山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

二つの嵐

2007-10-28 10:12:46 | 宵宵妄話

朝の散歩を終えて家に戻ったら、万歩計は1万4千歩を超えていた。約2時間の小さな旅だった。澄み渡る青空の下での歩きは、歩いて見なければわからない幸福な時間である。

昨日、我が家には二つの嵐がやってきた。その一つは秋台風であり、もう一つは孫台風である。今朝になってその一つは駆け去り、もう一つは滞在中である。

秋の台風は、時として大暴れをして被害をもたらすことがあるが、昨日の台風は大した被害も出さずに走り去っていったようである。もうすぐ11月だというのに、何を血迷ってわざわざやって来るのだろうか。時速80km近いスピードというのもあまり聞いたことのない速さだった。異常気象の話はもはや常識化しつつあるようだから、この台風などは大して問題にはならないレベルなのかも知れない。

それにしても今朝は抜けるような青空が広がっている。西の方には満月を過ぎた月が色褪せて留まっていた。久しぶりに台風一過というのを実感した。冬の雪が一切の汚れを覆い隠してしまうのとは違って、台風は曖昧に霞む大気の汚れを吹き飛ばし、今まで隠れようとしていたものを俄然鮮明に浮き出してくれるところが良い。台風などを賞賛しても仕方ないが、一過の後の青空はせめてもの慰めではある。

もう一つの台風は、依然滞在中である。願わくはもう少し滞在していて欲しい。何しろ孫達とは年に2、3度しか会えないのである。二人の孫娘は上が小3、下が小1なので、幼稚園の時とは違ってジジババのわがままが通らない。安易に学校を休ませるようなわけにはゆかないのである。今回は先日買ったパソコンの調子が悪くて、再度倅に見てもらう必要が生じたので、一緒に来て貰うことにしたのだった。今年4月以来の再会となってしまっていた。

二人ともチョッピリ大人になったようである。学校は楽しいか?の問に、二人ともうん、と言ってくれたが、下の方は、でも楽しくない時もある、と言っていた。そうだと思う。何もかもが楽しくて仕方ないなどということが続く世界などあるはずも無いのだから、その答えは現実的で正解であろう。子供の世界でも大人の世界でも人間というのは、小さな逆境体験の積み上げを通して強くなってゆくものだと思う。孫達の世界がどのようなものなのかは到底想像できないけど、時々話題となるイジメなどいうことには、あまり係わって欲しくないなと願っている。今見たところでは、いじめる側でもいじめられる側でもなさそうなので、まずは安心している。

二人とも新体操の教室に通っているとかで、何やらアクロバット風の動きを、畳みの上で披露していた。何年か前までは、箱をひっくり返しぶち撒けて遊んでいたブロック工作なども、もう遊びからは遠くなってしまったようだ。静かになったかなと思うと、二人してテーブルに向って、一心に漫画のような絵を描いていた。以前と比べると線もなかなかしっかりとして来たようだ。今頃の子供たちは、特に女の子たちは少女マンガの主人公などを描くのが流行しているのだろうか。来る度に少しずつ上達していることは確かだが、それに目を細めつつも、心の芯の線もしっかりと育っていって欲しいと願っている爺さまなのである。孫台風の一過後は青空の爽やかさのようなわけにはゆかず、安堵感と寂しさがしばし家の中に漂うのである。

コメント (1)
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