真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「兄嫁の夜這ひ すすり泣く三十七歳」(2000『三十路兄嫁 夜這ひ狂ひ』の2008年旧作改題版/製作:ワイワン企画/提供:Xces Film/脚本・監督・編集:関良平/企画:稲山悌二/プロデューサー:戸川八郎/撮影:鷹野聖一郎/照明:市城徹/助監督:水島貞之/メイク:田代晴美/スチール:勝村勲/製作主任:鈴木トモユキ/ネガ編集:フィルムクラフト/録音・効果:シネキャビン/ロケ協力:王子工房・厚木スタジオ/音楽:寺嶋琢哉/出演:鈴木エリカ・渡辺健一・大沢広美・沢井ひかる・塚本一郎・飯島大介)。
 ログハウス、斉藤みさ(鈴木)が入浴する。少し引き気味のカメラから見切れるやう、不自然にバスタブの向かつて左端に寄つて風呂に入る姿に、伝説の迷監督・関良平の、もう一歩のところで紙一重を越えられなかつた残念な作家性が早くも濃厚に漂ふ。ところで、何故(なにゆゑ)にさういふ真似をわざわざしなくてはならないのかは全く判らないが、今作主演の鈴木エリカと、二年後の次作にして現時点に於ける一応関良平最終作、「わいせつ女獣」主演の麻倉エミリとは同一人物である。風呂上り、屈託ないカメラ目線を呉れながら自らバスタオルを解いての御開帳なんぞ披露した上で、みさは外出。鈴木エリカの天衣無縫なカメラ目線は、以降些かも憚るでなく全篇を通し性懲りもなく繰り出され続ける。「ゴーストワールド」(2001/米/監督・共同脚本:テリー・ツワイゴフ/主演:ソーラ・バーチ、スカーレット・ヨハンソン)のラスト・シーンよろしく(大ロ虚)、みさを乗せたバスが画面奥に走り行く画でタイトル・イン。外光をてんでコントロール出来ずにルックがコロコロ変る撮影が、開巻早々消極的な意味でのオフ・ビートを加速する。
 カット変るといきなり、ソファーとマットだけが置かれた黒バックの一室での、みさと岩井おさむ(塚本)の絡み。横臥位を、ちつとも扇情的ではない角度から捉へる画が多い点に、本作を貫く如実な特色が見られる濡れ場を通して、みさと岩井の関係は、この情交の時制は、といつた観客の理解と物語のスムーズな進行とに必要な情報は、清々しいまでに一ッ欠片たりとて提供されない。「さあて始まつた」、といふ感を強くする。ベジータ風にいふならば、「これからが本当の地獄だ」。帰宅した―ならば岩井は誰だ―みさの夫・ひろし(飯島)が、同居してゐたものの三年前に不意に家を出た、ひろしの弟でみさからは小舅に当たる、あきら(渡辺)が戻つて来る旨を伝へる。しかも明日、藪から棒にもほどがある。そんな夫婦も世の中にはあるものなのか、みさは歳の離れた夫を、終始“オッチャン”と呼ぶ。矢張り佐伯をひろみが“オッチャン”と呼ぶ、「わいせつ女獣」との共通性が見出される点如き、そもそも大した問題ではない。風呂にするか飯にするかと問はれたひろしは風呂と答へておきながら、カット跨ぐとその夜の夫婦生活。妙にベッド・メイクに神経質なひろしの描写や、みさは半年前に流産してゐたとかいふ、その後一切活かされないまるで木に竹を接いだディテールを織り込みつつ、無茶苦茶な、といふかグチャグチャな自編集による濡れ場の乱れ撃ちで、みさは義弟であるあきらとも関係を持つてゐた過去が語られる。挙句に、ひろしは背面騎乗位の最中に寝てしまつてゐたりなんかする。画期的過ぎる、関良平の綾なす展開には何人もついて行けぬのではないか、関良平以外は。
 翌日、あきらの帰宅を思ひ出しがてら家事を済ませ、買ひ物に出たみさが家に戻ると、鍵は開いてゐた。ひろしがあきらを伴ひ既に帰宅してゐたのだ。変に説教臭いひろしの姿には何某かのテーマでも滲ませたつもりなのか、三人で酒を酌み交はすと、ひろしは酔ひ潰れて寝てしまふ。みさがあきらを風呂に入れたところで、場面移つて客のゐないスナックでの、ママの早苗(沢井)と岩井の情事。岩井は店のオーナーか、といふかだからこいつ誰なんだよ。早苗は、岩井とみさの関係を知つてゐるらしい。更に翌日外出したひろしは、早苗の店「アルタミラ」へ。何とアルタミラは裏ではデートクラブも経営してをり、ひろしは早苗の紹介で19歳ながら留年してゐるゆゑ未だ女子高生の、めぐみ(大沢)と落ち会ふ。ここからの、ひろしとめぐみの逢瀬が今作の白眉。もとい、関良平の文字通り想像を絶するアバンギャルド編集が終にその恐るべき真価を炸裂させる。ひろしの赤いミニの助手席に乗り込み紅を直しためぐみは、静かなところに行きたいとか切り出す。いきなりかよ、あんまりだ、捌けるどころの話では済まない。驚喜したひろしがミニを走らせると、次のカット何故か二人は

