山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘14年 北陸・関西・中四国への旅 レポート <第2回>

2014-11-10 08:13:39 | くるま旅くらしの話

【今日(11/10)の予定】 

  道の駅:あらい →(R18・R8他)→ 春日山城址探訪(新潟県上越市) →(R8・R160)→ 道の駅:氷見(富山県氷見市)(泊)

 

【昨日(11月9日:日)のレポート】天気:雨  走行356km

<行程>

自宅 →(R294他)→ 真岡IC →(北関東道・東北道・上信越道)→ 須坂長野東IC →(R18他)→ 道の駅:しなの →(R18)→ 道の駅:あらい(新潟県妙高市)

<レポート>

 旅の初日は雨の出発だった。家を出てから栃木県の真岡市で北関東道に入るまでには止むかなと期待していたのだが、現実はその逆で、時間が経つにつれてますます雨の勢いは強くなり、これはもう今日はダメなのだと諦めた。しかし、雨降りというのは必ずしも不利ではなく、真夏のカンカン照りよりは車への負担は少ないように思う。とにかく無理をしない走りをしようと、それだけを心掛けることにした。

 今日は只ひたすら移動するだけなので、特に書くようなこともない。北関東道から東北道に入り、もう一度北関東道に入って、高崎から上信越道に入り、横川SAで昼食。横川の名物は峠の釜めしだが、これは元は碓氷峠下のJR横川駅の駅弁だった。今はその駅も無くなり、駅弁だけが生き残っている。相棒だけがこれを仕入れて食べて、自分は鶏めしというのを食べることにした。今回は旅の間の過食に注意することにしている。なるべく外食を避けようと思っているけど、初日はどうしてもこのようなことになる。

     

横川SAを出た後の浅間山方面に向かう山間部は、すでに紅葉が頂点近くに達していた。この雨では鮮やかさが見られないのが残念である。

その後も高速道を走り続けて、この分だと小布施には14時半ごろには着いてしまいそうなので、予定を変更して須坂長野東ICで下りて、一般道を走ることにした。R18を行って、信濃町の道の駅を目指すことにする。長野市内は相変わらずの混みようで、通過するのに結構時間がかかった。ようやく通り抜けて、郊外のリンゴ園でリンゴを少し買う。果糖も摂り過ぎは問題があるので要注意である。この辺りは道の両側にリンゴ園が並んでいりリンゴ街道である。丁度いい色合いのリンゴがたわわに実っていた。

       

長野市郊外を走る国道18号線の両側には、たわわに実ったリンゴ畑がずーっと続いていた。

 15時少し前に道の駅:しなのに到着。天気は相変わらずの小雨模様で、ガスがかってまるでもう夜の中にいるような感じだった。気温も8℃と一桁レベルの寒さだった。ここに泊るのも少し早過ぎると思い、少し先の妙高市にある道の駅:あらいまで行って泊ることにした。黒姫山や妙高山への登山基地的な存在のこの辺りは、もうすっかり秋の装いをして、冬将軍の到来を待っている感がした。間もなく道の駅:あらいに到着する。ここはすぐ傍を走る高速道とつながっており、幾つもの売店が揃っているため、駐車場はかなり混雑していた。今日は既に356kmも走っているので、早めに休むことにする。

 

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‘14年 北陸・関西・中四国への旅 レポート <第1回>

2014-11-09 08:08:36 | くるま旅くらしの話

【今日(11/9)の予定】 

  自宅 →(R294他)→ 真岡IC →(北関東道・東北道・上信越道)→ 小布施PA(長野県小布施町)(泊)

 昨日出発の予定が、一日遅れとなりました。これを書いているのは、まだ出発前の時点であり、取り敢えず今日予定している行程だけを記すことにします。予報では関東地方も、これから行く信越地方も今日は雨のようで、どうやら出発日の天気にはあまり歓迎されてはいないようです。

今日の予定は、家を出てから1時間ほど走って、栃木県の真岡市から高速道に入り、その後は一路長野県の長野市北東部にある信越道の小布施ICまで行き、今日はそこに泊るつもりでいます。でも調子が良ければ、何処かで一般道に入り、適当な道の駅などで泊るかも。さて、どうなりますことやら。気を引き締めて、安全と健康第一で出掛けることにします。

      

