<769> 感受の記 (2)
感受の記 あるは精神(こころ)を求むるに 生れし一首 玲瓏とこそ
強い西日が当たると、山並はその輪郭の内にくきやかな襞を見せる。人物でもそれが言える。強い光が当てられると、その人物像はくきやかに浮き立って見える。その姿が美しく好意をもって見られるかどうかは、その像自身の姿に負うところがある。
私たちはその像に対して、美しさを求める場合と、醜さに寄る場合がある。前者の場合はその像によって私たちも同じ美しさに浸りたいと思う。一方、後者の場合は、その像を否定し、憎むことによって自分を優位に置きたいという衝動に駆られる。ここにいう「感受の記」の歌群はすべて前者の立場を意識して詠んだものである。では、以下に、「感受の記」の続きを。 写真はイメージ。左からコップの水、ヤブツバキ、雨。
パスカルの言葉ありけり 透き通る目覚めのコップ一杯の水
負け戦ばかりのやうで心にはミケランジェロのピエタの祈り
大和なる会津八一のかなの歌 面影うつすそこはかとなく
あまたあり あまたの中にひとりあり ひとりの中の明石海人
みなすべて生まれ故郷をめざすべし パブロ・ピカソのGuernicaのごと
子規に斯くありけり 椿 子規堂のその一隅の緋は生の色
人を産み人を育みたる風土 例へば太宰治の津軽
半ばにて倒れしもののその思ひ 思へば西郷隆盛(さいごうどん)の胸板
自由とは幽閉されてなほもあるものなり 吉田松陰の意志
朧月よしこの一夜(ひとよ) 業平はかかる夜にして思ひしならむ
フランソワーズ・サガン十八歳の性 小禽の羽のごとき言葉よ
雨の朝雨の街角 永遠にジェ-ムスデイ -ンは二十四歳
この後を歌ひ継ぐべき言葉とは、我がランボオは秋の夕暮
生と死と罪と罰とをいふ中也 詞(ことば)はいはば精神の嵩
基次郎ゆかりの檸檬置かれゐる白昼夢なる我が卓上に
脚よりもなぜか心に残りたるカール・ルイスの眼の光
光秀の踵を返すその覚悟 誰かがそれへ「もしも」を言へる
人麻呂の刑死説読む冬の夜 鷺鳴き渡りしんしんと冷え
司馬遷の話に及ぶ冬の夜 史記にかかはるそれやそのこと
真実は人の心の奥の奥 つらつら思ふに塚本邦雄
水さび田に雨しとしとと降りゐたる 斎藤茂吉の眼鏡を染め
漱石と鴎外そして龍之介わたしはどこまで知ってゐるのか
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