大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年11月23日 | 祭り

<448> 吐山の太鼓踊り

       蜜柑売る 店いっぱいの 蜜柑色

 二十三日は奈良市東部の都祁吐山町で、雨乞い踊りの一種である太鼓踊りが行なわれ、その踊りを見学に出かけた。途中、袋詰めにしたミカンをいっぱい並べて売る店の前を通った。昔ならば、買ったかもしれないが、今は夫婦二人だけの生活で、食生活の見直しもある。で、ミカンもそれほどには食べなくなった。しかし、みかんがいっぱい並ぶ店先を見ていると昔が思い出されたりして気分は動くことになる。いや、これは余談である。結局、正月には早いし、家内の意向も聞く必要があるので、気分は動いたが買わず、目的の場所に向かった。

 今日の目的は吐山の太鼓踊りである。いつもは地区内の下部(おりべ)神社の境内で行なわれるが、今日は朝から冷たい雨模様で、太鼓を濡らすことは出来ないということで、近くの吐山小学校の体育館に会場を移して行なわれた。

                                             

 この踊りは水不足に悩まされていた昔、岳(だけ)に登って天神(龍神と思われる)に雨を降らせてもらうように太鼓を打ち鳴らして踊ったのが始まりであると言われ、雨が降らず困っているときに行なわれたので、いつといった決めている日はなく、不定期に行なわれて来た踊りであるが、潅漑が行き届いた近年は雨乞いをすることもなくなったことから、新嘗祭の日に当たる勤労感謝の十一月二十三日に行なわれるようになったという。

 今日は旧吐山村の九垣内(地区)を代表して五基の太鼓が持ち出され、青と赤の大きな垂(しで)が振られ、囃し手の音頭に合わせて次々に太鼓踊りが披露された。男衆を中心に、吐山小学校の児童や都祁中学校の生徒たちが加わり、踊るように太鼓を打ち鳴らした。天気がよければ、近くの下部神社で奉納という段取りだったが、今日は体育館で行なわれ、披露の形になった。

                                              

 踊りが始まると、館内に太鼓の音が響き渡り、岳に登って太鼓を打ち鳴らし踊って天神を驚かせ雨を降らせたという昔が思われた。江戸時代には既に行なわれていたようで、岳信仰の一つの形ではなかろうかと思われる。踊りは徐々に変化し、一時は中断もあったようであるが、復活して昔の面影を今に引き継ぎ、貴重な伝統の行事として奈良県の無形民俗文化財に指定されている。ところで、この太鼓踊りも、最近は参加する若い衆が少なくなり、七基の太鼓が今年は五基の登場になった。

 昔は大人ばかりでやっていたが、最近は踊り手が少なくなるのにともない保存会を立ち上げ、小学生にも参加を求め、今年からは中学生も加わり、女子の踊り手も見られるようになり、町ではこの伝統行事を絶やさないように努めているのがうかがえる。言わば、この山間の都祁吐山町にとって、太鼓踊りは単なる昔の行事ではなく、地域の絆に大きく関わっていることが言えるようである。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