出発を待つSUN号。先日東北道の不幸な大事故があったので、道路状況には細心の注意を払って、安全運転に努めることを誓う。

 出発の前に、我が家では2年ぶりに皇帝ダリアが咲き出しました。昨年と一昨年は、もう少しで蕾が膨らみ出す頃、台風の強風を喰らって倒れて折れてしまい、せっかくの楽しみを不意にされてしまいました。今年は出発に間に合うかと心配でしたが、昨日から蕾が開き始め、秋空を彩ってくれています。旅から戻る12月には、霜なども降りる寒さとなることでしょうから、もう花を見ることは無理だと思います。今日は雨降りでも、この花と孫たちに送られて、まずまずの出発が出来そうです。間もなく出発です。

   

一昨日から咲き始めた皇帝ダリア。草丈が4メートル近くもあり、見上げる大きさだ。3年ぶりの開花なので、今年は精一杯思いっきり咲いて欲しい。

 

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秋の旅に出かけます

2014-11-06 16:05:40 | くるま旅くらしの話

気が付けば早や11月。秋も急速に深まり出しています。このところ今年の北海道の旅を思い出しながら、拾った幾つかのテーマを反芻するなりの日々を過ごしていましたが、旅の虫はなかなか眠りに就くわけもなく、居ても立っても居られない気分になって、今週末から再び旅に出かけることにしました。

本当はもっと早く出掛けるべきでしたが、一通り普通の暮らしの始末をしておかないと、世の中から除け者にされてしまうかも知れず、家の周りの除草や生垣・植木などの手入れ、或いは畑の手入れなど雑用は果てもなく飛び込んできて、これらのしがらみを振り切るのが大変でした。それらもようやく一段落し、北海道の旅で油断して興奮したらしい糖尿君の高い数値もようやく元のレベルに復帰する気配を見せ始めましたので、待ちかねての秋の旅に出かけることにしたわけです。

さて今回の旅は、最近では珍しく予楽というか、事前の計画を細かく考えました。行き当たりばったり主義をちょっとストップして、行程表もイメージレベルではなく、より具体的なものを作りました。それらのすべてを紹介することはできませんが、とりあえず概要のみをお知らせしたいと思います。

先ず、今回の旅の名称は、コースのアウトラインを示すものとして「北陸・関西・中四国への旅」としました。それぞれのエリアのすべてを包含するわけでもなく、正確性には欠けますが、一応の旅のコースを示してはいると思います。11月の8日に出発して、信州・越後経由で日本海側の北陸エリアを辿って裏京都の先の但馬エリアから山陽の播磨側に出て、岡山から瀬戸中央道で四国に渡り、瀬戸内側を宇和島まで行き、引き返して今治からしまなみ海道(=西瀬戸道)を通って広島県の呉まで行って引き返し、岡山エリアに戻って中国山地を越えて山陰側に出て島根県の安来まで行って引き返し、山陰側を福井エリアまで戻ってから琵琶湖の脇を通って、奈良から和歌山県の有田まで行き、又引き返して奈良から名古屋に向かい、東海道経由で我が家に戻るという、真に書けば長い行程です。(地図の記載方法がわからないので、興味のある方はご自分で地図を辿ってみてください)

帰着は12月の10日ごろまでとしています。いつもは帰着日を決めるのを優先しているのですが、今回は余裕日を1週間ほど含めての計画としましたので、アバウトとなりました。

旅の目的は大きく分けると三つほどになります。いずれも国の指定する文化財の中に入るものですが、①重伝建(=重要伝統的建造物群保存地区の探訪②重文景(=重要文化的景観)の探訪③城郭等の史跡の探訪の三つとなります。これらの探訪の背景には、生きている間に、自分が生まれ育ちこれまで暮らして来た、この日本国という所を、もう少しよく知ってあの世に行きたいという、柄にもないささやかな願望がこの頃芽生えて来たからなのです。それらの願望に一番応えてくれるのが、文化財と呼ばれるものの探訪なのだとこの頃は思いこんでいます。これら三つの他にも文化財は何種かありますが、勿論ついでがあれば、それらも旅の中で触れて行く考えです。特にこの三つは日本国の昔を自ずと語っているところがあり、興味は尽きることがありません。

今回の主な探訪先として、次のような場所を考えています。区分別に紹介することにします。

<重要伝統的建造物群保存地区>

 ○富山県高岡市山町筋(商家町)

 ○富山県高岡市金屋町(鋳物師町)

 ○石川県加賀市加賀橋立(船主集落)

