「公」(おおやけ)は「私」の反対語で、「おおやけ」の語源は「大きい宅」です。すなわち大きい邸宅を持つ者、皇居・朝廷や「お上」などで、それが発展して「公共」を意味します。日本人は伝統的に「お上」に従順であり、「公」が「私」に優先されてきました。そのためか、日本では外国から見ると奇跡といわれる程に汚職が少ないようです。
一方、「公」を英語でいうとpublicですが、publicの語源に「人々」という意味があり、日本人が「公」を「お上」や「権力」と考えるのと、ニュアンスがやや異なります。
近頃、「公」の一面である「正確な記録を残す」という点で、「公」がないがしろにされる傾向もあります。その理由として、ある歴史学者は、「近年、幼い頃から、身近な人にとっての損か得かで考える経済競争に染まっているからではないかと。それでは大局を見ることができなくなっている。ある意味、怖いこと」と警告しています。「政治や行政が小さな共同体での利益を図る、いわゆる忖度共同体に成り下がっている。ここだけが良ければいいという空気が今、漂い過ぎている」と言う識者もいます。
一方、「公」を英語でいうとpublicですが、publicの語源に「人々」という意味があり、日本人が「公」を「お上」や「権力」と考えるのと、ニュアンスがやや異なります。
近頃、「公」の一面である「正確な記録を残す」という点で、「公」がないがしろにされる傾向もあります。その理由として、ある歴史学者は、「近年、幼い頃から、身近な人にとっての損か得かで考える経済競争に染まっているからではないかと。それでは大局を見ることができなくなっている。ある意味、怖いこと」と警告しています。「政治や行政が小さな共同体での利益を図る、いわゆる忖度共同体に成り下がっている。ここだけが良ければいいという空気が今、漂い過ぎている」と言う識者もいます。
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