閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

桜とさくら

2012-04-06 11:50:20 | 日々

犬養道子さんの『花々と星々と』が好きで、
中学生のころから何度読んだかわからない。
文庫本がぼろぼろになり、買い直した。
最初のほうに、著者の幼年時代の回想がつづられている。
たとえば父親から文字を教わった思い出。
櫻という字を、作家であった父は、小さい娘にこう説明する。

「・・『木』の字がどっかについてたら、それは何かの木のことなんだ。
ほうら、花びらふたつ・・・・貝貝、ね。
その下に女の人が立って、きれいきれいっていってるのさ」

漢字は、平仮名や片カナよりやさしかった、と著者はいう。
櫻という難しい漢字が書けるのに、「く」や「し」の字を間違える子を、
多くの大人は不思議がり、笑ったと。

満開の桜を見るたび、いつもこのエピソードが思い浮かぶ。
「櫻」であり、「さくら」でもある花の下に立って、
きれいきれいと見上げている。
漢字は、かたちだ。
そして、平仮名は、音だ。

 

このあいだ、「青い羊の丘」を点訳してくださっている方から、
本文中の漢字の読み方について質問をいただいた。

木の実 このみ? きのみ?
薄荷草 はっかそう? はっかぐさ?
桜水晶 さくらすいしょう? さくらずいしょう?
一声 いっせい? ひとこえ?
間 あいだ? ま?

・・などなど。

子どもの本では、総ルビといって、すべての漢字に
ふりがなをつけることもあるが、「青い羊」は児童書ではないので、
簡単な漢字や標準的な読み方にはルビをふらなかった。
たずねられて、えーっと、どっちかな、と考える。

「木の実」は「このみ」、「木の葉」は「このは」のほうが、
みやびな、あるいは詩的な、おとなっぽい雰囲気がある。
わたしは子ども向けのものを書くことが多いせいか、
「きのみ」「きのは」のほうがわかりやすいと思う。
「このみ」は「好み」とまぎらわしいこともある。
感覚的に、木(tree)は「き」であって、「こ」ではない。
たとえば「桜の木の葉」=「さくらのき」の「は」なので、
その流れで「木の葉」=「きのは」になることもある。

「水面」は「みなも」ですかと、校閲でもきかれたけれど、
これも、そこまで気取らず、「すいめん」でいいと思う。
もちろん、逆の好みの人もいるだろう。
同じ漢字、同じ意味の語でも、読み方の選択ひとつで、
ずいぶん雰囲気が変わるのが面白い。
同じ舞台で、照明だけ変わるような感じ。
その単語だけでなく、前後の文章まで違ってみえてくる。

一般に「紫水晶」は「むらさきずいしょう」と発音されるから、
それにならえば、「桜水晶」は「さくらずいしょう」と読むのだろう。
でも、濁点が入ると、水晶の透明度が落ちるような気がするので、
わたしだったら濁らず「すいしょう」としたいところ。
これも単なる好みの問題。

『木苺通信』にも出てくるけれど、「薄荷草」や「風向丘」は、
自分でも読み方があやふやで困る言葉だ。
おそらく、これはこの字を使いたかっただけで、
声に出して読むことを想定していなかったのだと思う。
(児童書だったら、そういう書き方はまずしない)
こんなふうに、文字そのものの視覚的イメージを重視して
言葉を選び、どう読むかは読む人におまかせ、ということも、
表現形態のひとつとして、ある、と思う。

しかし、考えてみると、点字には「漢字」というものがないのだ。
すべて「総ひらがな分かち書き」で書いてあるようなもの。
漢字は表意文字であるのに対し、ひらがなは表音文字だから、
読みはひとつしかなく、どれかを選ばなければならない。

視覚に障害のある人は、読むことが不自由なだけでなく、
漢字のかたちから意味を察したり、雰囲気を感じとったりできない。
ということに、あらためて気づく。
これは表意文字を使う(同音異義語が非常に多い)国特有の不自由さだ。
すべての人がアルファベットのような表音文字しか使わない国では、
すくなくともその点においてはハンディキャップが少ないかもしれない。

しかし、逆に、視覚障害のある人は、文字の「音」に対して
非常に敏感な感覚を持っているのではないか。
文字の並び順や組み合わせ、一連の音の響き具合などから、
かたちや色彩に相当するもの、あるいはそれ以上のものを感じ、
イメージをひろげ、楽しむことができるのではないか。

わたしは点字で書かれた文学というものを読んだことがないけれど、
詩や小説があるとすれば、それはきっと慎重に選び抜かれた言葉で構成され、
朗読されたときには非常に美しく聞こえるだろう。
(たとえば昔のラジオの台本などは、いくらかそれに近い感覚で
書かれていたのかもしれないけれど、台本を読む人は目で見るのだから、
やはり根本的には同じではない)
残念ながら、目で読むしかないわたしには、
その作品をほんとうに味わうことはできないのだと思う。

 

コメント
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