろみはオフの間の日課といふことで、佐伯は家に置いたままジョギングに出る。又このジョギングの一幕の、麻倉エミリは一人楽しさうにドタドタと走つてはゐるものの、意味もそこにその件が置かれるべき必要も皆無な点には最早清々しさすら感じられる。そろそろ、といふかとうに気付いてゐた方がいい。今作は、観客の為に撮られたものではそもそもないのだ。ひろみを待つ部屋、テレビで自らが起こした事件のニュースを見ながら、画面右端に座つた佐伯は長いタバコの煙を吐く。今回二箇所だけある、映画的に恵まれたカットの内の一つ。ひろみが戻ると、早速佐伯はひろみの体にむしやぶりつく。シャワーをを求めるひろみに対し、「シャワーは俺が流してやるよ」、意味が全く判らない。藪から棒に3Pをしようといふことで、ひろみがさなえを呼ぶ辺りから、関良平の五里霧中は最加速する。シャワーを浴びたさなえが物憂げに鏡に向かふショットが、二箇所だけある映画的に恵まれたカットの内の残りひとつ。ここでの神咲真子の表情には、物静かながら豊かで強い情感が込められてゐる。そこにその画があることに、脈略は例によつて欠片もありはしないのだけれど。
 誰も居ないひろみの部屋に呼び鈴が鳴ると、赤いチャイナドレスに身を包んだひろみといふか麻倉エミリが、画面左手前からフレーム・イン。中央で正面を向く方向に振り返り、来客を出迎へるべく深々と一礼する。何でこんな画をいちいちフィックスで押さへておかなければならないのか、恐ろしいまでに理解出来ない。小山田勝治も現場では余程頭を抱へたか、あるいはグルッと一周して楽しくて楽しくて仕方がなかつたに違ひない。ひろみがさなえを居間に通すと、佐伯はいきなり白いバスローブ姿で登場、やる気まんまんにもほどがある。共に本城と関係を持つさなえのことをひろみは、チョー親友、“何とか兄弟”の女版と佐伯に紹介する、もう滅茶苦茶だ。一旦ひろみは退場、さなえと佐伯は、「お店に来た時の最初の言葉覚えてます?」、「何ていつたつけな・・・」、「スッコチ、ダブルで」。いやそれ、“最初の言葉”もへつたくれもなくて唯の注文だから。戻つて来たひろみは、「チョーいいムード、わあセクシー」。その台詞で口火を切り3Pに突入、もう煮るなり焼くなり好きにして呉れ。3Pの最中少し―フィルムを―長く回すと神咲真子と麻倉エミリとが、フレーム外の何者か―どうせ関良平に違ひあるまい―の方をチラチラ見てしまふことなんて、この際どうでもいい。
 事が済むと店のあるさなえはアッサリ帰宅、佐伯は本城に電話を入れる。罠に嵌められたことはさて措き、プロのプライドとして一度受けた仕事は必ず最後までし遂げるといふのである。若頭を実際に射殺されてしまふと困る本城が慌てると、佐伯は言葉を荒げる。「俺の首で恩を売らうなんて、お前等仁義あんのか?」、「あばよ、マッチポンプ野郎!」。“マッチポンプ野郎”といふのは気が利いてゐる、「あばよ、マッチポンプ野郎!」これは迷ではなく普通に名台詞だ。さなえと本城は、若頭銃撃事件の続報をテレビで見る。何時の間にか、佐伯の本名も面相も割れてゐた。驚いたさなえから佐伯がひろみ宅に潜伏することを掴んだ本城は、直ちにひろみのマンションへと向かふ。一方ひろみの部屋では、同じニュースを見てゐたひろみは佐伯に対する組織の追跡を悲観し、逮捕といふ形での保護を望むべく、容疑者が自宅に居ると警察に通報する。ここで私は理解した。今作の何もかもが判らないといつて何が最も根本的に足りないのかといふと、登場人物の心情の動きの説明が、予め設定された段取りとしても、実際にカメラの前での表現力としても、全く欠如してしまつてゐる。その為何が何だかてんで理解出来ないままに、映画はあれよあれよと一昨日から明後日の方角へと転がり流れ過ぎてしまふのだ。ひろみに通報されたゆゑ佐伯が部屋を後にしようとすると、ひろみは「忘れもんや」とキス。「ありがとよ」、と佐伯が返したところでドンドンドンと部屋の扉を雑に叩く音と共に、まるで抑揚のない声で「警察だ、開けなさい」。早えよ!早過ぎるよ。ひろみが通報してから、ドアが叩かれるまでが十秒弱、日本の警察はどれだけ迅速なのだ。「やべ、サツやて」とひろみ、お前が呼んだんだろよ、といふ以前に、マンションに到着してシンドラー社製のエレベーターに乗り込むところまでは描写されてゐた、本城は何処の平行宇宙に消えた。「あんたの勝ちだ」、「何ていつたの?」、「死神さんの勝ちだ」。そのままパトカーのサイレン音をBGMに玄関口で一発をキメると、何度も挿み込まれる満月を薄い雲が横切りエンド・クレジット。よくよく考へてみると、今作は実は、追はれてストリッパーの部屋に転がり込んだ殺し屋が、そのまま丸一日をセックスしたり無駄話をするだけで部屋からは一歩も外に出ずに過ごすだけの物語なのである。これでハードボイルドを狙つてゐるつもりになれるところが凄い。これが確信犯的な姿勢であつたならば、映画もまた新たな地平へと開けて行く可能性があつたのかも知れないが、これが単なる無自覚と大いなる不作為とにしか拠らない辺りが、関良平がエド・ウッドにも比される伝説の迷監督たる所以。尤もその、余人の凡そ到達し難い、最早天衣無縫の領域にすら突入した大らかさこそが、エド・ウッドや関良平の作品がそれでも一本の映画として、一部とはいへ人々の心を捉へ得るところのサムシングであるといへるのかも知れない。

 世の中何がどうトチ狂つたのか、関良平の前作にして第二作「三十路兄嫁 夜這ひ狂ひ」(2000)が、「兄嫁の夜這ひ すすり泣く三十七歳」と2008年に旧作改題されてゐたりなんかもする。新版公開の貪欲さもエクセスの強みであらうといふのと同時に、機会に恵まれた際には、こちらも必ず出撃したい。


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