大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年08月13日 | 万葉の花

<346> 万葉の花 (28) かたかご (堅香子)=カタクリ (片栗)

       片栗の 花に日差しの 暖かさ

   物部の八十少女(やそをとめ)らが汲みまがふ寺井の上の堅香子の花                         巻十九 (4143) 大伴家持

 集中に堅香子(かたかご)が登場するのはこの家持の一首のみである。この歌は家持が越の国(富山県)に赴任していたときに詠んだ歌であることはその作られた年代によって明らかで、題詞に「堅香子草の花を攀ぢ折る歌一首」とあるから、この堅香子は北陸地方に見られる草花であることがわかる。

 この堅香子については、現在言われるところのカタクリであるというのが定説になっている。これは二つの名が似ているというだけでなく、カタクリの主産地である北国の地方名にカタカゴ、カタカコ、カタコ、カタゴなどの名が見えるのが決め手になっている。

 物部(もののふ)は宮中百官を表わす言葉で、八十(やそ)にかかる枕詞として用いられ、多いという意を表しており、歌は「多くの少女たちが汲みに来てにぎわっている寺の井戸のそばにはカタクリの花が咲いている」というほどの意で、少女たちと群がって咲くカタクリの花が一景に描写され、詠まれているのがわかり、当時の生活の一端がうかがえる。

 ここで言う「八十少女」とは、一人や二人ではなく、多くの少女ということを誇張して言っている言葉で、五、六人であっても決しておかしくはないと思う。井戸の周りが少女たちでにぎわっている様子を伝えている春の麗しい光景が浮かび上がる。これを言葉の意味通り五十人、百人という具合に解するならば、この歌の趣は台無しになってしまおう。

 家持はその群れて咲くカタクリの一本を折り取りながら、この歌を作ったことが題詞の意味するところである。つまり、即詠とまではいかないまでも、実景をもってこの歌は詠まれたものであると言ってよい。で、この歌の趣は、堅香子の花、つまりカタクリの花が一本二本咲いているのではなく、群落をつくって生えるところにその実景があると言える。言わば、その群がって咲くカタクリの花と井戸の周りに集まって来る少女たちとの明るくも楽しい共演が歌の中で展開し、北国の春の情景を伝えているということが出来る。

 カタクリはユリ科の多年草で、全国的に分布するが、殊に北国に多く自生することで知られ、大和では平地に野生は見られず、葛城山や金剛山にその群落が見られる程度である。葛城山や金剛山のカタクリが完全自生のものか、誰かが持ち来たったものが野生化したものかは定かでないが、自生として扱われている。しかし、だとすれば、大和高原の一角に自生するスズランや五條市西吉野町に自生するフクジュソウのように保護対象として扱われてもよさそうであるが、天然記念物にも指定されず、そのようにはなっていない草花である。因みに、カタクリは奈良県のレッドデータブックでは絶滅危惧種にあげられている。

                                                                 

 とにかく、カタクリの大和での野生は珍しく、万葉当時、都人でこの花を知る人は家持を除いてほかにはごくわずかしかいなかったのではなかったかと想像される。この歌は『万葉集』の名歌に数えられているが、彼が越の国に赴任していなかったら生れていない歌であることが思われる。カタクリは春が待ち遠しい雪深い北国にその春を告げて淡紅紫色の花を咲かせる歓びの花である。花は日差しを受けて六花被片を反り返らせ、春の陽光によく応える花で、その花の群落は素晴らしい眺めである。昔はカタクリの鱗茎から採った澱粉で片栗粉を作ったが、今はジャガイモなどで代用されている。

 この歌は先にも述べたが、待ち兼ねた春の明るい情景を詠んでいる歌で、家持の代表作の一つであるモモの花の歌と重ね合わせて鑑賞することが出来る。ともに、少女を伴っているのが何とも春の感じにふさわしい。巻十九の4139番の次の歌がそれである。

   春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女(をとめ)

 この歌は、天平勝宝二年三月一日に詠まれた歌で、この歌も越中守として越に赴任時の作である。家持は越に五年ほど滞在しているが、その間に二百首以上の歌を遺し、このモモの花の歌やカタクリの花の歌など『万葉集』を代表する名歌をものにしたのであった。また、堅香子の花にも言えるが、家持が植物に心を寄せて作歌していることも、この越の国に滞在していたことによって培われた一つの傾向と言えそうである。その結果、都では触れ得なかったカタクリが万葉植物としてあげられることになったのである。 写真は左が葛城山、右が金剛山のカタクリの花(標高九〇〇メートルから一〇〇〇メートル付近)での撮影。

                                                                           


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