山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘14年 北陸・関西・中四国への旅 レポート <第21回>

2014-11-29 07:48:34 | くるま旅くらしの話

【今日(11/29)の予定】 

米子市知人宅 →(R431・R9・県道45)→ 安来市・足立美術館見学 →(県道45)→ 月山富田城探訪 →(県道45)→ その先未定

【昨日(11月28日:金)のレポート】  天気:晴れのち曇り

<行程>

道の駅:燕逍園 →(県道他)→ 倉吉市・重伝建打吹玉川地区探訪 →(県道・R9・R431)→ 米子市内知人宅(泊)

<レポート>

 燕逍園というのは、何か日中交流の記念事業として造られた中国庭園のようで、道の駅はそのついで(?)に造られたようで、かなり広い駐車場がある。その一隅に泊めて貰ったのだが、朝になって時間があってもその中国庭園を見ようと中に入る気が全くしないのはなぜなのか自分にも解らない。産後の密漁や幾つかの一方的なごり押しのような現在の中国政府に腹を立てているのでもないのだが、このケバケバしさは、数々の偉人を生み日本国にも絶大なる影響を与えて来た中国の本当の姿とは違うような気がして、素直に中に入る気がしないのである。自分の勝手な勘違いなのかもしれないけど、中国に関してはその考えを変えることはできない。

 9時過ぎに出発して、倉吉市内にある重伝建エリアの打吹玉川の探訪に向かう。今日の予定はここの探訪と、その後は旅の親しき知人ご夫妻の住まわれる米子市の弓ヶ浜を訪ねて酒を酌み交わし、泊めて頂くことにしている。ということで、特別な日になることは予め承知している。間もなく倉吉市の市役所わきの観光駐車場に到着する。ここの重伝建地区は、白壁土蔵で有名なようであるけど、今まで全く知らずにいて、重伝建の探訪を考えるようになって初めて知ったことだった。旅をするにはテーマが必要だなと思うのは、行き当たりばったりとは違う新しい発見や出会いが、テーマによってもたらされるからである。もしこのテーマがなかったら、倉吉に寄ることはなかったのかも知れない。そのようなことを思いながら散策を開始する。

 玉川という用水のような小さな川が流れており、その両脇に膨らむようにして昔の町並みが形成されていた。あまり規模は大きくないけど、きちっとまとまった町並みだった。二度ほど往復して寄り道をして300mほどの長さの町並みを隅々まで歩き回った。白壁土蔵の写真も撮った。相棒が何処をうろついているのかは知らない。1時間半ほど歩いて倉吉絣という織物の店の様なのがあったので、これは相棒の世界では必見の場所だなと思い、電話して訊いたら見ていないという。それで珍しくお節介をして紹介したら飛んで来て中に入ってしばらく出て来なかった。結果がどうなったのかはしらない。そのようなことがあって、車に戻ったのは11時半近くになっていた。

   

倉吉の打吹玉川の白壁土蔵群。残っているのは数棟に過ぎないけど、傍を流れる玉川と調和して、往時の繁盛を偲ばせる雰囲気が漂っている。

   

この町並みには赤瓦と呼ばれる瓦を使った建物が並んでいる。下方から屋根の写真を撮るのは難しい。

 その後は市内で給油を済ませ、米子市方面へ向かう。途中道の駅:ポート赤崎で昼食。ここは港の近くで、昼食は近くにある魚料理の店で、久しぶりに煮魚定食を味わった。なかなか魚を食べる機会がないので、時にこのような外食も必要である。食事を済ませた後は、米子市の知人宅へ向かう。2時半近く、少し迷いながら知人宅に到着。嬉しい再会を果たす。

 親しき知人ご夫妻とは、今年の夏の旅の終わり近くに北海道でお会いしているのだが、それから2カ月ほど経っての再会だ。知人のAさんは自分と同世代で、何故か心の波長が合う人なのである。そのことについてはここに書くことは止めよう。世の中には心をシンクロナイズ出来る人が何人かいるはずで、その出会いはとても大切なのだと思っている。車を留めて以降、Aさん手づくりのピザハウスでたちまち乾杯。料理名人のAさんの作られたご馳走を味わいながら夜遅くまで嬉しくも楽しい歓談の時を過ごしたのだった。

コメント
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