弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

豪徳寺~松陰神社

2008-01-08 21:39:38 | 杉並世田谷散歩
1月6日、散歩がてら近所の神社仏閣巡りをしてきました。
下高井戸で世田谷線に乗り、宮の坂駅で降ります。最近は世田谷線もパスモが使えるので便利です。
宮の坂駅のすぐ西側に世田谷八幡宮(宮坂一丁目)があります。けっこう、参拝客でにぎわっていました。
 
           世田谷八幡宮
世田谷線の踏切を越えてすぐ東側には、豪徳寺(豪徳寺二丁目)の広い敷地が広がります。豪徳寺はもと彦根井伊家の菩提寺でした。井伊直弼の墓も境内にあります。今回はお参りしませんでしたが。
Wikipediaで調べたところ、豪徳寺は招き猫発祥の地とも伝えられているそうです。「井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたという。」(Wikipediaより)
 
    豪徳寺総門        豪徳寺三重塔
  
    豪徳寺仏殿  井伊直弼墓(一番奥)
豪徳寺のすぐ東に国士舘大学のキャンパスがあります。通りかかると、ちょうどサッカー部らしき一団がバスから荷物を下ろしている最中でした。


国士舘大学を過ぎると、その東に松陰神社(若林四丁目)があります。
吉田松陰は、1859年、安政の大獄に連座して伝馬町牢屋敷で刑死しました。遺骸は千住小塚原回向院に葬られましたが、4年後の1863年、松蔭門下生の高杉晋作、伊藤俊輔らによって世田谷若林のこの地に改葬されました。このあたりは、旧毛利藩主の別邸だったそうです。
明治15年、松蔭門下生らによって社を築いて松陰神社としました。現在の社殿は、松蔭没後50年祭を記念して昭和2年に造営されたものです。
 
         松陰神社
境内には松下村塾の実物大模型が建っています。
また、松蔭の墓所には、松蔭の墓碑を中心として、長州藩の烈士の墓碑が並んでいます。写真中央が松蔭墓碑、右が小林民部、左が来原良蔵です。写真には写っていませんが、さらに右に頼三樹三郎、左に福原乙之進の墓碑も並んでいます。
 
    松下村塾(レプリカ)     吉田松陰墓所
安政の大獄に連座して刑死した吉田松陰の墓(松陰神社)と、安政の大獄を起こした張本人である井伊直弼の墓(豪徳寺)が、ほとんど隣同士に並んでいるというのも奇遇です。また、松蔭が刑死した伝馬町牢屋敷は私の特許事務所のすぐそばです。それも奇遇でした。

松下村塾から烏山川緑道に沿って環七を越えると、八幡神社(若林二丁目)です。
 
         八幡神社
八幡神社でのお詣りを済ませ、北上します。代田一丁目で梅丘通りの交差点が「鎌倉橋南」という名称でした。そのすぐ北に北沢川緑道が走っています。緑道に残る欄干には、確かに「鎌倉橋」と書かれていました。
こちらで紹介したように、神田川(下高井戸四丁目付近)にも鎌倉橋があります。鎌倉時代、幕府のある鎌倉に抜ける往還には、随所に鎌倉橋と名の付く橋があったのかも知れません。

  鎌倉橋
コメント
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