大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年02月12日 | 植物

<2595> 大和の花 (722) ガンピ (雁皮)                                                 ジンチョウゲ科 ガンピ属

        

 山地の明るい林下や林縁に生える落葉低木で、高さは1メートルから2メートルになる。樹皮は濃褐色で光沢があるのが特徴。葉は長さが大きいもので8センチほどの卵形で、先は鈍く尖り、縁に鋸歯はなく、ごく短い柄を有し、2列に並ぶように互生する。枝や葉には伏した絹毛が密生する。

 花期は5月から6月ごろで、側枝を出さない本年枝の先に頭状花序を出し、淡黄色の細い萼筒の花を多いもので20個ほど集めて咲かせる。萼筒は長さ8ミリほどで、先が4裂し、外面には伏毛が密生する。核果の実は枯れた萼筒に包まれ、中に紡錘形の黒い核がある。

 本州の東海(静岡県)、北陸(石川県)地方以西、四国、九州に分布する日本の固有植物で、砂質地や岩石地、殊に蛇紋岩地に多く、大和(奈良県)では低山帯で広く見られるが、それほど多くない。近くでは王寺町の明神山(274メートル)の山頂付近で観察出来る。

  ガンピの樹皮は強靭で光沢があり、上質和紙である雁皮紙に用いられる。この樹皮の靭皮(じんぴ)繊維は奈良時代から知られ、斐紙(ひし)の名で正倉院文書や『延喜式』などに見える。ガンピ(雁皮)の名は、一説にその斐紙の原料であるガンピを紙斐(かみひ)と言い、この「かみひ」が「かにひ」に訛り、更に「がんぴ」になったという。

  雁皮紙は丈夫で、耐久性に富み、虫の害に強く、薄く出来るうえ筆の乗りがよいとして知られ、中世に現れた紙質が滑らかな鶏卵のような淡黄色の鳥の子紙は名高く、「紙の王」とも呼ばれるに至った。このように製紙に関わることからカミノキ(紙の木)の別名でも呼ばれる。 写真はガンピ。花期の姿(左)、花が見られる枝(中)、花のアップ(右)。 

   縁あり因果ありてふこの世観わが視野にして見ゆる風景

 

<2596> 大和の花 (723) コガンピ (小雁皮)                                       ジンチョウゲ科 ガンピ属

          

 日当たりのよい山野の草原に生える落葉小低木で、高さは大きいものでも1メートル足らず、草本かと見間違うような個体も見られる。樹皮は赤褐色で、枝には白い伏毛が密生し、毎年基部を残して枯れる。葉は長さが2センチから4センチの長楕円形で、先は尖らず、縁に鋸歯はなく、極めて短い柄を有し、互生する。

 花期は7月から8月ごろで、枝先に白色乃至淡紅色の花を多数つける。花は長さが1センチ前後の先が4裂する萼筒からなり、萼筒の外面には伏毛が見られる。核果の実は萼筒に包まれる。その名は小さいことによるもので、イヌガンピ(犬雁皮)の別名もある。別名については樹皮が脆く、和紙の原料にならないことによるという。

 本州の関東地方以西、四国、九州に分布し、台湾にも見られるという。大和(奈良県)では自生地が極めて少なく、県のレッドデータブックには希少種としてあげられ、山地の草原が減少しているのが一因であろうとしている。ところで奈良市の若草山には異常に多く、群生するほどで、これはシカの忌避によるものと見られている。曽爾村の曽爾高原では一時姿を消していたが、最近、わずかながら復活している。

 写真はコガンピ。シカの糞が散らばる草地に生える若草山の個体(左)、花が見える曽爾高原の若い個体(中)、枝の上部に集まって咲く花のアップ(右)。  選ばれしものと選ばれざるものとありけるこの世定めか知らず

<2597> 大和の花 (724) ミヤマガンピ (深山雁皮)                               ジンチョウゲ科 ガンピ属

         

 日当たりのよい標高の高い山地の岩場に生える落葉低木で、高さは大きいもので1メートルほどになる。樹皮は紫褐色で、本年枝は側枝を出さず、普通紫紅色を帯びる。葉は長さが1センチから3センチほどの卵形で、先は鈍く、縁に鋸歯はない。また、無毛で、表面は緑色、裏面は緑白色。極めて短い柄を有し、対生する。

