山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘14年 北陸・関西・中四国への旅 レポート <第13回>

2014-11-21 06:54:43 | くるま旅くらしの話

【今日(11/21)の予定】 

道の駅:みなとオアシス八幡浜 →(R197他)→ 大洲市内観光 → その先、内子町経由で今治市方面へ(詳細未定)

 【昨日(11月20日:木)のレポート】  天気:晴  走行57km

<行程>

道の駅:津島やすらぎの里 →(R56他)→ 宇和島城探訪 →(R56他)→ 西予市宇和町重伝建エリア探訪 → 道の駅:みなとオアシス八幡浜(愛媛県八幡浜市)(泊)

<レポート>

昨夜は21時頃まで近くで太鼓をたたく音が鳴りやまず、これはとんだ所に来てしまったと困惑したのだが、朝になってその音がした辺りに行って見ると、小さな舞台付きの倉庫みたいなのがあり、中を覗くと大小幾つかの太鼓が並んでいた。倉庫の上部に平安太鼓展示室という札が掛っていた。どうやら、昨夜はその太鼓の練習でも行われていたのであろう。平安太鼓なるものが何なのかは知らないけど、何かこの地でいわれのあるものなのだろうと思った。この道の駅は四方を山に囲まれていて、地デジは全く映らなかった。BSは快調で、何処へ行ってもさほど苦労なしで見られるようになっている。今朝はBSで少し早目の朝ドラを見て、その後少しゆっくりする。

今日の予定は二つあって、その一は直ぐ近くの宇和島の市街地にある宇和島城を探訪すること。もう一つは隣の西予市の宇和町の中にある重伝建エリアの卯之町という所の探訪である。そして泊りは八幡浜市に新しく出来た道の駅:みなとオアシス八幡浜にお世話になろうと考えている。

先ずは10時近くに道の駅を出発して宇和島城を目指す。20分ほどで到着したのだが、予想していた通り、駐車場がなくて困惑した。案内板のある城下の市営駐車場に行ったのだが、空いていてもSUN号の図体では機械が通せんぼをして、中に入れないのである。付近をウロウロしながら探したのだが、見当たらない。どうしようかと諦めつつ探していたら、市役所らしき建物があり、そこの駐車場に入れてもらえないかと、取り敢えず入ることにした。中は大変な混雑ぶりだったが、整理をされている方の案内で、少し幅のある道路スペースに停めてもよいとの指示を頂いた。お城の見学をしたいのだが、1時間ほどかかると思うと話したら、少し首を傾げられたが、どうにかOKを頂いた。

さあ、それからは少し急いで城の登り口へ。急な石段を上って行くと付当りに石垣が見えて来た。苔むした貫禄のある石垣だった。この城は1600年代に藤堂高虎が創建したとのこと。その後、伊予伊達家がこの地を治めることになり、以降明治まで治世が続いたわけである。この間に何度か改修や補修が行われたのであろうが、今の世までその雄姿を保っているというのは真にめでたいことと言わなければならないと思う。石垣の道を少し登ると、美麗な天守閣が見え出した。二の丸、本丸と上がり、その雄姿を存分に見ることが出来た。相棒は何時ものようにさっさと天主閣の中に消えて行ったが、自分は中の様子にはあまり興味はなく、一人城の周りをぐるりと何度か廻り歩いた。本丸から見ると、意外と海が近いのが判る。また、城を取り巻く小さな盆地は、今の時代でも多くの建物が密集して建てられているのが俯瞰できた。20分ほど本丸の景観を楽しんだ後は、下城となる。市役所の駐車場に戻ったのは、丁度約束の1時間後だった。しかし、朝の混雑は収まっていて、空きスペースも見られたので、それほど急ぐこともなかったのかなどと、たちまち調子に乗る考えが頭をもたげたりした。

      