 ○石川県加賀市加賀東谷(山村集落)

 ○京都府与謝野町加悦(製織町)

 ○奈良県五條市五條新町(商家町)

 ○和歌山県湯浅町湯浅(醸造町)

 ○鳥取県倉吉市打吹玉川(商家町)

 ○岡山県津山市城東(商家町)

 ○岡山県高梁市吹屋(鉱山町)

 ○広島県呉市豊町御手洗(港町)

 ○広島県竹原市竹原地区(製塩町)

 ○香川県丸亀市本島町笠島(港町)

 ○愛媛県西予市宇和町卯之町(在郷町)

 ○愛媛県内子町八日市護国(製蠟町)

<重要文化的景観>

 ○滋賀県近江八幡市:近江八幡の水郷 

 ○滋賀県高島市:海津・西浜・知内の水辺景観

 ○滋賀県高島市:針江・霜降の水辺景観

 ○奈良県高市郡明日香村:奥飛鳥の文化的景観

 ○愛媛県宇和島市:遊子水荷浦の段畑

<城郭等の史跡>

  ○新潟県上越市:春日山城址

 ○福井県坂井市:丸岡城

 ○福井県福井市:一乗谷遺跡

 ○兵庫県朝来市:竹田城

 ○兵庫県赤穂市:赤穂城址

 ○香川県丸亀市:丸亀城

 ○愛媛県大洲市:大洲城址

 ○愛媛県宇和島市:宇和島城

 ○愛媛県松山市:松山城

 ○岡山県高梁市:備中松山城

 ○岡山県津山市:津山城址

 ○島根県安来市:月山冨田城

 ○鳥取県倉吉市:打吹城址

 ○鳥取県鳥取市:鳥取城址

 ○兵庫県豊岡市:出石城

ざっと書いただけでこんなにもなり、少し欲張り過ぎている感は否めません。1カ月と少しの期間にしては多すぎるかもしれません。でも、まあ、研究するというのではなく、ざっと本物が何かというのに触れて見たいだけなので、理解が浅くてもいいのだと思っています。単なる名所観光めぐりの旅であっても一向に構わないのですが、この頃は少し関心対象への意識を集中して、より印象に残る旅にしたいなと思っています。

旅の様子は今まで通りブログにて紹介させて頂くつもりですが、今回からは少し内容を変えて、従前のように所感などを入れた長文を避けて、写真をより多く取り入れた、現地・実状の紹介情報等を増やすように心掛けることにします。旅先で何を感じたかなどは、追ってエッセーのテーマとして取り上げ、まとめるようにしたいと考えています。取り敢えずの予告編でした。

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二つの田んぼアート

2014-11-04 14:35:32 | 旅のエッセー

田んぼアートというのがある。予てからその話を耳にし、実際に最も有名な青森県田舎館村のその田んぼ近くまで何度も行っているのだが、残念ながらまだ一度もそれを見たことがなかった。というのも、田舎館村を訪れるのは何時も田植えをする前の時期であり、稲の植えられていない田んぼは、普通の田んぼに過ぎないからである。

今年は幸運にも二つの田んぼアートを見るチャンスに恵まれた。その一つは北海道の雨竜町(雨竜郡)の道の駅に泊った際に、近くに町の青年団の人たちが作ったという田んぼアートがあるというので、それを覗いたこと。もう一つは本家本元ともいえる田舎館村の今年の田んぼアート作品である。それらを見物した感想などを述べて見たい。

先ず、雨竜町の青年団(JA北そらち青年部雨竜支部)の作品だが、一言でいえば、良く判らなくて残念で勿体ない感じがしたということになる。田んぼには「たうえ」と茶色い稲で描かれていたので、田植の情景を表わした作品らしいのだが絵が良く判らない。想像するにどうやら子どもが笑顔で田植をしている姿のようだ。しかし、かなりの斜め下から覗いているので、今一はっきりしないのである。

   

雨竜町の田んぼアート作品。たうえと手前に書かれているが、どうやら子供が笑顔で田植えをしているらしい。せめて展望台があと2m高かったら、はっきり判るのに。

その原因は展望所があまりに低く作られているため、折角の作品を満足に俯瞰できないからなのである。3mくらいの高さしかないので、そうなってしまう。足場パイプで作った簡易展望所なのだが、それ以上の高さのものを作るのには技術的には大丈夫だとしても、費用もかかるし厳しいのかもしれない。しかし折角の作品が中途半端にしか見せられないのは、真に残念なことではないか。そう思った。

