弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

北海道大学散策

2023-08-07 11:53:35 | 趣味・読書
先日、北海道大学のキャンパスを訪問しました。

まずは、キャンパス北部に位置する、重要文化財 札幌農学校第2農場です。

地下鉄南北線を北18条駅で降り、西へしばらく歩くと北大に入ります。その北側に、目的とする第2農場があります。

ウィキの札幌農学校第2農場では以下のように説明されています。
『1876年に札幌農学校の教頭に迎えられたクラークは、実践を中心とした農業教育を提唱し、・・・実践農場としての利用が開始された。・・・畜産の経営を実践する農場としての役割を担った「第2農場」が現在の・・・場所一帯に建設された。
この第2農場では、それまで日本人になじみの無かった酪農・畜産経営を実践できる実習施設として機能し、外国種の家畜・牧草や畜力農機具、さらにはマサチューセッツ州立農科大学にならって産室・追込所・耕馬舎を建設した。この建造物はクラークにより「Model Barn」と記載され、日本語でも「札幌農学校模範家畜房」と名づけられた。
1969年8月19日、近代化整備により使い道のなくなった建物群はその貴重な建築様式や北海道における畜産の発祥の地であることが考慮され、国の重要文化財に指定された。』

ここ札幌農学校第2農場に現存する建物のなかには、1877年前後に建てられて1910年に移転改築された建物と、1909年前後に建築された建物とがあります。

入り口で記帳して入ると、右手前に下写真の牝牛舎、その後方に穀物家畜房が見えてきます。牝牛舎の前にいる牛は、本物の牛ではありません。

牝牛舎


牝牛舎
牝牛舎は、1909年に建てられました。

牝牛舎の内部

下写真の建物は、耕馬、産室、雑牛追込所(モデルバーン:穀物家畜房)と呼ばれています。
W・S・クラークが前任のマサチューセッツ農科大学で1869年に建設した畜舎に倣って建設された、と説明にあります。今は3階建てで、写真の赤線より下が1階部分が畜舎、2階、3階部分が乾草倉庫になっています。

モデルバーン:穀物家畜房 1877年建設、1910年移転改築


収穫室と脱稃室(左)、穀物庫(右)


穀物庫 1877年建設


収穫室(右)と脱稃室(左) 1911年建設
「稃」の読み仮名は「フ」「もみがら」とあります。

さて、第2農場を一回りしました。平日ということもあり、同時に構内で参観しているのはせいぜい2~3組程度でした。

下写真のような並木道を抜け、南へ向かいます。

構内の並木


大野池
右手に大野池(上写真)を見て、さらに南下したところで右折します。

しばらく西へ歩くと、新渡戸稲造の像(下写真)にたどりつきます。
像の裏面の説明から、博士と北大(札幌農学校)との関係についてピックアップします。
新渡戸稲造は、明治14年、二期生として札幌農学校を卒業しました。その後、東大再入学、アメリカ、ドイツ留学を経て、米国人の妻・メリー夫人を伴って帰国した博士は、明治24年から7年間、母校の札幌農学校教授として、当時閉校の危機にあった農学校の立て直しと学制改革に尽力し、のちの北海道大学の基礎を築きました。

新渡戸稲造の像

像のすぐ左に並木があり、おそらくこれがポプラ並木だと思われます。入り口は閉鎖され、並木の中には入れません。

ポプラ並木
説明書きがありました。
平成16年の台風18号により、ポプラ並木51本のうち19本が根元から折れ、8本が幹だけを残して傾く、という被害を受けました。再建方針には種々の意見がありましたが、再生の見込みが高かった2本は立て直し、残りは若木を植えることにした、とあります。このような事情もあり、現在は並木への立ち入りが禁止されている、ということでしょうか。

理学部の建物の一部が、総合博物館になっているようです。

総合博物館
1階に北大の歴史、1階2階に北大のいま、の展示がありますが、これらはパスさせてもらい、3階の収蔵標本の世界を主に見て回りました。

骨格標本の部屋には、多くの骨格標本が展示されていました。そのうちの1体について下に写真を載せます。背景の表示から、ニッポノサウルス・サハリンスクであることがわかりました。

ニッポノサウルス(総合博物館)
ウィキのニッポノサウルスによると、
『1934年(昭和9年)に、樺太豊栄郡川上村竜ヶ瀬層で発見されたハドロサウルス科の恐竜。白亜紀後期の約8,300万 - 8,000万年前とされる地層より産出した。
命名者は北海道帝国大学教授、長尾巧。発掘された化石は頭骨の一部、骨盤、腰椎、後脚など、全身の約40%が得られている。・・・日本人によって研究、記載されたはじめての恐竜である。模式標本は北海道大学に保管され、復元骨格は北海道大学総合博物館と国立科学博物館に展示されている。』

古河講堂は、キャンパスのほぼ南の端に位置しています。たまたま目にとまったので写真にしました。

古河講堂


古河講堂
大学のパンフレットによると、『1907年・・・林学教室として建設。・・・正面中央の銘板が古河家の寄贈であることを伝える。』とあります。
ウィキの古河記念講堂によると、
『古河家寄付記念事業の寄付金によって建てられた教室の中で、唯一現存している建物。足尾銅山で利益を上げていた古河財閥が足尾鉱山鉱毒事件の償いの意味を含めて寄贈した。』

そして最後が、クラーク博士像です。

クラーク博士像

私は先日、羊ヶ丘展望台でクラーク博士像を見てきました(下写真)。
私はてっきり、北大にも羊ヶ丘と同じ博士像が存在し、羊ヶ丘はそのレプリカである、と思っていました。しかしそれは間違いであり、遠くを指し示すクラーク博士像は、羊ヶ丘のオリジナルだったのですね。

羊ヶ丘展望台のクラーク博士像
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