弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

ナイアガラの滝

2016-07-04 20:21:59 | 趣味・読書
この6月、家族でカナダ東海岸を訪問する旅に出かけました。旅のエピソードをいくつか紹介します。

まずはナイアガラの滝です。われわれはトロントに滞在し、ナイアガラの旅1日観光のバスツアーに参加しました。ツアーバスは、トロントからナイアガラ川河口までのルートはオンタリオ湖の湖畔をたどり、ナイアガラ川河口のナイアガラ・オン・ザ・レイクを経て、そこからはナイアガラ川に沿ってナイアガラの滝まで走ります。
ウェルカムセンターでバスを降りると、カナダ側の川岸は高い崖となっており、そこから川の向こう岸にナイアガラの滝を見ることができます。左にアメリカ滝、右にカナダ滝を一望にできます(下写真)。
 
左がアメリカ滝とブライダルベール滝、右がカナダ滝

 
アメリカ滝

 
カナダ滝

カナダ滝を撮した上の写真に船が2隻見えます。これが、滝のそばまで行くクルーズ船です。カナダ滝のすぐ近くにいる船は、天井部分が赤く見えますが、これは天井ではありません。展望席に陣取る人たちが来ている赤いビニールがっぱの色です。
われわれも乗船のための順番待ちに並びました。カッパを手渡されるので、下の写真のように、カッパを着て順番を待ちます。
 

クルーズ船で滝の真下まで接近し、下から見る滝の壮観は、やはりその流れに圧倒されます。静止画ではその迫力が出せないので、結局は動画撮影となりました。
下の動画は、アメリカ滝の前をほぼ通過し終わったあたりから撮影しています。

アメリカ滝

カナダ滝に近づいきました。

カナダ滝

カナダ滝を見終わり、再度アメリカ滝のそばを通過します(下の動画)。われわれはカナダ側の川岸から赤いカッパを着て乗船したのに対し、アメリカ側の川岸から出発する船があり、下の動画に出てきます。アメリカ側の船に乗船する客は、青いカッパを着ています。

アメリカ滝

アメリカ滝とカナダ滝には大きな違いがあります。アメリカ滝は、水が流れ落ちる下の部分に大きな岩石が堆積しており、滝壺がありません。それに対してカナダ滝は、逆に深い滝壺ができているらしいです。カナダ滝は100mの落差を障害なしに落下して滝壺に叩きつけるので、飛沫の雲が滝の上端を超えて高く上がっています。それに対してアメリカ滝は、飛沫が上がっているものの滝の上端までは至らない程度です。
ガイドさんによると、アメリカ人がこの状況に悔しがったそうです。もう何十年も前ですが、アメリカ滝の流れを一時的に中断し、滝の下部に堆積している巨大な岩石を取り除き、滝壺を人工的にこしらえようとしたそうです。その試みは結局失敗したらしいですが、いかにも負けず嫌いのアメリカ人らしいですね。

次に、カナダ滝のカナダ側にある、「テーブルロック」と呼ばれる展望箇所に移動しました。滝上流側の川岸のすぐ近くから、川と滝を眺めます。
下の動画は、上流側の川の流れと、カナダ滝へ落ちていく水流を捉えたものです。

カナダ滝へと流れ込むナイアガラ川

 
テーブルロックからカナダ滝


テーブルロックからカナダ滝とその向こうのアメリカ滝

下の写真、ナイアガラ川の下流が北の方向に向かっています。見えるのはアメリカ滝で、東から来た流れが滝となっています。カナダ滝は写真の右端より右側です。
 
テーブルロックからアメリカ滝

以上でナイアガラの滝の観光が終了しました。

さてここでは、ナイアガラの滝について今回仕入れた知識を書き残しておきます。

まず、五大湖とナイアガラ崖線の形成についてです。
ガイドさんのお話に加え、ウィキの五大湖ナイアガラ川ナイアガラの滝から得た知識が中心です。
ナイアガラの滝は、ナイアガラ川の途中にあります。ナイアガラ川は、エリー湖からオンタリオ湖へと流れる川です。上流のエリー湖と下流のオンタリオ湖の間には、ナイアガラ崖線と呼ばれる崖があります。崖の標高差は100m近く、高い丘陵側にエリー湖、低い平地側にオンタリオ湖が位置しています。
左下の写真は、オンタリオ湖の南岸湖畔を走るツアーバスから撮影したナイアガラ崖線です。オンタリオ湖南岸の湖畔と平行に、延々と続いています。また右下の写真は、エリー湖とオンタリオ湖を結ぶ運河の水門を撮影したものです。
  
ナイアガラの滝を作った高さ100mの崖線                運河の水門

1万年前のウィスコンシン氷河期、米国北部全体が氷河に覆われ、氷河が台地を削り、一方でその岩石を堆積しました。氷河が溶け始めると川が地形を作っていきました。五大湖とナイアガラ崖線(段丘)もこの時期に形成されたらしいです。
ナイアガラ崖線はケスタ地形を形成している、とあります。
ケスタについて調べると、「緩く傾斜し、交互に重なった硬軟の地層が差別侵食を受けた結果、非対称な丘陵が連続して形成された地形である。」とあります。ガイドさんの話と総合して理解すると、ナイアガラ崖線の丘側は硬い地層であり、崖線の低地側は柔らかい地層であり、氷河期に氷河による浸食で柔らかい側がより多くの浸食を受け、100mの落差が生じた、ということでしょうか。

1万年前に氷河期が終わると、五大湖の上の氷も溶け、5つの盆地に水が溜まって五大湖が形成されました。エリー湖が満水になると、低地に向かって流れ出し、その一つがナイアガラ川となり、オンタリオ湖へと流れを形成しました。膨大な水量の川です。
ナイアガラ川は、ナイアガラ崖線において当然のこととして滝が形成されました。崖線の標高差が100m、膨大な水量ですから、最初から巨大な滝が形成されることが約束されていました。原始ナイアガラの滝の誕生です。
そこから現在に至るまでの浸食により、1万年間で滝の位置は10km後退し、現在の位置に至ったといいます。1万年間に10km(1万m)ということは、1年に1m、百年で百mです。結構な速度です。ナイアガラの滝をヨーロッパ出身人が発見したのは何百年も前ですから、ということは、当時はナイアガラの滝が今の位置よりも何百mも下流にあったということでしょうか。
しかし実際はそうではないらしいです。
現在の浸食後退速度は、1年で3cmということです。毎年1mと3cmでは大きな違いです。一体何が起きたのでしょうか。
ウィキによると、「1950年代までは浸食により年間1mずつ上流へ移動し、浸食が続けばエリー湖に埋没してしまうため、カナダ滝の落下水量を馬蹄形全体に均等化する工事が60年代にかけて行われ、現在、浸食スピードは年間3cm程度に抑えられている」と書かれています。しかし、水量が1/30に減ったのならいざ知らず、この記載程度の工事で、年間速度が1mから3cmに減るとはとても思えません。水力発電のための取水で滝の水量が落ちたことも原因といわれていますが、それにしても発電の分水で水量が1/30に落ちたら、観光地としてのナイアガラの滝が成り立たないはずで、これも考えづらいです。

ナイアガラの滝付近におけるナイアガラ川の地形を考えると、滝の下流側は南から北に流れているのに対し、滝の上流側は東から西に流れています。滝の位置で流れが直角に変わっているのです。
ナイアガラ崖線の丘側が固い地盤であるといっても、その硬さにも段階があり、ナイアガラの滝の下流部分は比較的軟らかい地盤だったのではないでしょうか。そして、滝が浸食で10km後退して現在の位置に至ったとき、川の方向は南北方向から東西方向に転針します。そしてその上流側(東側)が固い地盤だったのではないでしょうか。即ち、現在の滝は、固い地盤の始まりの位置なのではないか、と推測しました。
1万年前に出現した滝が南へ向けて後退し、今から数百年~千年前、現在のアメリカ滝の位置に達しました。東へ後退するアメリカ滝が形成されましたが、アメリカ滝上流側(東側)の地盤が固いので、アメリカ滝は後退を止めました(1年に3cm)。一方で、現在のカナダ滝になるべき原カナダ滝は、当初はアメリカ滝のすぐそばにありましたが、その後も南へ後退を続け、現カナダ滝の位置まで到達しました。ここでカナダ滝も後退方向が東側に曲がり、地盤が固くなり、急に後退速度が低下しました。

以上のように考えると、辻褄があった説明ができます。いかがでしょうか。
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