   

青年支部の人たちの手作りと思える簡素な展望台。反対側の平地から見ると、絵の方は何なのかさっぱり判らない。

こちらの田んぼは30m×80mくらいの大きさで、稲で絵を描くには植えるに適当な広さなのであろうけど、作品を見るにはより高い展望台が必要のようである。逆に現在の展望台を前提とするなら、よりコンパクトな絵を描くように植え方を工夫する必要があるのかもしれない。この辺のことは、平面に描かれた絵の大きさとそれを俯瞰する位置との関係で決まるようである。どんな立派な作品でも、規模の大きなものとなると、傍で見る限りでは何の絵何かなど見当もつかない。ペルーのナスカの地上絵だって、空の上から見て初めてそれ何かが判るのだから。

とにもかくにも雨竜町で見た田んぼ絵は、青年たちの思いを込めた作品なのに、何だかそれらが充分伝わって来ない不満のようなものが残った。しかし、もはや稲作は北海道に定着し、このような田んぼアートが可能となるほどに進化しているのは素晴らしいなとも思った。北海道の稲作は確実に進化しており、新潟を抜き去って日本一の生産地となるのは時間の問題ではないかと思っている。

9月の初めごろに雨竜町の田んぼアートを鑑賞してから10日ほど経った日に青森県を通過することになった。いつもだと帰り道は高速道のため、あっという間に通過してしまうのだが、今年は是非とも本家田舎館村の田んぼアートを見ておきたいと思い、少し遠回りして七戸町の方から八甲田山麓の山越えをしてやって来たのだった。田舎館村には昼過ぎに到着。直ぐに村役場近くにある第一会場の方へ向かった。

田舎館村の田んぼアートは、この頃は毎年大きな話題となっている。というよりももはや話題は定着しており、今年の作品は何なのかを楽しみにしているファンも多いようだ。今や全国的にもこの村の名物となっているようである。しかし、自分たちにとっては初めての本物見物だったので、会場が二つあるということもここへ来て初めて知ったことだった。

その第一会場は村の拠点である役場のすぐ傍にあった。田舎館村の役場の建物は独特の姿をしている。城郭風に作られており、遠くから見ても直ぐにあれが役場だと判るのである。一時は趣味の悪い建物だなと思ったこともあったのだが、見慣れてくるにつれて、却って日本の建物らしくて良いじゃないかと思うようになって来るのは不思議である。第一会場の田んぼアートは、その役場の庁舎の天主閣ともいえるてっぺんから俯瞰して鑑賞できるように作られていた。田んぼの傍に駐車場があり、役場まで少し歩いたのだが、傍の田んぼに何が描かれているのか、稲を見ただけでは全く判らない。

作品を描くために植えられている稲の品種が道脇に10種類ほど紹介されて植えられていた。白っぽいものから黒っぽいものまで、微妙に稲の葉の色も穂の色も違っている。これらを巧みに使って稲を植え、何かを表現するのである。稲のことを熟知していなければ、到底描くことなど不可能で、田舎館村には弥生の時代から稲作が行われてきた遺跡があり、いろいろなものが出土しているということもあって、元々その古代からの伝統に因んでこのような田んぼアートなるイベントが発想されたようである。凄いことだなと思う。

役場の入口で200円也の入場料を払って、3階までエレベーターに乗り、そこから先は歩いて展望所へ。合わせて5階くらいの高さであろうか。さて、どんなものが見られるのかと下の田んぼを見下ろしてアッと驚いた。巨大な天女らしき女性が衣をまとって雲に乗って天に昇ってゆく姿が描かれていた。その右の方の田んぼには、富士山が描かれていて、双方の絵のテーマが三保ノ松原の天女伝説を表わしていることが解る。大変なスケールの作品である。実に緻密に表現されており、天女の顔立ちや表情までが艶やかに描かれていた。富士山の描かれた田んぼとの間に道路が一本走っていて、これが野暮な邪魔立てをしているのが残念だったが、これはいた仕方ない。全体をカメラに収めようと思ったけど、あまりにスケールが大き過ぎて普通のレンズでは無理だった。しばらくその絵に見入った。

   

左側の田んぼに描かれた天女昇天の図。大き過ぎて顔の表情などを撮りきれていないのが残念だ。

   

