山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

旅車SUN号、19万キロに至る

2014-11-01 03:19:08 | くるま旅くらしの話

 8月20日、旅車SUN号が走行19万キロに到達した。丁度オホーツク海沿岸を北上していて、枝幸町での買い物に立ち寄った時だった。オッドメーターの19万キロに気づいたのは、それを気にして見ていたからではなく、突然インジケーターのパネルに警告灯が点ったからである。何だろうと思ったら、タイミングベルトに対する警告なのだった。びっくりするついでに気づいたのが、オッドメーターの190000という数字だったのである。おっ!と思うよりも、警告灯の方が心配になり、どう対処すればよいのか困惑した。地元の自動車さんなど全く知らないので、取り敢えずいつも整備をお願いしている守谷市の車屋さんに電話して対応の仕方を確認した。話では、19万キロになったら点灯するように設定してあり、直ぐに何か処置をしなければならないということではなく、帰宅してから交換しても大丈夫ということだった。何しろ100%の機械装置・電気装置オンチなのである。知識も技術も技能もゼロに近いので、わけのわからぬことが起こるとパニくるしかない。そもそもTベルトなどというものが何故必要なのか、どこでどんな働きをしているかなど全く知らないのだから、慌てふためくしかない。ま、話を聞いてとにかく安堵した次第。

      

走行距離が19万キロに到達したSUN号のオッドメーター。この時メーター上部のT-ベルトの警告灯が突然点灯した。機械音痴にはびっくりの大事件だった。

 ところで、19万キロという数字を見て、それなりにここまで来たかという感慨と、20万キロ到達も間もなくだなと思った。この車を購入したのは平成14年だから、今年で12年がたち、13年目に入っている。最早旅車を買い替える気はなく、我々のくるま旅の最終ゴールは、運が良ければ自分が88歳になるまでと考えており、SUN号にもそれまで付き合って貰おうと思っている。そうなると、今のペースで旅をすると走行距離は40万キロくらいになるのではないか。丁度中間点に来たなというのを実感したのだった。88歳まで、今と同じような状態で旅が出来るとは思っていないけど、願望を込めてそれを指標とするために車のナンバーを「88-55」としている。今、その半分に近づいているということなのである。

 今まで数多くの車を買い替え、乗り替えて来たが10万キロを超えるほど乗った車は一度もなかった。先の旅車も7万キロ足らずで今のSUN号に乗り替えている。普通の乗用車だと、4~5年も乗ると新しい車に心惹かれて買い替えを検討するということになるのだが、旅車となるとよほど不満がない限りはなかなかその気にはなれない。先の車を買い換えた時はそれがバンコンだったので、居住性に絡む設備や装置に問題があり、不満も多かったからなのである。SUN号に乗り替えてからはそれらの問題点は殆ど解消しており、残っている問題点といえば走行性だけである。しかし、馬齢を重ねている内に、もはや無理をしない(できない)旅が出来る世代に入ってしまっている。そうなると、車というのは普通に走ればもうそれだけで充分に満足で、余計なものは要らないという考えに落着いてくる。何よりも慣れて住みやすくなっている車を、多少設備の利便性が増すという理由だけで新車に乗り替える気にはなれない。車を乗り回すというのではなく、旅の相棒として仲良く付き合って貰うことが大事ではないかと思うようになった。尤も資金に余裕があるわけでもなく今更買い替えなどは無理だという事情もある。

 そんなことで、今の心境としては自分がくたばるかくるまがくたばるか、そのどちらかがやって来た時に旅を終えようと決めている。車の方は基幹部の機能をしっかりメンテしておけば、そう簡単にくたばることはないと思うから、結局は自分と家内がいつまで車につき合って行けるかが決め手になるに違いない。88歳まで到達できなくても、それほど文句はない。何よりも今現在の旅を存分に楽しむことこそが大切だと思っている。

 SUN号と14年の付き合いとなるが、今まで大きなトラブルといえば一度だけである。その一度というのは、左方後輪のベアリングに不具合があって、走行中に煙を吹いているのに気づき、慌ててブレーキを踏んだら、何とこれが利かないのである。ブレーキオイルのシールが破損し油が漏れて制動機能を著しく損傷していたのだった。気づいたのが交差点近くの場所で、幸いに前車がなく、エンジンブレーキでスピードを抑えていたので事故には至らなかったのだが、まさに冷や汗ものだった。そこは鳥取県の鳥取市の郊外で、全く土地勘のない場所であり、困惑を極めたのを思い出す。JAFの助けを頂いて、ようやく修理を受け入れてくれる工場を見出したのは、故障から3時間ほど経った黄昏時だった。

 この時は部品を取り寄せるのに1週間ほどかかるということなので、それが着くまでは工場脇の駐車場に車を置かせて貰い、そこを拠点としてその後3日ほど鳥取市内や近郊の観光をさせて貰って、事件を逆手にとって楽しんだのを思い出す。3日ほどで部品が届いたので、1週間もかからずに再出発をすることが出来た。旅先での旅車の故障などの不具合は、くるま旅にとっては致命傷となりかねない大事件なのだが、この時は幸いにして良い顛末となり得たのだった。今までのSUN号のトラブルといえば、これ一度きりといっていいのだから、かなり相性のいい車なのだと思っている。

 問題はこれからである。我が身も家内の身体もそしてSUN号も同じ時間の中で老化の道を辿っている。特に生きものである我々夫婦は、この先の未知の世界をどう歩んで行けるのか、自信はない。老の向こうにどんな障害が待ち受けているのか、見当もつかない。最大の心配は、やはり病ということであろうか。どんなに用心していてもそれが不可避の場合は、素直に受け入れるしかない。その覚悟は出来ているつもりなのだが、いざとなった時に本当に覚悟がものを言うのかこれも分からない。

とにかく今は、旅が出来る現状に感謝し、目一杯旅くらしを楽しむことこそが何よりも大事だと思っている。北海道の旅から戻って、SUN号のオッドメーターは現在19万3千キロを超えている。間もなく秋の旅に関西・中四国方面へ出向く予定にしているが、戻れば20万キロ目前となるに違いない。この後も愛車を労わりながら存分に旅を楽しみたいと思っている。

       

19万キロに到達した日は、浜頓別町にある最北の湖のクッチャロ湖畔にあるキャンプ場泊だった。

 

コメント
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