山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘14年 北陸・関西・中四国への旅 レポート <第22回>

2014-11-30 05:27:57 | くるま旅くらしの話

【今日(11/30)の予定】 

 米子市内知人宅 →(R431・R9)→ 鳥取・福知山方面(未定)

【昨日(11月29日:土)のレポート】  天気:曇り一時雨

<行程>

米子市内知人宅 →(R431・R9・県道45)→ 安来市・足立美術館見学 →(県道45)→ 道の駅:広瀬富田城 →(県道45・R9・R431)→ 米子市内知人宅(泊)

<レポート>

 昨夜はAさん共々相当に聞こし召して、ほぼ前後不覚状態となって寝床に辿り着き、あっという間に朝を迎えたのだった。夜中に雷鳴がとどろき、一瞬大地が震えた音を聞いたような気もしたけど、そのようなものに脅かされて目を覚ますような状態ではなかった。Aさんのピザハウスは、魔法の天国のようで、アウトドアライフの頂点を極めつつあるといった感じがした。何しろ手製のピザ窯を中心に、部屋の中にあるあらゆるものが手づくりであり、それらを守っているハウスも全てたった一人でこつこつと工夫を積み上げてつくり上げたものなのだ。アウトドア暮らしの粋を結集して出来上がっている感じがする。手づくりのロケットストーブの暖は穏やかで、春のぬくもりの中にいるようだし、料理名人のご主人の作られる広島焼きは絶品で、ここにいる間だけは糖尿君の勧告を無視して、ブレーキを開放することにしたのである。久しぶりの満腹、酩酊を味わい、老人であることを忘れたひと時だった。Aさんご夫妻との会話は、旅でであった者同士の相通ずる思いに包まれており、まさにそれは人生の宝物だなと思った。ありがとうございました。

   

Aさんの手づくりのピザハウスの内部。どんと構えているのがピザ窯。窯もハウスも様々な箇所に工夫が加えられているのだが、この写真で説明できるものではない。

   

オイル缶を3缶積み上げて造ったロケットストーブ。下部の横に焚口が作られており、燃焼効率も良く、温かさがじんわりとハウスの内部を満たしてくれる。

 今日の予定は、二つあって、その一は安来市にある足立美術館を訪ねること。もう一つは直ぐ近くにある尼子氏存亡に係る山中鹿之介の話で有名な月山富田城跡を訪ねることである。そして、今日はもう一泊Aさん宅にお世話になることになった。嬉しくもありがたいことである。10時過ぎに出発して、ナビのガイドに悩まされたりしながら、足立美術館に着いたのは11時を過ぎていた。

 足立美術館は、その名を知りつつも、近くを何度も通りながら今まで一度も訪ねたことがなかった。庭園と大観の作品が多く収蔵されていると聞いている。今見ておかないと機会を逸してしまうかも知れないと肝に銘じて、今回の来訪を決めたのだった。安来市の山の中に地元出身の実業家の足立全康氏がご自身のコレクションを公開するために造られたと聞く。来て見ると広大な駐車場の向こうに白い建物があり、その建物の向こうにもう一棟の建物があり、それが見術館の入り口だった。二つの建物は地下道でつながっており、入口がある方に日本庭園が造られていた。入って、庭を見て驚いた。全く隙のない作りで、何処のどの部分を見ても何かを感じさせる日本庭園なのである。足立さんという方の微細な美的感覚が伝わってくる感じがした。この庭園は、日本の春夏秋冬のいつでもどの部分でも、その季節の美を表現できるように作られているのを感じた。大変な審美眼をお持ちの方だったのだと思う。すごいの一言である。

  

足立美術館内の日本庭園の景観の一部。中央奥の紅葉した山は借景としての自然を取り入れたもの。このような景観を園内の至る所で味わうことができる。

 絵画の方は大観を中心にじっくり鑑賞した。横山大観は我がふるさとの水戸出身の方である。それゆえ、最初から親近感を抱いているのだけど、一度にこれほど多くの作品を見たのは初めてだったので、その感動は一際大きかった。水戸など問題ではなく、世界の至宝としての存在だったのだなと改めて思った。足立コレクションの中には130点もの大観の絵があると聞いているけど、それにしても大変な思い入れだなと思った。そこには財力など問題ではない足立氏の大観の美に対する傾倒があったのではないか。そしてこのような方がおられて、それを一人占めにされなかったことに対して我々は感謝しなければならないとも思った。私設の美術館で、これほどスケールの大きいものを自分は知らない。

 絵画だけではなく、陶芸関係でも魯山人や河井寛次郎の作品の数々も見ることができ、十二分に満足した。2時間近く鑑賞をし続けて、終わり近くになるとあまりの刺激の大きさに頭が混乱して来て、疲れが一度にどっと押し寄せてくるのを感じた。14時近くに外に出て、近くのそば屋で出雲の割りこそばを食す。

 その後、直ぐ近くにある道の駅:広瀬富田城へ行って休憩して一息つく。富田城への案内板を見たら、往復3kmを超える坂道を行かなければならないのを知り、探訪は止めることにした。上杉謙信の春日山城跡も大変な急坂だったけど、ここも同じような山城のようなので、相棒共々今日は無理だと判断した。無理はしないのが老人というものである。

 16時少し前にAさん宅に戻る。それからはたちまち乾杯。そして今日はピザをご馳走になった。以前にお邪魔した時は、ピザ窯が出来上がったばかりの頃で、もしかしたら試行錯誤の時だったのかも知れないのだが、今は堂々たる貫録の窯となっていて、焼く技術も格段に進歩されたのが判った。奥さんの生地作りも素晴らしく、4種類のピザをご馳走になった。これほどのもてなしを受けられるのは、夢のような話である。今夜も糖尿君警告を無視することにして、夜遅くまで歓談が続いた。幸せな時間だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする