山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <33回>

2012-08-03 05:13:40 | くるま旅くらしの話

【昨日(8月2日)のレポート】      

≪行程≫                                                                 

 終日ふれあいキャンプ場に滞在  <0km>

≪レポート≫

 旅の知人、即ち旅で出会い、知り合った方たちのことなのだが、このような旅を始めてからは次第にその数を増し、現在は百人近くとなっている。歳を重ねてからの知人というのは、何よりも人生の宝物だと思っている。いわゆる現役時代の知人といえば、仕事という利害関係の入り交ざった世界の中なので、だれが本物なのか、毎日顔を合わせていてもなかなかその真偽が見分け難いところがあるのだけど、そのようなしがらみを離れたリタイア後では、出会いの持つ不思議な力が知人をつくり出してくれている。人は皆生きている間は、出会うべくして出会っているのだという話があるけど、自分も又それを信じている。勿論その出会いのあり方や継続の在り方には自ずから濃淡があるけど、これも又自然の成り行きなのだと思うことにして、我意を以て決めつけるようなことはしないようにしている。濃淡あるがままに、大切な出会いのもたらしてくれた知人とのお付き合いを素直にさせて貰っていればいいのだと思っている。

 さて、今日はその知人の一人、くるま旅の大先輩のWさんが愛媛県は松山からこの別海のキャンプ場入りをされたのだった。Wさんは私より一回り上の辰年生まれの方で、もう少しで米寿をお迎えになれる方なのだけど、この別海には20年を超える前から来訪されている旅の大ベテランなのだ。何しろこのキャンプ場が出来上がる前からの別海町への来訪者というのだから驚く。このキャンプ場にもいろいろな出来事があって、今日につながっているわけだけど、その歴史のいきさつをご存知の方といえば、このWさんを置いては他にはいないのではないかと思う。

 Wさんは私にとってくるま旅の可能性というか、あり方を示してくださっている先哲のお一人であり、尊敬して止まないお一人である。くるま旅の先哲として何人かのお方と知り合い、多くの教えを頂いているけど、この方から学んだことは多い。Wさんはとてつもない愛妻家だと自分は思っている。それこそ身を粉にしても連れ合いを大事にするという信念の様なものを感じるのである。くるま旅も6歳年上の奥様の健康を気遣って、早期退職をされて始められたのだと聞く。旅が人を元気にするということを身を以て実践されて来たのだった。

 しかし、歳を取るということは、真に残酷な災いをもたらすものであり、奥様は今は同伴が不可能の病に取りつかれ、ご自身も大病を患われて、腰が意のままにならぬ身体となってしまわれたのだった。昨年まではお互いに不自由な身体を労りあいながら夏の北海道を訪れていらっしゃったのだが、今年はついにそれが叶わぬ状態となられたのだった。もうくるま旅は無理ではないかと心配していたのだったが、奥様の同伴は叶わなくなっても今年はお一人でこの地までお越しになるという話に驚くとともに心配は層倍したのだった。

 愛妻家であるWさんが直接奥様の面倒を見るのを断念されたことについては、書くのは止めたい。人には想像を絶する厳しく悲しい決断を迫られることがあるのだと思う。その決断の心を宥(なだ)めるために、愛する奥様の意を汲んで、敢てお一人でこの夏の北海道へ来られたのではないかと自分は思っている。断じて奥様を面倒見るのを放棄したのではない。そのようなことはあり得ない。

 何度かお電話を頂戴して、途中の安全を心配したのだったが、それは杞憂だったようで、今日ご尊顔を拝して安堵したのだった。車での途中経過をきちんとメモにされており、安全運転にも万全を期されていることが良く判った。すごい方なのだと改めて思った。奥様のご様子などを伺い、この病の持つ何とも筆舌に表しえない恐ろしさ、哀しさを思った。「生老病死」は人生の避けて通れない道なのだとお釈迦様はおっしゃったとか。Wさんが今対峙されている時間は、まさに自分たちの未来の一つなのだなと思った。旅装を解いてこれからのここでの滞在のお手伝いをさせて頂いた後、しばし車の中でお話を伺い、そのようなことを感じたのだった。

 リタイア後のくるま旅の限界の様なものをWさんから学ばさせて頂いているように思った。最近は人生五計(生計・身計・家計・老計・死計)の内の老計と死計について思いを巡らすことが多い。すなわちいかに老いるか、いかに死ぬるかということである。まだ良く解らないけど、今気づいているのは、死計というのはすべてが老計にかかっているなということ。それはすなわち今日の今をいかに過ごすかに係っているということでもある。しかし、その現実は真にグータラでデタラメの感じは拭えない。ま、人生という奴は所詮このような毎日・毎時の積み上げに過ぎないのかも知れない。Wさんに大変な刺激を頂戴しながら、今思うのはそのようなことなのだった。今日の出来事といえば、これが最大である。

【今日(8/3)の予定】 

終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在

コメント
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