山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

旅の反省(寸感)

2007-10-26 07:10:22 | くるま旅くらしの話

北海道の旅から戻って2ヶ月が経とうとしている。その記録を10月になってから書き始めて、さらに1ヶ月が近づいている。今回は2ヶ月の旅だったので、必然的に枚数も多くなってしまう。あまり多くならないようにと考えすぎると、唯の記録メモとなってしまいそうで、迷いながら書き続けてきたのだが、どうやらそれも終わりに近づいた。結果的には100頁を超えてしまいそうである。

書いていて時々思うのは、後楽などと言いながらも前の年とあまり変わっていない暮らしぶりにあきれ返って、いっそ「今年も去年と同じこと」と書いて締めてしまおうかなどということである。確かに2ヶ月間の時系列を追って、何処で何をして、誰と何処であって何を話し、等など旅の出来事は一通り振り返ることはできるのだが、くらしの本質にはあまりインパクトがないなあと気づくのである。記録自体がだんだん精彩を欠いてきているような気がしてならない。別に取り立てて良いものを書こうとも思っていないし、そのような能力があるとも思っていないのだが、時々このような思いに駆られるのはどういうわけなのだろう。

どのようなことにもマンネリ化は付きものだとは思うが、常に新鮮で活き活きと取り組める旅のテーマは無いものだろうか。旅の経過だけを書くのではなく、旅そのものの中にやりがいや生きがいを見出せるようなものが欲しくなるのである。蕉翁には俳句があった。山頭火には句の限界を超える言葉があった。そして多くの絵描きには旅は必需品となっている。自分の今のような旅だけでは、マンネリ化は進む一方のような気がするのである。

今までの旅のあり方の中に何かを付加し、それが柱となるような新しい何かを見つけ出さなければならないなと思った。少し時間がかかるかも知れないけど、このままでは旅の認知症の世界に埋没して行ってしまいそうな感じがする。

そう思いながらも、やっぱり旅の記録は残しておかなければならないだろう。それが単なる自己満足のためであっても、生きている証を自分自身で確認できる材料としては、意味があるように思うのである。いささか連日の書く作業に疲れての愚痴となってしまったようだ。

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