弁理士の日々

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外交敗戦-谷内外務次官の研究

2008-01-16 21:27:01 | 歴史・社会
文藝春秋1月号はおもしろい記事が多いです。
歳川隆雄氏(「インサイドライン」編集長)による「外交敗戦-谷内外務次官の研究」も読み応えのある記事でした。

2005年1月に外務事務次官に就任し、2006年9月に安倍内閣が成立すると、安倍首相就任直後の06年10月に最初の外遊先として中国・韓国を選び、日中関係が大きく前進する成果を生みます。谷内外交の成果だと言われています

谷内氏について私が知っていた情報は、佐藤優氏経由の以下の話でした。
鈴木宗男代議士が外務省に君臨し、外務省のほとんどの幹部が鈴木氏にひれ伏した当時、谷内氏は「僕は鈴木さんに謝らないよ」との態度を堅持したそうです。確か、チェチェン問題への対応で外務省幹部と鈴木代議士の見解が対立し、最後は外務省が総崩れで鈴木氏になびいたときだったと思います。
また、谷内次官の業績を佐藤優氏が評価し、外務省から「佐藤氏による谷内次官の褒め殺しだ」との声が上がったことがありました。

谷内氏にはそのように実力も見識もあり、成果を挙げているように見えた谷内外交が「外交敗戦」と称されるようになっていると言うことでしょうか。
文藝春秋の記事を追います。

「決断力に優れ、各国との『戦略対話』を通して『アジェンダ(課題)外交』を軌道に乗せたその外交手腕は、『近年の歴代次官のなかでも、有数の大物次官』(外務省OB)との評価が高い。
 しかし、最大の懸案だったテロ特措法の期限延長を見ることなく、安倍は首相の座を自ら降りた。テロ特措法は期限が切れ、海上自衛隊の給油艦もインド洋を去った。一方で、対北朝鮮政策でも拉致問題の解決は未だ見えず、六ヶ国協議においても日本の主導権は十分には発揮されていない。そしてなにより、日本外交にとって生命線であったはずの米国との間にすきま風が吹いている。
 安倍の突然の退陣の要因として、得意としていたはずの外交、安保面での行き詰まりは大きかった。日本外交は、なぜ隘路に入り込んでしまったのか?
 その謎を、谷内正太郎という異能の外交官の姿を通じて読み解いてみたい。」

谷内氏は、外務省内の語学研修では「アメリカン・スクール」出身で条約畑を歩み、エリート中のエリートであることは明らかです。
 谷内氏の仕事ぶりを伝えるキーワードは「人遣いの荒さ」と「その能力」です。
2001年9月、9・11同時多発テロを受け、日本の対テロ政策として「新法を制定するしかない」と強硬に主張したのが、当時の谷内総合外交政策局長です。すぐさま大江博条約局条約課長を呼び、一晩で法案の草案を作成させます。そして10月29日に国会の承認を得て成立したこの法案こそが、昨年秋に期限切れとなった「テロ特措法」でした。この立法時、大江課長は傍から見てかわいそうなぐらい激務でしたが、谷内局長は絶妙のタイミングでねぎらいの言葉をかけるのです。

谷内氏の部下だった人は、「必ずしも頭脳優秀な役人とはいえない」と評します。しかし、谷内氏には学識不安を補って余りある、類い希なる胆力があったのです。

谷内次官は、自ら外交当局の事務方トップとしてリーダーシップをとり、この国をどう導くのかの大きな絵図を描こうとします。
第1:日本の外交路線を策定する上で大前提となる日米同盟の必要性を再認識させる。
第2:北方領土問題を含む、日ロ関係の打開。
 チェコ、ウクライナ、ポーランド訪問を契機として、ロシアを囲む国々との外交の幅を広げ、結果として日ロ間での次官級の戦略対話が定例化します。
第3:冷え込んでいた日中関係の打開。
 中国での反日デモが全国に飛び火すると、05年5月、谷内氏は北京へ飛びます。ここでの突っ込んだ意見交換以降、「日中総合政策対話」が開かれるようになります。

06年9月に安倍政権が誕生すると、谷内次官は安倍内閣の外交方針として四つの項目を進言します。それは「対ロシア外交」「中韓との関係改善」「集団的自衛権行使への法整備」「日本版国家安全保障会議(NSC)の設置」です。

日中関係については、06年10月に安倍首相が中国を訪問し、昨年4月には温家宝首相が訪日して日中両国首脳の相互訪問も果たされます。


「しかし、思わぬ落とし穴が待ち受けていた。それは、安倍と谷内が信じて疑わなかった米国の変心である。」
07年1月の米朝会談で、米国は北朝鮮に対して核放棄を求めるかわりに、金融制裁解除へ動き出すという衝撃的なものでした。これには、米政権内で北朝鮮強硬派が去って融和路線が台頭したこと、北朝鮮の核保有を実質的には容認するという世界戦略の転換があったこと、ブッシュの個人的な思惑、などが絡みます。
米政権内では(日本は)「拉致問題解決にとらわれすぎるあまり、柔軟性に欠ける」という北朝鮮政策への批判が強まります。
昨年9月、安倍首相とブッシュとの首脳会談の後、安倍氏はテロ特措法について記者会見で「職を賭して臨んでいく」と発言するもののその4日後に辞任を表明してしまいます。

外務省幹部は安倍政権の1年を振り返って「集団的自衛権の問題を解決できないまま終わったのだから、“谷内外交”は失敗だと思われてもしょうがない」と評価します。福田政権になって、日本版NSCも流産しました。
谷内次官は08年1月に退任して早稲田大学の教授に就任する予定で、後任次官に海老原紳註インドネシア大使を起用する案を官邸に提出していましたが、海老原嫌いの町村官房長官が反対して潰そうとしたそうです。「そのため、谷内は辞めるに辞められない状況。反谷内の西田恒夫註カナダ大使が次官になるようなことがあれば第二の“通産省四人組事件”で、外務省はバラバラになってしまうからです」(外務省担当記者)
最近の報道では、藪中氏が次期次官に内定し、谷内氏は予定通りこの1月に退任するようですね。


最近の外務省幹部にろくな人材がいない中で、谷内氏が3年間次官を務めたことは、日本外交にとって幸いだったのだろうと思います。しかし、いくら有能で余人を持って代え難くても、3年経てば交替する運命です。たった3年でできることはそう多くないのですから、そして「アメリカの変心」という外的要因が加わったのですから、これでも十分に上出来なのではないかと私は思います。
コメント
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