右側の田んぼに描かれている富士山。手前の文字などが描かれている濃い赤紫の部分は海を表わしている。船が一艘浮かんでいる。芸が細かい。この二つの絵はペアになっている。

これだけのものを作るというのは、半端なことではない。植えた稲が枯れたり、病気になどなってしまったら、絵そのものがダメになってしまうのである。植えた後の面倒見も相当に慎重に心を砕いているのだと思う。それらが今実りの秋に、真に見事に稔って大地にこの村の意気込みを描いているのである。多くの関係者の人たち、そしてこの村の皆さんに拍手を送りたいと思った。日本国の食を長年支えて来た米という作物が、このような描く力を持っていたことに心底驚きを感じたのだった。そして、それを見事に引き出したこの村の情熱にもあらためて感嘆の声を上げたのだった。

   

田舎館村役場の庁舎。右側の天守閣様の箇所が展望所となっており、津軽平野一帯を俯瞰できるようになっている。

やっぱり来て良かったなと思った。雨竜町のそれとは比較すべきではないとも思った。比較すればどちらが上でどちらが下などという見当外れの評価などをしてしまうからである。敢えて比較するのであれば、前年との比較で優劣を競うべきの感じがするのだが、本家田舎舘村の場合は、それすらもナンセンスのような感じがする。最早単純にその年年の作品を存分に楽しむだけでいいのではないかと思う。

次の日は第二会場へ行くことにしたのだが、結果として行ったのは家内だけで、自分の方は欲張らないことにした。見なくても作品の素晴らしさは見当が付く。家内の話と写真を見さえすれば充分だと思った次第。果たして、戻ってきた家内の報告は予想通りだった。こちらの方は泊った道の駅の直ぐ傍に会場があり、そこにはサザエさん一家が描かれていた。こちらの作品も大作で、やはり全部をカメラに収めるのは無理だったという。

   

第二会場に描かれたサザエさん一家を描いた絵。この絵の一番右にマスオさんが描かれているのだが、大き過ぎてカメラには入らなかった。

   

第二会場近くを走る鉄道(弘南鉄道弘南線)には臨時の駅(?)なども設けられていた。この付近に弥生時代の農耕遺跡がある。

田んぼアートという如何にも日本的な発想のこの企画は、単なる遊びの芸術ではなく、それらを描き出してくれる稲という作物への感謝を込めたものでなければならないなと、改めて思ったのだった。

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旅車SUN号、19万キロに至る

2014-11-01 03:19:08 | くるま旅くらしの話

 8月20日、旅車SUN号が走行19万キロに到達した。丁度オホーツク海沿岸を北上していて、枝幸町での買い物に立ち寄った時だった。オッドメーターの19万キロに気づいたのは、それを気にして見ていたからではなく、突然インジケーターのパネルに警告灯が点ったからである。何だろうと思ったら、タイミングベルトに対する警告なのだった。びっくりするついでに気づいたのが、オッドメーターの190000という数字だったのである。おっ!と思うよりも、警告灯の方が心配になり、どう対処すればよいのか困惑した。地元の自動車さんなど全く知らないので、取り敢えずいつも整備をお願いしている守谷市の車屋さんに電話して対応の仕方を確認した。話では、19万キロになったら点灯するように設定してあり、直ぐに何か処置をしなければならないということではなく、帰宅してから交換しても大丈夫ということだった。何しろ100%の機械装置・電気装置オンチなのである。知識も技術も技能もゼロに近いので、わけのわからぬことが起こるとパニくるしかない。そもそもTベルトなどというものが何故必要なのか、どこでどんな働きをしているかなど全く知らないのだから、慌てふためくしかない。ま、話を聞いてとにかく安堵した次第。

      

走行距離が19万キロに到達したSUN号のオッドメーター。この時メーター上部のT-ベルトの警告灯が突然点灯した。機械音痴にはびっくりの大事件だった。

 ところで、19万キロという数字を見て、それなりにここまで来たかという感慨と、20万キロ到達も間もなくだなと思った。この車を購入したのは平成14年だから、今年で12年がたち、13年目に入っている。最早旅車を買い替える気はなく、我々のくるま旅の最終ゴールは、運が良ければ自分が88歳になるまでと考えており、SUN号にもそれまで付き合って貰おうと思っている。そうなると、今のペースで旅をすると走行距離は40万キロくらいになるのではないか。丁度中間点に来たなというのを実感したのだった。88歳まで、今と同じような状態で旅が出来るとは思っていないけど、願望を込めてそれを指標とするために車のナンバーを「88-55」としている。今、その半分に近づいているということなのである。