 河原で石なんか投げてゐる。

 早速ホテルぢやねえのかよ!続けてコークでもキメてゐるのかめぐみが今度は鬼ごつこをしようだとか言ひ出せば、舞台は移り二人は雑木林に。出し抜けにめぐみが下半身を露に誘惑、木を背にしたハモニカで絡み開戦。矢継ぎ早にカット変ると今度は護岸のテトラポッドの上で後背位、続けて神社の境内でいはゆる駅弁、更に草叢で騎乗位、果てにはロングショットの刈り取り後の田圃にて正常位・・・・・

 田園に死にさうだ。

 ジャンプ・カットどころの騒ぎではない、自由自在といふか縦横無尽といふか、直截に木端微塵といへばよいのか。否、最早さういふ言葉でも足るまい。空前絶後の関良平編集を前にしては、小林悟や小川欽也の映画であつてすら、アカデミー受賞作かと見紛ふであらう。その本質は混沌、あるいは夢幻か。実のところは単なるロー・スペックを通り越したノー・スペックであるなどといふのは、正しく実も蓋もなくなつてしまふので内緒だ。
 といふ訳でひろしはめぐみにうつゝを抜かし家を空けた、即ち兄嫁と義弟二人きりの夜。あきらに膳を据ゑるのかそんなつもりもないのか、正体不明の助走を経つつ、みさは悶々と岩井に電話する。すると折りよく岩井は早苗とセックスの最中だといふので、そのまゝ変則巴戦のテレホンセックスが開始される、

 その発想はねえな。

 斬新過ぎるシークエンスの最中、あきらは漸く重い腰を上げ、新題を体現する夜這ひをみさに対し敢行。といふか、その場合正確には“兄嫁に夜這ひ”でなくてはならないか。二組の情交がグダグダと交錯する中、これまでの鈴木エリカ絡みの濡れ場が目まぐるしく雑多に挿入され、初めから体を成してもゐなかつた映画が覚め際の悪夢の如くいよいよどうにもならない混濁を来たしたところで、ラストは更に後日。ひろしはあきらに、実は妻の、実弟との不貞を知つてゐたことを明かす。兄弟も観客も、少しも釈然とはしないまゝに、一人自信満々のみさが土手越しに姿を現す。てな塩梅でカメラ位置のてんで決まらない、中途半端なみさの引き気味の画がラスト・ショット。観客の恐らくは全てが振り切られたまゝ、少なくとも鈴木エリカ(=麻倉エミリ)は唯一人御満悦。ハーフと思しき容貌も相俟ち、死屍累々の荒野に高笑ひながら屹立する、死を喰らふ魔女の姿すら想起させられる。一方関良平自身の手応へは果たして如何にといへば、このやうな紙一重のその先には、実は更に果てのない虚空が巨大な口を開けてゐた、とでもいふべき映画を撮つてのける御仁の心中を、推し量る術など持ち合はせやうがない。聞きしに劣るとも勝らない一作、一言で今作の本質を言ひ表すならば、「何かの間違ひ」とでもしかほかに言葉が見つからない。このやうな最早偉大とでもしか評しやうもない大迷作を、「わいせつ女獣」一作のみならず少なくとも二本は撮つてゐる関良平といふ存在に、別のといふか逆の意味で震撼させられるばかりである。ある意味必見、一旦関良平を通つておけば、流石にもう恐いものはなからう。

 アバンとラストの二度、意表を突く淡白なイントロで始まる“今夜だけは綺麗に咲いて”、“別れの後独り抱いて”とサビから入る、ニューミュージックと歌謡曲が4:6程度のブレンドの主題歌が流れる。鈴木エリカの声には聞こえなかつたが、クレジットが一切なかつたため詳細は全く不明。“ニューミュージック”なる単語が未だ生きてゐた時代のテイストの曲で、2000年リアルタイム(付近)の作であつたならば素敵なアナクロニズムでもあるが、「さよなら」といふ言葉が轟くブリッジには、個人的には実は普通に心を揺さぶられた。音源があるなら幾らか余計に出しても欲しい、出来れば皿で。
 ついでに、この期に狂ほしいまでに別にどうでもいいが、早苗役の沢井ひかるは、清水大敬の「双子姉妹 淫芯突きまくり」(2002)に登場する、沢田まいと多分同一人物。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 20世紀少年 未亡人理容室... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。