山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <57回>

2012-08-27 08:33:11 | くるま旅くらしの話

【昨日(8月26日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

美深アイランドキャンプ場 →(R40・R275・道道・R238)→ 枝幸町・ニュー光琳(♨) →(R238)→ クッチャロ湖畔キャンプ場   <102km>

≪レポート≫

 宴と歓談の2日間が終わって、今日はここを出て、少し離れた浜頓別町のクッチャロ湖畔のキャンプ場に移動予定でいる。目的があり、それは夕陽を見ること。この湖に沈む夕日は、天気が良ければいつも素晴らしいのだけど、ある種の気象条件を満たした時の夕日は、この世の全てが茜色に染め上るほどの何とも言えない神秘的な世界を現出させるのである。何年か前、年に2~3度しか見られないというその特別の夕日を見て以来、夢よもう一度という気持ちになって、毎年ここを訪れることになってしまった。今年は元々こんなに北の方まで来ることは考えていなかったのだけど、やはりあれをもう一度見たいという願望には勝てず、やって来てしまったというのが本音なのである。勿論、この2日間の仲間との出会いも大事であり、その双方を満たしたいと考えたのだった。

 さて、朝になって、今日はAさんの特別のメニューのカシワの朝粥を頂けるというので、早朝5時から開始という声に間に合うように車の外に出たのだった。今朝は(いつもそうなのだけど)3時前にはお目目パッチリの状態になって、起きだしブログの記事を書いて投稿を済ませたのが5時だった。朝粥は出来上がるまで2時間は必要とのことだったので、7時半頃の朝食に間に合わせるには、5時には炊き始めるということだった。外に出ると、もうAさんは作業に取り掛かられており、炭を熾すのを手伝おうと声をかけたら、何ともう既に炭は熾きており、鍋をかける寸前だった。いやあ、Aさんはとんでもない(?)働き者だなと思った。自分のテーマソングは「村の鍛冶屋」で、機嫌が良い時にはこれを鼻歌で歌いながら動きまわるのだけど、このテーマソングはAさんの方がピッタリしているのではないかと思った。

お粥といえば、病人の食べる定番食を思い浮かべる人が多いと思うけど、Aさんのお粥はそのようなイメージをはるかに離れたものだった。10Lほどは入ると思われる鍋に骨付き鶏肉を入れ、米2合を洗わないままで入れて火を入れ、それを2時間以上炊き続けるのである。中のコメが動くようになってからその米が花の咲いたような状態になるまで、弱火でひたすらに炊き続けるのである。その間鶏と米のアクを取り続けるのである。これは今回は自分が担当させて頂いて、結局2時間近くもアクを取り続けたのだった。自分の人生でこれほど長い時間アクを取り続けたのは初めてのことだった。禅の修行のようなものだなと思った。それにしてもAさんの粥づくりへの情熱というのか気配りへのエネルギーは大変なものだなと思った。粥が出来上がるまで、実に細かく気を配り、そしてその間にトッピングの具を何種類か作っておられるのである。7時過ぎようやく米の花が咲き出して出来上がりとなった。

朝ごはんは皆でそのお粥を頂いた。美味かった。病人のお粥とは味も味わいも全く違うなと思った。時にこのような食べ物を摂り入れることも大切だなと思った。医食同源とは、このような食べ物をいうのだろうなと思った。レンジでチンでは、どんな優れた食べ物でも医食同源の全ての要件を満たすことはないのだろうなとも思った。早朝5時からの2時間に及ぶアク取りは、決して無駄にはなっていないことを確信したのだった。

長いお粥の話となったけど、皆さんと一緒にお粥を頂いている間にそれまで小雨模様だった天気はいきなり悪化し、本降りとなり出した。一時はこれはもう今日ここを出るのは諦めて、もう一泊延長した方がいいかと思ったほどだった。しかし、歓談をしている間にいつの間にか雨は止み、空が明るくなって、暑さが増し始めた。どうやら空は機嫌を直し始めたようだった。その後もしばらく歓談を続けた後、12時のチエックアウト時刻に間に合うように出発の準備に取り掛かる。歓談のテーマは尽きることなく、それを途中で止めるのは惜しいなと思うのだけど、その名残惜しさが残るレベルでお別れするのもくるま旅の醍醐味の一つなのかも知れない。再会を約しての別れは、永遠の別れなどとは違って、力の入ったものとなるからである。

12時少し前、皆さんとのお別れとなる。先ずは隣の音威子府村の黒蕎麦を食べることにして、JR音威子府駅に寄る。ここの黒蕎麦は、くるま旅の、とりわけてバイクで旅する人たちには必ず立ち寄る名物の場所となっているようで、いつ行っても黒蕎麦を求める人が何人かいる。真っ黒で無愛想な傍なのだけど、昔をたくさん経験している人たちには、何とも懐かしい日本の原風景を思わせる味なのだ。蕎麦の本物の味というのは、このようなものなのではないかと思う。そして、やはり味わいは掛けそばが一番だと思う。薬味は刻み葱と七味唐辛子だけでいい。その他のトッピングは無用である。今日も100%完食して、食堂のおじいさんに、ご馳走さまでしたと、どんぶりを返却する。その後は、温泉に入ってからキャンプ場に行くことにして、枝幸町のホテルニュー光琳へ向かう。途中急に眠くなり、道脇の駐車場に入って20分ほど仮眠する。眠くなったら眠るというのが、自分のくるま旅の鉄則の一つである。寝巻に着替えて寝るのも鉄則。20分で眠気は解消し、少し走って温泉のあるホテルに到着。1時間ほどいいお湯を味わって、出発してクッチャロ湖のある浜頓別町へ。

クッチャロ湖畔のキャンプ場に入る前に、少し買い物をしようと町中のスーパーに入ったのだが、愕然とするほどに物価が高い。いつもはどこでもスーパーなら200円前後の氷一袋が250円近くもしていた。外の商品も他所と比べると軒並み高額である。トウモロコシだけが安かったので、買ったのだけど、氷は必需品なので止む無いとして、他のものは買うのを控えることにした。この町に住む人たちは、気の毒だなと思った。また、スーパーの中は冷蔵庫の中のような寒さであり、レジで働く人たちに健康障害が出ないのかと心配になるほどだった。節電が喧伝されている時なのに、この温度管理は常軌を逸しているのではないかと思うほどだった。北海道のスーパーは概して温度が低すぎるというのが関東に住む自分などの感想なのだが、その傾向は北に行くほど強くなるようである。稚内のスーパーはもっと寒いのかなと思ったりした。

クッチャロ湖畔のキャンプ場に着いたのは、16時少し前の頃か。旅車は軽自動車が1台先着していたきりで、キャンピングカーは我々だけ、あとはすべてバイクの人たちだけだったようである。もうシーズンが終わりに近づき、くるま旅の人たちの多くは、北の方から次第に南下を開始していて、逆のことをしているのは、我々だけなのかも知れない。とりあえず3日間は頑張って、ここで夕陽の見られるのを待つことにして受付を済ます。少し風邪気味で喉をやられかけているようなので、早めに夕食を済ませ、寝床に入ることにした。しばらくすると雨が降り出し、今日は夕陽の方は完全にダメということが確定したのだった。

今日(8/27)の予定】 

終日クッチャロ湖畔キャンプ場に滞在

 

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