山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

今朝の散歩から:鳥たちの異変

2007-10-06 09:46:34 | 宵宵妄話

今朝の散歩は6時少し前からだった。だんだん爽秋という感じの雰囲気となってきた。朝の空気がとりわけて澄んでいるのを感ずるようになった。散歩道脇に植えられたハナミズキの実が真っ赤に色づき、辛夷(こぶし)の実も赤く色づいて拳(こぶし)のように大地を突き示している。ほのかな綿飴のような香りは桂の枝から舞い落ちた枯葉から漂ってくるのだろうか。もう間違いない秋真っ只中だ。

さて、今日は鳥たちのことについて書いてみたい。棲んでいる守谷市の市の鳥は、コジュケイである。小綬鶏と書く。雉の仲間で雉のように尾が長くはなく、鶉(うずら)くらいの大きさの地味な鳥である。この鳥の何よりの特長は、その鳴き声にある。とてつもない大きな甲高い声で、「ちょっとこい!ちょっとこい!」と鳴くのだ。それがけたたましく連続して鳴くので、ホントに鳥が正気で鳴いているのかを疑うほどだ。こんな派手な鳴き声の鳥が何故守谷の市の鳥となっているのかといえば、勿論昔からこの地域に点在する森の中にたくさん棲んでいたからであろう。そしてこの鳥に親しみをもてるのは、子育てをしている様子が丁度カルガモの親子のように、親鳥を囲んで林や藪の中を一段となって歩いているのを見かけるからである。その時の姿は、「ちょっとこい!」などと大声を張り上げる姿からは想像もつかないほど微笑ましい。守谷市では、この鳥の家族愛にあやかって、10万都市を目指すシンボルとして取り上げたようである。

散歩の途中で今日もこの鳥を見かけたが、今は子育てはとうに終わっていて、家族と思われる成鳥の一団が、道の傍から俄かに騒ぎながら飛び立っていった。逃げて飛び去る鳥を見ていると、この頃はホッとするのである。こんなことを書くと妙だなと思われるかもしれない。鳥が逃げるのは当たり前ではないかと。ところがそうではない鳥が最近出現しているのである。

その代表的なのが山鳩である。キジバトとも呼ぶ。私が子供の頃は、田舎の里山の奥の高い木の上で、「デデッポポー、デデッポポー」と物憂げな声で鳴いていたのを思い出す。滅多にその姿を見ることは出来なかった。しかし今では、散歩道の脇に早朝でも夕方でも一心に餌を漁っているキジバトを見かけない日はない。最初の頃は、何でお前達がここにいるのだ!と不思議に思ったのだが、どこへ行っても当たり前のようにその辺にいるのを見ているうちに、何とも感じなくなってきたのだった。

鳥がどこに棲もうと鳥たちの勝手ではないかとは思うのだが、50年前と違う棲み分けとなっているのは、良く考えれば変な感じがする。鳥の都合もあるのかも知れないが、結局は人間が鳥たちに生きるための選択を強制して、街中にキジバトを引っ張り出したということではないか。もはや山鳩はいなくなってしまったのかもしれない。土鳩に混ざって都会に出て餌を稼がなければ、まともに生きては行けない時代になってしまったのかも知れない。カラスの都市ゴミ漁りは一種の公害として問題視されている。童謡「七つの子」のイメージはもはやカラスには無いようだ。カラスを悪知恵の塊を持つ黒い鳥にしたのもやっぱり人間のようだ。

全ての生き物は環境の変化に適応しなければ生きては行けないという。意地を通し続け、昔からの生き方しか出来ない生き物はやがて滅亡してゆくという。環境は一体誰が破壊しているのか、それは明確だ。生き物自身が破壊しているのである。決して人間だけでは無い。

多くの場合、異常増殖を続けたものが環境バランスを破壊し始めるようだが、その中でも地球の歴史が始まって以来の最大の破壊者はやはり人間のような気がする。人間という破壊者はある特定の環境だけを破壊するのではなく、満遍なくあらゆるものを破壊へと誘っているような気さえする。

その破壊がもたらす環境変化に適応するために、その他の生き物たちも、今までとは違った生き方を選択せざるを得ないのであろう。その小さな証明が、この頃のキジバトの生態では無いかと、足元に無心に餌を探す彼らを見ながら思うのである。そして年々少なくなってゆく森や林の中で、必至に家族を守ろうと駆け回っているコジュケイの親子たちを見ていると、彼らが如何に「ちょっとこい!」などと虚勢の大声を張り上げても新たな適応の道を見出し得なければ、間もなく住まいを追われて、いつか見当たらなくなり、幻の鳥となって守谷市の鳥に指定されていたという過去の名誉だけが残ることになってしまうのではないか。

その様なことをあれこれ考えながら、気がついたら家に戻ってきていた。今朝の歩数は、12,591歩だった。朝のうちこれだけ歩いておくと、今日は2万歩近く行くかもしれない。毎日このような調子の小さな旅なのである。

コメント
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