山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘14年 北陸・関西・中四国への旅 レポート <第8回>

2014-11-16 08:09:07 | くるま旅くらしの話

【今日(11/16)の予定】 

道の駅:黒井山グリーンパーク →(岡山ブルーライン)→ その先未定なるも、瀬戸中央道経由で坂出、丸亀近郊へ渡って、泊るつもり。

【昨日(11月15日:土)のレポート】 天気:曇り後晴れ  走行153km

<行程>

道の駅:農匠の郷やくの →(R9・R312)→ 道の駅:あさご →(R312・R250他)→ 赤穂城跡探訪 →(R250他)→ 日生(ひなせ)五味の市 →(R250他)→ 道の駅:黒井山グリーンパーク(岡山県瀬戸内市)(泊)

<レポート>

 夜久野はかなり標高が高い場所にあり、昨夜入った温泉には高原という名が付いていた。ここは福知山市に属しているけど、少し先は兵庫県の朝来市であり、朝来といえば最近話題の天空の城とかいう竹田城のある旧和田山町のある所であり、気象的には夜久野と同じような立地環境にある。早朝に少し付近を散策したのだが、下方にあるJRの上夜久野駅は朝霧の中だった。この時刻に和田山を訪れれば、今日の竹田城も天空の霧の中にあったのかも知れない。朝方はまあまあの天気だったのに、出発する9時頃には再び時雨出して、気まぐれな雨が路面を濡らしていた。

    

  夜久野高原の朝は霧の中。この霧の中に人々の住まいが点在している。

 今日は予定では大江山山麓にある元伊勢三神社を訪ねて、その後姫路の方へ向かうつもりだったが、この後の帰りの行程で、もう一度この近くを通る予定にしているので、今日は参拝を止め、このまま朝来経由で姫路の方へ向かうことにした。昨日の加悦の温泉の休止というのが大きく影響している。ま、行程上は一日の余裕が出来たということにもなる。

 9時過ぎに夜久野の道の駅を出発して、朝来の道の駅に着いたのは30分後だった。途中天空の城の竹田城が見られないかと気をもんだが、竹田駅近くのR312からほんの少しだったけど、右側の山の上にそれらしきものを望見することが出来た。それは相棒のカメラの中に収まったはずである。一時のようにやたら多くの来訪者は少しは下火となったようである。間もなく道の駅:あさごに着いて、小休止とする。巨大な鬼ゆずが180円という安さで売っていたので思わずゲットしてしまった。この後香りとその奇怪な姿をたっぷり味わうつもりである。そして嬉しいことに、もう諦めていた黒豆の枝豆もゲットすることが出来て、この上なく満足だった。

 その後は、R312をひたすら姫路方面へ走り続ける。途中、生野銀山の探訪を予定していたのだが、何だか面倒くさくなり、取り止めることにして通過する。銀山というのは鉱毒と深くかかわっており、石見銀山でのことを思い出すと、見ることもなかろうと勝手に決めた次第。

しばらく走って姫路市内に入る。大都会である。国際観光都市でもあるからなのか、市内の道路の案内板は皆英語で書かれている。ローマ字や英語が読めない日本人はいないのか、大丈夫なのかなどと時代遅れの思いがふと浮かんだりした。ナビに従って姫路の中心街を通り抜け、海側を目指す。姫路城はまだ完全修復には至っていないと聞いたが、ピカピカの姿を近くで見て、もう工事は終わっているように感じた。あまりにきれいに出来上がっていて、何だか本物ではないような感じがしたのは、先日坂井市の丸岡城の天守閣を触って来たからなのかもしれない。