 今まで数多くの車を買い替え、乗り替えて来たが10万キロを超えるほど乗った車は一度もなかった。先の旅車も7万キロ足らずで今のSUN号に乗り替えている。普通の乗用車だと、4~5年も乗ると新しい車に心惹かれて買い替えを検討するということになるのだが、旅車となるとよほど不満がない限りはなかなかその気にはなれない。先の車を買い換えた時はそれがバンコンだったので、居住性に絡む設備や装置に問題があり、不満も多かったからなのである。SUN号に乗り替えてからはそれらの問題点は殆ど解消しており、残っている問題点といえば走行性だけである。しかし、馬齢を重ねている内に、もはや無理をしない(できない)旅が出来る世代に入ってしまっている。そうなると、車というのは普通に走ればもうそれだけで充分に満足で、余計なものは要らないという考えに落着いてくる。何よりも慣れて住みやすくなっている車を、多少設備の利便性が増すという理由だけで新車に乗り替える気にはなれない。車を乗り回すというのではなく、旅の相棒として仲良く付き合って貰うことが大事ではないかと思うようになった。尤も資金に余裕があるわけでもなく今更買い替えなどは無理だという事情もある。

 そんなことで、今の心境としては自分がくたばるかくるまがくたばるか、そのどちらかがやって来た時に旅を終えようと決めている。車の方は基幹部の機能をしっかりメンテしておけば、そう簡単にくたばることはないと思うから、結局は自分と家内がいつまで車につき合って行けるかが決め手になるに違いない。88歳まで到達できなくても、それほど文句はない。何よりも今現在の旅を存分に楽しむことこそが大切だと思っている。

 SUN号と14年の付き合いとなるが、今まで大きなトラブルといえば一度だけである。その一度というのは、左方後輪のベアリングに不具合があって、走行中に煙を吹いているのに気づき、慌ててブレーキを踏んだら、何とこれが利かないのである。ブレーキオイルのシールが破損し油が漏れて制動機能を著しく損傷していたのだった。気づいたのが交差点近くの場所で、幸いに前車がなく、エンジンブレーキでスピードを抑えていたので事故には至らなかったのだが、まさに冷や汗ものだった。そこは鳥取県の鳥取市の郊外で、全く土地勘のない場所であり、困惑を極めたのを思い出す。JAFの助けを頂いて、ようやく修理を受け入れてくれる工場を見出したのは、故障から3時間ほど経った黄昏時だった。

 この時は部品を取り寄せるのに1週間ほどかかるということなので、それが着くまでは工場脇の駐車場に車を置かせて貰い、そこを拠点としてその後3日ほど鳥取市内や近郊の観光をさせて貰って、事件を逆手にとって楽しんだのを思い出す。3日ほどで部品が届いたので、1週間もかからずに再出発をすることが出来た。旅先での旅車の故障などの不具合は、くるま旅にとっては致命傷となりかねない大事件なのだが、この時は幸いにして良い顛末となり得たのだった。今までのSUN号のトラブルといえば、これ一度きりといっていいのだから、かなり相性のいい車なのだと思っている。

 問題はこれからである。我が身も家内の身体もそしてSUN号も同じ時間の中で老化の道を辿っている。特に生きものである我々夫婦は、この先の未知の世界をどう歩んで行けるのか、自信はない。老の向こうにどんな障害が待ち受けているのか、見当もつかない。最大の心配は、やはり病ということであろうか。どんなに用心していてもそれが不可避の場合は、素直に受け入れるしかない。その覚悟は出来ているつもりなのだが、いざとなった時に本当に覚悟がものを言うのかこれも分からない。

とにかく今は、旅が出来る現状に感謝し、目一杯旅くらしを楽しむことこそが何よりも大事だと思っている。北海道の旅から戻って、SUN号のオッドメーターは現在19万3千キロを超えている。間もなく秋の旅に関西・中四国方面へ出向く予定にしているが、戻れば20万キロ目前となるに違いない。この後も愛車を労わりながら存分に旅を楽しみたいと思っている。

       

19万キロに到達した日は、浜頓別町にある最北の湖のクッチャロ湖畔にあるキャンプ場泊だった。

 

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