石垣と宇和島城天守閣。三の丸辺りの石段を登りながらの景観。厳しい石垣の姿と城郭の頂点である天守閣とは見事に調和しているように思った。

    

本丸の天守閣の美麗なる姿。思ったよりも小さな印象を受けたが、天守閣は一種の威厳を示すシンボルとも思われるから、それほどの大きさは不要なのかもしれない。

    

本丸から俯瞰した城下町の様子。盆地にはさまざまな建物が密集している。今日でもこの城は町の繁栄を見守っているのであろうか。

    

本丸に上がって気づいたのだが、宇和島はこれほど海に近い場所に城があったとは思わなかった。天然の良港にも恵まれた地であることが良く理解できた。

その後は休憩なしに直ぐに車を出発させる。少し走って無料の高速道に乗ったので、西予市の宇和町に着くのは早かった。12時近くになっていたので、近くの道の駅:どんぶり館という所に行き昼食休憩とする。どんぶり館というからには、何か特徴のある丼物でもあるのかと食堂を覗いたけど、そんなものは全くといっていいほど無かった。妙な駅名を付けたものだなと思った。1時間ほど休んで、その後無くなりかけている飲料水を補給すべくスーパーに寄り2L入りを10本ほど購入する。そして重伝建エリアのある卯之町という所へ行こうとしたのだが、道が狭くて駐車場を探すのは困難だった。やむなく、ここでも市役所の駐車場にお世話になることにした。少し遠くなるけど、これは仕方がない。

その後は相棒とは別々にそれぞれ思い思いの道を辿って町並みを散策した。このような散策には常に相棒の方が積極的で、普段疲れているはずの人が、自分の倍近くも歩き回るから驚きである。今日は先日よりももっと時間をかけて歩き回っていたようである。自分は40分ほどで些か疲れを感じて車に戻ったのだが、相棒が帰って来たのは、それから30分以上も後だった。何か獲物があったらしく、どこかで重伝建のDVDなどを頂戴してきたらしい。卯之町は宇和島藩の在郷町として栄えたとのことで、往時をしのばせる商家や旅館、それに白壁の土蔵などが残っていた。建物にも幾つかの特徴があるらしいけど、それは相棒の世界で、自分にはよく判らない。重伝建エリアの商家町や在郷町に来ると、何だか何処も同じような町の造りのままに昔が残っているなと思うのが、正直な感想である。それゆえ、あまり感動しなくなってきているのが少し問題なのかもしれない。町の中に開明学校というのがあったが、その由来などは何も資料がないので解らなかった。しかし、四国の各地で、文明開化の時代に呼応して次世代を担う人材の教育が展開されていたのは、素晴らしいと思う。その多くは私塾のようなものから出発しているようだが、さて、今の時代どこかにそのような行動をなす人物が存在しているのだろうか。今の世も相当に乱れて来ているように思うけど、救国の志を持った人物が何処にいるのか全く知らない。もはや老人となり果てた自分には無縁のことなのかもしれないけど。

    

西予市宇和町の重伝建エリア卯之町の町並みの景観。軒脇に造られている漆喰の柱は、うだつの一種なのであろうか。この町も人通りは少なく、ひっそりとしていた。

    

坂の上の方に造られていた開明学校。幕末から明治の初めの頃では、このような学校の創設は珍しいことであったのかもしれない。往時のここで学ぶ人たちの心意気が伝わってくるように感じた。

15時近くに西予市役所の駐車場を出発して、ナビのガイドで一路八幡浜の港近くに出来たという道の駅に向かう。思ったよりも良い道で、距離も短くて、20分ほどで着いてしまった。港のフェリー乗り場に隣接して、魚などを扱う店や食べ物店などがきれいにレイアウトされて並んでいた。早速魚屋さんの並ぶ所へ行ってみたのだが、残念ながらこの時間帯では既に商売は終ってしまっていた。明日に期待することにした。その後は、今日までの旅の反省などをしながら、夜を迎える。

コメント
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