弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

堀越二郎著「零戦」角川文庫

2013-09-04 19:52:33 | 趣味・読書
宮崎駿監督「風立ちぬ」以来、世間でも零戦が注目されているし、私も零戦と堀越二郎氏についていろいろと知識を掘り起こしているところです(「風立ちぬ」~逆ガル~堀越二郎氏堀越二郎氏と零戦)。
零戦に関して過去に私が読んできた書籍は、以下のようなものでした。
柳田邦男著「零式戦闘機 (文春文庫 や 1-1)」、柳田邦男著「零戦燃ゆ〈1〉 (文春文庫)(1~6巻)」。
また、読まずに本棚にしまってあった本として、堀越二郎・奥宮正武著「零戦 (1975年)」があります。
今回、これら書籍を読み返そうとしたのですが、どれも字が小さすぎて、老眼には酷であることが分かりました。一方、昨年末に発刊された以下の新刊があるということで、今回はこの本を読んでみました。
零戦 その誕生と栄光の記録 (角川文庫)
堀越二郎
角川書店(角川グループパブリッシング)

だいたいにおいて、過去に読んだ本から得ていた印象を再確認しました。
1937(昭和12)年に十二試艦戦として零戦の開発が開始されたときから、1945(昭和20)年の終戦まで海軍の主力戦闘機であり続けた零戦の悲劇の結末まで、一言でくくった印象として、私は「風立ちぬ」~逆ガル~堀越二郎氏におけるコメントとして以下のように述べました。
『零戦は、以下のような前提の元で計画されたと理解しています。
1.1000馬力の非力なエンジン
2.パイロットの卓越した技能
3.無意識で「短期決戦」と思い込んでいた。

1000馬力エンジンの足かせは、結局太平洋戦争の終結まで日本を束縛し続けました。
太平洋戦争劈頭までは、相手側も同じ1000馬力級のグラマンF4Fワイルドキャットでしたから、零戦が圧倒的に優位に立ちました。ところが2000馬力級のグラマンF6Fヘルキャットが主力に取って代わると、もういけません。
本来あそこで、日本海軍も零戦から2000馬力級の新鋭戦闘機にバトンタッチしなければならなかったのですが、後釜が育たず、じり貧となりました。

十二試艦戦の仕様が海軍から提示されたとき、とにかく運動能力・旋回能力さえ優れていれば、パイロットの卓越した技能と相まって敵を圧倒するので、防備は必要ない、というスタンスでした。確かに開戦劈頭はその通りだったのですが・・・。
ヘルキャットが登場して零戦が被弾し始めると、日本軍はパイロットの救命を考えず、基地に帰還できないとなると自爆していきました。そして戦争は短期決戦どころか長期持久戦となり、ベテランパイロットが消耗すると2番目の前提が崩壊します。

じゃあどうすれば良かったか、結局、「アメリカ相手に戦争をおっぱじめたことがすべての敗因」に行き着いてしまいますが。』

堀越氏の見解もだいたい私の上記見解と一致しているようです。

一部、例えばグラマンF6Fヘルキャットと零戦との対比において、堀越氏は「1対1の空中戦では、なお零戦のほうに勝味があった」と述べています。実態はどうだったでしょうか。
「1対1であれば零戦の方が優位だった」の前提として、零戦はベテランパイロット、ヘルキャットは普通のパイロットであった可能性があります。
また、実際の空戦では、数の上で米軍が圧倒的に優っており、1対1ではなく、零戦1対ヘルキャット多数の戦いであったはずです。さらに防弾設備の違いにより、ヘルキャットは被弾しても墜落せずに基地まで帰投できるのに対し、零戦は被弾したら帰投できずに自爆する可能性が高いです。ですから、持久戦になれば零戦パイロットの消耗は激しく、戦争末期の零戦パイロットはみな新人でした。総合的に見れば「零戦はヘルキャットに刃が立たなかった」という結果だった可能性はあります。

スピットファイアといえば、第二次大戦中のイギリスを代表する戦闘機であり、バトル・オブ・ブリテンでドイツ空軍を打ち負かしてイギリス制空権を確保したことで有名です。零戦より5割がた馬力の多い水冷のエンジンをつけ、速度はスピットファイアのほうが優っていました。
太平洋戦争では、昭和17年4月のインド洋作戦において、零戦とスピットファイアが交戦しました。戦いはあっけないほどの零戦の勝利でした。コロンボの上空では零戦36機がスピットファイア、ハリケーンの数十機と戦い、スピットファイア17機、ハリケーン21機を撃墜し、味方は零戦が1機撃墜されただけでした。パイロットの技量の差が大きかった可能性はあります。

1940(昭和15)(紀元2600)年に零戦が実戦配備された後、堀越氏は、局地戦闘機「雷電」や零戦後継となる戦闘機「烈風」の設計試作を行っていましたが、烈風は候補エンジンの馬力と信頼性の不足、設計の人手不足などの障害によって完成は遅れていました。そのため昭和18年以降も、アメリカがP-38ライトニング、F4Uコルセア、F6Fヘルキャットなどの新型機を大量に第一線に送りはじめたのに対して、零戦はこれらのすべてを相手として孤軍奮闘を強いられたのです。

さて、角川文庫「零戦」には、堀越氏が設計してもう一つの傑作機である九六式艦上戦闘機についてはわずかしか触れていません。従って、九六艦戦を生み出した九試単戦の1号機が逆ガル形主翼を有していたいきさつなどは、堀越二郎・奥宮正武著「零戦 (1975年)」を当たらなければならず、私の「風立ちぬ」~逆ガル~堀越二郎氏を見てください。
また、第二次大戦に関する日本の責任についてどのように考えるのかという点でも、堀越二郎・奥宮正武著「零戦 (1975年)」を当たらなければならず、その点については私の堀越二郎氏と零戦に書きました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする