山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <60回>

2012-08-30 04:30:19 | くるま旅くらしの話

【昨日(8月29日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

クッチャロ湖畔キャンプ場 →(R238)→ ベニヤ原生花園 →(R238)→ 道の駅:さるふつ公園 →(R238他)→ 稚内市内スーパー → 稚内公園キャンプ場(泊) <101km>

≪レポート≫

 今日から移動再開である。Aさんのご主人は南下を予定されておられたようだったが、奥さんはまだ暑いので稚内方面への北上を希望されているとのこと。朝方はまだ未調整とのお話だったが、結局奥さんの希望が通ってしばし北上するとのこと。我々も北上し、今日は知人に教えて頂いた道立宗谷ふれあい公園のオートキャンプ場に行くことにしている。

 雲の多い朝だったが、やがて昨日と同じように晴れ間のある少し暑い天気となった。10時まではTVを見て、その後出発の準備をし、先ずは相棒の希望で丘の上の温泉施設に寄って汗を流してからの出発となった。Aさんとは又再会の可能性があり、一先ずのお別れとなった。1時間ほどたっぷりと汗をかいて流し、さっぱりした気分になってクッチャロ湖畔にさよならする。まあまあの夕日と、湖畔のゆったりとした時間を味わわせて頂いて、やはりここに来てよかったなと思った。既に12時を過ぎており、お腹の要求も厳しくなっている。昼食は猿払の道の駅に行って摂ることにして出発。まっすぐ行くべきなのだけど、どうしてもベニヤ原生花園のサワギキョウが見たくて、ちょっと寄ってゆくことにした。これは大正解だった。サワギキョウは既に花の最盛期を終えようとしていたが、まだ花は残っており、その紫の楚々たる花を見せてくれたのだった。この他にもいつもの無愛想な花の多い表情とは違った雰囲気で、エゾリンドウやエゾミソハギ、クサレダマ、イヌゴマ、ヤマハハコ、ツリガネニンジンなどが草むらの中に自己主張をしていた。この原生花園には、いつもサワギキョウが咲く前の頃に訪ねることが多かったので、このような花たちを見るのは初めてだった。

  

サワギキョウの花。左は群れ咲く様子。右はその中の一つを撮ったもの。今は最盛期を過ぎているけど、もう少し早く来れば草叢を染める紫の花の穂波を見られたのかもしれない。釧路湿原にもサワギキョウは多いけど、ここのものの方が、より素朴のように思えた。

     

 エゾリンドウの花。この花が、これほど鮮やかに咲いているのを見るのは初めてのことだった。栽培種とは違った野生の色の鮮やかさがひときわ目を引いた。いいなあ、と思った。 

 花に満足した後は、空腹を満たすべく猿払村の道の駅へ。この道の駅にはホテルがあり、観光バスなどの立ち寄る拠点の一つとなっているようだ。猿払といえば、やはりホタテが有名となるのだろうか。その他の水産業も盛んなようで、今朝の散歩では浜頓別の町へも猿払村からの従業員を迎えに来た車を何台か見かけたのだった。そのホタテの入った焼きそばをオーダーした。相棒はホタテ定食。焼きそばの方はオーダーを失敗した感があった。海鮮焼きそばというからにはホタテを初めとする海の幸がたくさん入っているのかと思ったのだけど、イカと思ったのは白菜が殆どであり、ホタテもエビもほんの少ししか入っておらず、がっかりした。相棒の方は満足だったようである。駐車場にAさんの車があり、既に昼食を終えられ、付近を散歩されていたようだった。今日はここに泊まりゆっくりと過ごされるとか。それぞれのペースで旅を楽しむのが一番。我々の方が一足早い北上となった。

 猿払の道駅を出発し、稚内に向かう。オホーツクの沿岸を走るR238は、快適なドライブウエイだ。右にオホーツクの蒼く光る海を見ながら、左には変化する山や牧場の丘を見ながらの、しばらくその走りを楽しんだ。旅車は、ドライブとは無縁の図体と機能だけど、運転者の老人でもやはり気分は若者とさほど変わらない。間もなく日本最北端の宗谷岬に到着。ここで少し休憩。最北端ということでの人気スポットなのであろう、来訪者が切れ目なく立ち寄っているようだった。ここに来ると郷土茨城県出身(現在のつくばみらい市出身)の間宮林蔵の銅像が樺太を向いて建っている。間宮海峡の発見は、今の時代では大した関心事ではないかもしれぬが、江戸のあの時代ではとてつもない大冒険だったのだと思う。北海道といえば、その名付け親とされる松浦武四郎のことが取り上げられるけど、自分的には間宮林蔵も決して引けを取らない大冒険家だったと思っている。時々、彼の生家のあったつくばみらい市の記念館に行って、往時の資料などを見ているのだけど、並々ならぬ人物だったということを実感している。間宮林蔵の生家は、守谷市の住まいからは自転車で行ける距離なのだ。ま、そんなことはどうでもいい。銅像に敬礼して出発。

 食材の在庫が少なくなっているので、今日はそれを補充しなければならない。予定している道立の宗谷ふれあい公園オートキャンプ場に入る前にそれをやっておこうと思い、地図を見たら公園の入り口の所にスーパーがあるように記載されているので期待したのだったが、行ってみたらそのような店は全く見つからなかった。やむなくそのまま走って稚内市内の大手スーパーに車を停める。買い物を済ませて時計を見たら、16時を過ぎていた。ここからキャンプ場へは、来た道を8km位は戻らなければならない。それが億劫になって、今日は近くにある稚内公園の森林キャンプ場に泊まらせて貰おうと、急遽予定を変更した。このキャンプ場は稚内市を見下ろす百年記念塔のある丘の奥の方の林の中にあり、水もトイレもあり、ごみ処理もできる、ありがたい無料のキャンプ場なのだ。丘の上からの景観も素晴らしい。宗谷ふれあい公園のキャンプ場へは明日行ってみることにした。

 稚内公園キャンプ場に着いたのだが、いや、その蒸し暑いこと。丁度夕刻の凪の時間帯に入っているのか、全くの無風でべっとりとした暑さが身体いっぱいにまとわりついてくる。相棒は暑さにもめげず、早速ご飯を炊き始めていた。この間外でごみ処理や洗い物などを済ませる。一段落して駐車場内をぶらついていたら、先着の隣の群馬ナンバーの方から声をかけられた。「何か本を書かれている方ではありませんか?」「ええ、そうですけど、前に書いたことがあります」と返事して、言葉を交わすうちに「馬骨さんですか。山本さんですか。」とその方が自分の名前を思い起こされたようだった。車体の横に「SUN」と書かれた旅車を見たら声をかけて欲しいなどと、どこかに書いたのを覚えておられて、それを実行してくださったようだ。驚くと共にありがたいなと思った。旅の名刺と手作りのくるま旅の本を参考までにとお渡しさせて頂いた。お声をかけてくださったHさんは、元記者をされておられたとかで、ご自身も何冊かの専門関係の著作があり、今はくるま旅、車中泊などについての著作も手掛けていらっしゃるとのことだった。頂戴した「カーネル」という車中泊を楽しむ雑誌に、現在「車中泊の聖地を巡る旅PART3 車中泊・日めくりの旅」というタイトルで、ご自身の旅の記録を連載されておられ、それを読ませて頂いたのだが、何年か前の自分の姿が重なって、ああ、皆さん同じような体験の中に新しい人生を発見されているのだなあ、と思った。

くるま旅というのは、人生の宝探しだというのが持論だけど、人はその宝に元気づけられ、探すため、発見するための動きの中に生きがいを見出し、リタイア後の人生を活き活きと生きる力を見出せるのだと自分は思っている。人生の後段には無力な老と病と死としか残されていないという発想は、今の世の社会保障制度を破たんさせるだけである。社会保障費用の大半が無力な老と病のために費やされるという発想は誤りではないか。老と病は、避けられない人間の運命であり宿命であるけど、後段の人生を活き活きと生きる時、老と病は変化し、人は生きる為のコストを最小化することが可能となるのではないか。自分はそのように思っている。くるま旅は、老と病の無力化を防ぐ特効薬の一つではないかと思っている。Hさんも同じような思いでこの連載に取り組まれていらっしゃるのではないかと思った。良い方に巡り合えたなと思った。

今朝は0時半起床で3時半まで何やらゴトゴトやって、もう一度寝たりして、睡眠がかなりいい加減になっており、夕食を済ますとたちまち睡魔が襲ってきた。この襲来に対しては抵抗をしないことにしている。抵抗すると、今度は不眠がやって来るからである。今頃は何時でも睡魔の襲来に備えられる暮らしの環境にあるので、相棒のことなどは無視して、寝床に潜り込む。夜半からは風な強くなり出したようで、夢うつつの中でも時折車を揺らす風の音を覚えていた。

今日(8/30)の予定】 

稚内公園キャンプ場 →(R238)→ 道立宗谷ふれあい公園オートキャンプ場

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