キャンバス



Z7 + NIKKOR Z 50mm f/1.8 S

大きな画像

昨日は都内をけっこう歩いた。
晴天の日のビル街を歩くのはとても楽しい。
ビル同士が太陽の光を反射し合い、とても芸術的で幻想的な光景を作り出しているのだ。
とてつもなく巨大なキャンバスである。
それを見るのが面白くて、かなりの距離を歩いてしまった。

都心を歩くと、あちこちでこの美しい光景と遭遇する。
ビル同士が隣接しているので、太陽が比較的高い位置にある時間帯でも見ることが出来る。
光がビルの窓に反射して、別の建物を照らし、それがまた反射して戻ってくる。
その結果、何重にも塗り重ねたような複雑で微妙な光の芸術が生まれるのだ。

しかも刻々と状況が変わる。
離れたところからその偶然の産物に気付いても、急いで行かないと失われてしまうことも多い。
太陽が移動するのは予想以上に早いし、雲がかかり突然消滅してしまうこともある。
何枚か連続して写真を撮ると、1枚として同じ写真はなく、秒単位で光が移動しているのが分かる。

ここで働いている人たちは、この美しい光景を意識して見ることがあるのだろうか。
自分がビル街で働いていた日々を思い出すと、仕事で精一杯で余裕がなく、ほとんど気付くことはなかった。
光の具合が一番いい時間帯に、外を歩く機会が少なかったこともある。
仮に気付いたとしても、のんびり写真を撮るわけにもいかなかったろうが・・・

ではビルの設計者たちは、この芸術を意図して作っているのだろうか。
ビルという造形物の持つ美しさに魅せられたことが、設計という道を選んだ理由のひとつであるはずだ。
建物の表面の素材を見ると、光を強く反射したり、他所からの光を受け止めてキャンバスになることを意識しているものも多い。

しかし複数の建物が共同して作り出す光の芸術は、複雑で予測が難しいだろう。
コンピューターを使えば計算は出来ても、将来どのような建物が隣に建つかも分からないし、偶然によるところが大きいと思われる。
そしてその予測のつかない芸術の創造に参加し、共に楽しもうという設計者の思いが強く感じられる。

誰もいない寒々としたビル街で、巨大な建物のキャンバスを見ていると不思議な気分になる。
これほどの規模の作品を、見ているのが僕ひとりだけなんて、なんて贅沢なのだろう。
これは休みの日に無人のビル街を歩く者だけが得られる特権なのだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« お彼岸 制限 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。