弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

私の履歴書 IIJ 鈴木幸一氏 (2)

2019-11-10 12:34:43 | サイエンス・パソコン
日本経済新聞の「私の履歴書」IIJ会長の鈴木幸一氏の記述について、前々回報告しました。そこでは、インターネット発展期である1992年から1994年にかけて、日本がどのようにして世界の潮流から取り残されてしまったのか、という点にスポットをあてました。

その後も、「私の履歴書」は10月いっぱい続きました。鈴木さんの足跡を追いかけることで、日本のインターネットがどのように進展してきたのかを追体験することができました。以下にポイントを列記します。

NTTが1994年にネット接続サービスに参入する計画を発表しました。当時のネット接続業者はいずれも小さな会社です。あるとき彼らの代表がやってきて、「日本のネットの先駆者である鈴木さんが先頭に立って、郵政省や世論に『NTTの参入反対』の旗を振ってほしい」と要請されました。鈴木氏は即座にお断りしました。「役所の力を借りないと事業ができないなら、はじめからやらないほうがいい」
NTTが始めた接続サービスはOCNという名称でしたが、鈴木氏は「OCNの父」という別名を頂戴しました。
「NTTやソフトバンクの参入は競争激化をもたらしたが、一方ではネットを利用したビジネスが立ち上がるために不可欠の前提条件でもあった。」(第16回)

IIJがサービスを始めた翌年の1995年、私が弁理士受験生から卒業してインターネットに再度接触した年ですが、日本を揺るがす2つの出来事がありました。1つは阪神大震災、もう1つはオウム真理教による地下鉄サリン事件です。

大災害が発生したとき、電話はあっという間に麻痺します。電話というのは、通話一つが1本の通信回線を占有してしまうからです。
それとは対照的に、インターネットは途切れることなく情報を運び続けました。インターネットでは情報がパケットとして細切れで、かつ多数の人のパケットが混在して、1本の回線を流すことができるので、時間はかかりますが、通信途絶のリスクは格段に低いからです。
IIJは、ネットの強みを生かして被災地の力になりたいと考えました。まずは、被災者の安否などを自由に書き込めるサイトをネット上に開設しました。現地の人から寄せられた生々しい写真やメッセージもリアルタイムで載せました。
『「個人が世界に情報を発信できる新しいメディア」としてのインターネットの可能性を多くの人がこの時、実感したのではないか。』
オウムについては、サリン事件が起きるかなり前に、警察からオウムのネット利用状況を監視するよう依頼を受けましたが、通信の秘密保護を理由に断りました。『その後サリン事件が起こり、「あのとき、どうすべきだったか」を考えることが時々ある。』(私の履歴書第17回)

1998年には日本のインターネット利用は順調に伸びていました。しかし鈴木氏は不満を持っていました。「当時の企業のネット活用といえば、ほとんどが社内のメールやホームページの作成にとどまり、ネットを使って事業モデルを大胆に作り替えようという動きがほとんどなかったからだ。」
そのような状況を変えるため、IIJ自身がネットを使った新サービスを起こせばよい、と考えたのです。そして、ネット証券の立ち上げに関与しました。
当初、既存の大手証券会社に話を持ち込みましたが、冷ややかな対応でした。そこで住友銀行の西川頭取(当時)に相談すると「おもしろそうじゃないか」となって、事業が立ち上がりました。「当該市場にしがらみのある会社は保守的になり、異業種の人がチャンスをつかむ。ネットが産業の地殻変動をもたらす仕組みがよく分かった出来事だった。」
ほぼ同時に、旧知の松本大さんにも声をかけると、松本さんはソニーの出資も得てマネックス証券をつくりました。
「彼らの旗揚げが日本のネット証券の出発点だったことは確かだ。私もいささかなりともそれに関与できたのは、誇らしい思い出である。」(第18回)

1990年に私がインターネットを最初に利用したとき、不思議だったのは「大陸間の回線を使用する回線使用料がなぜ無料なのだろうか」ということでした(インターネット初め)。
今回の「私の履歴書」でも、「鈴木氏が始めたIIJは、日本国内、大陸間の通信回線を、自社で構築したのだろうか」という点がはじめから疑問点でした。私の履歴書第21回でその点が語られています。
当初、IIJは「特別第2種電気通信事業者」であって、自分自身は光ファイバー網などの通信回線を所有せず、NTTやKDDなどのいわゆるキャリア(第1種電気通信事業者)から回線を借りて、サービスを提供していたのです。

われわれインターネット利用者は、接続サービスプロバイダーに月額料金を支払うだけで、世界中のどことどれだけのデータ通信を利用しても、回線利用料が別途かかることはありません。この間の謎は謎のままですが、プロバイダーが利用者から徴収した月額料金の一部が、回線所有者に使用料として支払われているのでしょうか。

さて、「自前のインフラを持とう」ということで、IIJの鈴木氏は散々苦労したのですね。
自分で光ファイバー網を構築するのではなく、他社の光ネットワークの「区分所有」で、郵政省から1種として認めてもらう作戦をとります。トヨタ自動車系の新電電(テレウェイ)が「区分所有」契約に同意し、さらにトヨタとソニーが出資して「CWC」という会社を立ち上げました(第22回)。
バックボーン回線はトヨタ系新電電から調達できましたが、各家庭やオフィスにデータを届ける「ラストワンマイル」がありません。東電の通信子会社などとの経営統合協議に入りましたが、様々な不運が重なり、結局はうまくいきませんでした(第24回)。
2003年8月、CWCは資金繰りに行き詰まり、会社更生法適用を申請しました。民事再生法でなく会社更生法を選んだのは、サービスの継続に万全を期すためでした。
NTTは最大のライバルでしたが、NTT相談役の宮津純一郎さんから声がかかり、「CWCのコンセプトは100点満点だが、インフラづくりは貧乏な会社のやることではなかったよ」との言葉を受けました(第25回)。

2008年のCWCの破綻に連動して、IIJも危機(債務超過)に陥りました。
再生のために必要なのは資金であり、鈴木氏はNTTに支援を持ちかけました。その結果、NTTグループが31%の出資比率で出資を受けました。
これを機に、IIJは、技術志向から利益重視にカジを切りました。そして、事業の主眼をインフラの整備や加入者の獲得競争から、もっと上位のサービスフレイヤーでの独自性追求に切り替えました。結果として、決算が黒字に転じました。
CWCもNTTコミュニケーションズの傘下に入りました。そして、鈴木氏がこだわり抜いて作った横浜と川口の2つのデータセンターは今でも現役で活躍中です(第26回)。

鈴木さんが前のめりでインターネットの進歩を推し進めようとするのに対し、日本のその他関係者が一歩遅れでついてきた、その辺の事情を見ることができました。
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