 花期は5月から7月ごろで、本年枝の先に普通白い花を2個、ときに1個から4個つける。花は細長い萼筒で長さは1センチほど。先が4裂し、筒の外面は無毛。核果の実は長さが1センチほどの楕円形で、萼筒に包まれる。

 本州の紀伊半島、四国、九州に分布する日本の固有種で、襲速紀要素系植物の分布域に見られる。大和(奈良県)では極めて限られた大峰、台高山脈の標高1500メートル以上の岩場に見られ、個体数もわずかで、奈良県では絶滅寸前種に、環境省でも絶滅危惧Ⅱ類にあげている。本種は植物にとって劣悪な環境と思える岩場に生える植物の1つである。別名ヒオウ。 写真はミヤマガンピ。大台ヶ原の個体(左・中)、釈迦ヶ岳登山道の個体の花のアップ(右)。  生かされてある身の生きる姿あり生の数々さまざまに見え

<2598> 大和の花 (725) ミツマタ (三椏・三叉・三俣)                      ジンチョウゲ科 ミツマタ属

               

 中国中南部からヒマラヤにかけて自生分布する落葉低木で、高さは2メートルほどになり、よく枝を分け、半球形の樹形になる。この枝は三つの股に分枝するのでミツマタの名の由来とされる。樹皮は黄褐色で、甚だ強靭な繊維質であるため、コウゾ(楮)やガンピ(雁皮)とともに昔より製紙の原料として用いられて来た。

  葉は長さが5センチから20センチの長楕円形乃至披針形で、先は尖り、基部は長いくさび形になる。縁に鋸歯はなく、両面に絹毛が生え、1センチ弱の短い柄を有し、互生する。花期は3月から4月ごろで、葉の開出前に枝先の頭状花序に小さな花を多数集めてハチの巣状につける。花は両性で、花弁はなく、萼筒が花弁のようになり、先が4裂し、一個の雌しべと8個の雄しべを持つ。萼筒の外面は白毛に被われ、内面は無毛で、明るい黄金色に彩られ、芳香がある。核果の実は夏に熟し、枯れた萼筒に包まれる。

 ミツマタはいつごろ渡来したか、室町時代やもっと古い時代とするなど諸説あるが、『万葉集』の次の歌に見られる三枝(さきくさ)にミツマタ説が有力で、この時代には既に渡来していたのではないかという。だが、三枝にも諸説あるので、渡来の時代は不明とするのが妥当かも知れない。

          春さればまづ三枝の幸くあらば後にもあはむ恋ひそ吾妹                   (巻10・1895・柿本人麻呂歌集)

 これがその歌で、意味は「春になればまず咲く三枝のように無事でいたならば、のちにも逢うことが出来よう。そんなに恋焦がれないでおくれ、わが妹よ」となる。春咲く三枝、つまり、春に花を咲かせるミツマタがまず候補にあげられたという次第で、万葉植物にあげられている。

 それはさておき、ミツマタは製紙の原料として高く評価され、今にある。コウゾとガンピが奈良時代から和紙の原料に用いられて来たのに対し、ミツマタはずっと時代が下って江戸時代の天明年間(1781年から1788年)に駿河国(静岡県)で駿河半紙を作ったのが最初であると言われる。

 ミツマタの和紙は、コウゾに比べ、繊維が白く、軟らかで、弾力性に富み、光沢があって美しく、紙幣、証券、印紙などに利用され、栽培も行われ、中国、四国地方が産地として知られるようになった。大和(奈良県)では大峰山脈の南の主峰釈迦ヶ岳の登山口に当たる下北山村前鬼にミツマタの純林が見られる。これは宿坊の住人が植えていたハチクが開花結実して枯死した後に生え出したとのことであるが、集落があったころの植栽起源と思われる。春には香りのよい花を一面に咲かせる。

 写真はミツマタ。一面に咲くミツマタの純林(左)、芳香のある花で埋まる純林(中)、花のアップ(右2枚)。いずれも下北山村前鬼の釈迦ヶ岳登山口。また、早春に咲く花は明るく、社寺の庭や公園、民家の庭先などにも観賞用に植えられることが多く、園芸品種に花の赤いアカバナミツマタ(赤花三椏)がある。 時は過ぎ移ろひゆくが世の常の姿なりしに身を置く定め