閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

「止まる」と「歩く」

2012-04-19 14:41:57 | 日々

ときどき漢字の字源事典を見る。
漢字は何千もあるが、それを部首で分ければ
214種に分類できてしまうという。
そのことに、まずおどろく。

しかし、「くさかんむり」「にんべん」「さんずい」くらいは
すぐわかるけれど、どの部分が何画の何という部首であるか、
わからない漢字のほうがずっと多い。
たとえば、漢数字の「一」から「三」までの部首は「一」で、
「五」の部首は「二」だ、ということも初めて知ったのだが、
「六」は「八」、「九」が「乙」なんて、考えたって思いつかないし、
「七」はいまだに見つからない。
しかも、この本にはいわゆる索引がなく、読みでひくことができない。

何でもインターネットで検索することに慣れてしまうと、
なんだか不便な気がするのだが、逆に新鮮でもある。
(パソコンで出てこない文字や図版がたくさん必要なので、
こういう本はデジタル化はしにくいだろう)
目当ての字がみつかればよし、みつからなくても、ぱらぱらめくって、
たまたま興味をひかれたところを見る、ということになる。

たとえば「止」という字。
甲骨文という、亀甲や牛骨に刻まれた中国最古の文字では、
「止」は、人の足跡のかたちだ。下に横棒をひいて、
そこから前方へ歩み出すことをあらわしていた。

ついでに「歩」という字。
いまは「止」の下に「少」と書くけれど、
おなじく甲骨文では、これはどちらも足跡のかたちだ。
右足、左足と縦に二つ並んで、まさしく「歩いて」いる。

そうか・・と深く納得する。
スタートラインに止まっているんだ。
「止」の字は、そこから出発していいよ、ということなんだ。
たとえそこが「行き止まり」であっても、ちょっと向きを変えれば
次の一歩は踏み出せる。
右足のつぎに左足を出せば、人は歩ける。
そういう字なんだ。

こんなふうに漢字を教えてくれる先生が、
小学校のときにひとりでもいたら、
勉強はどんなに楽しかっただろう。
じゃあ「走る」は? 「飛ぶ」は?
次から次へと知りたくなるじゃないですか。

「これなあに?」「なんで?」と、幼児はきりもなくたずねる。
生まれつき底なしに知りたがり屋の子どもたちに、
もっとたくさん知る機会をあたえるために学校ができた。
いや、そうじゃないかもしれないけれど、そう思いたい。
一方的に「はい、これとこれを覚えなさい」と言われ、
「習ってない字は書いちゃいけません」と言われ、
言われたとおりに動く子だけがほめられる・・
そんな場所ではないはずだと思う。

「正」という字も「止」からできている。
足跡のまわりを四角で囲ってあり、そこから歩み出そうとする形だ。
四角は国境。そこを越えて他国へ向かって前進していく。
つまり、もとは征服の「征」の意味が、のちに正義の「正」になった。
・・というような、ちょっとこわい説も、この本には書いてあります。


上の画像は、たんぽぽの綿毛。
雨にぬれてこんなになってしまったけれど、
ちゃんと乾いて飛んで行けたかな。

 

コメント
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