姫路の港近くからR250に入って、道の駅:御津を目指す。ここで昼食休憩にするつもりだったのだが、行って見ると超満車の状態で、車を停められる場所は皆無で、昼食どころではない状態だった。直ぐに諦めて次の道の駅のある相生を目指す。曲がりくねった海岸の山道をしばらく走って、ようやく相生の道の駅:あいおいペーロン城に着いたのだが、ここも超満員の状態だった。やむなく近くのスーパーの駐車場に入り、ここで昼食休憩となった。相棒はどうしても牡蠣を食べたいと勇んで出掛けて行ったが、手に入らなかったとかで別の食材を買って来ていた。自分の方は自家製のラーメンを食して満足。

その後は、今日のメイン探訪先と考えていた赤穂城跡へ向かって出発する。途中の道路が何故か渋滞していて、城跡の近くの博物館の駐車場に着いた時は15時近くになっていた。その後1時間ほど城内を散策する。思ったよりも観光客が多いのに驚いた。特に大石神社は人気があって、かなりの人が押し寄せていた。討ち入りの四十七士を祀ってあり、忠臣蔵の物語は広く世に知られているので、これにあやかろうという人も多いのであろう。老若男女を問わず、これほどの人が来訪しているとは思わなかった。神社の境内に一文字流しというのがあり、何かと覗いてみたら、自分が困っているものを一字に託して、その文字と氏名を書いて目前の小さな石の池に流すと、その願いが叶うのだという。それではと、今親友が忌むべき病と闘っているのを何とか消して頂こうと、「病」の一字と親友の名前を書いて水に流した。四十七士の強い魂であれば、病など一気に流し去ってくれるに違いない。

    

大石神社。大石内蔵助以下47名の御霊を祀っている。赤穂城跡よりもこの神社への参詣者の方がはるかに多いように感じた。人気があるのであろう。

    

大石神社境内にあった一文字流し。大親友に取り付いている病の退散を祈願した。

赤穂城は思ったよりも規模の大きい城だったようで、残された城郭の石垣がそれを語っていた。しかし石垣の多くは近年になって修復されたものらしく、あまりにピカピカなのでちょっぴり違和感を覚えた。天主閣跡地に足場パイプで造られた天主閣の骨組みがあり、どうやら夜になると灯りがともされて浮かび上がる仕掛けのようだった。何だか安っぽい感じがしたが、予算不足で本物の修復は無理なのかもしれない。文化財にケチをつけるのは恐れ多いことだが、出来ればその昔に近い姿で修復して欲しいなと思った。

    

赤穂城の石垣と堀の景観。この石垣は古来のもののようだが、他の場所の多くは近年に修復されたようで、石も新しかった。

    

本丸跡に造られている足場パイプを使っての天守閣。このような天守閣を見るのは初めてのことだった。

城跡の見学の後は、近くにある博物館に入って赤穂の今昔を学んだ。赤穂といえば塩というのを思い出した。瀬戸内などの入り浜式の製塩業はここが大本なのだというのを知った次第。四十七士のことはあまりにも有名過ぎるのでいささか食傷気味でもある。それに討たれた側の静岡県の治世のことも知っているので、この団体での復讐殺人行為をあまり賞賛する気持にもなれない。時代の残した哀しい出来事なのだと思っている。

赤穂城跡の見学の後は、相棒の強い欲望にこたえるためにも、日生(ひなせ)のカキオコを食べなければならない。少し急いで日生の五味の市という所に向かったのだが、着いてみると店はすでに終わっており、カキオコも終わっていた。やむなく引き返して個別の店を探して、ようやく手に入れることが出来た。カキオコというのは日生の名物で、この辺りでとれる牡蠣を使ったお好み焼きなのである。ようやく手に入れて、これで相棒のブツブツもしばらくは収まるだろう。食べ物についてはあまり文句は言わないことにしている。

その後R250から岡山ブルーラインに入り、道の駅:黒井山グリーンパークに着いて、今夜はここに錨を下ろす。今日はカキオコとカキフライの他に、朝来の道の駅で買った完熟黒豆の枝豆もあり、思う存分にそれらを賞味し、超満腹、超満足の夕餉となった。

コメント
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