山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

日本航空の倒産に思う

2010-01-21 07:16:34 | くるま旅くらしの話

御巣鷹山のジャンボ墜落事故も痛ましいものでしたが、今度の日本航空の倒産も痛ましく思います。そこで働いている多くの人たちの心情を思うと複雑な気持ちになります。何人かの知人もいますし、そのリタイア者も現役も心穏やかならぬ状態が続いているのかと思うと、気の毒を通り越して心配になります。

競争社会の現実は、企業経営であれば、その収益実態(見かけではなく)において、3年連続で赤字が続けば必ず倒産するというのが私の見方です。どのような巨大企業であれ、小さな優秀企業といわれるものであれ、要するに3年間も連続して赤字になるというのは、世の中から見放された、つまりその企業が社会にとって必要ではないということの証明なのです。真に厳しく恐ろしい現実です。そしてそれを証明する事実は、今回の日本航空だけではなく、USAの超巨大企業でさえも免れないことが示しています。

日本空航が倒産に至るまでの状況については、今まで幾つかの局面において取り上げられ、対策も打たれてきたようですが、結果的にはそれらの努力の多くが報われないまま、今日の状況に至ったということです。この原因は何なのか、よくよく検討し、考えてそこから教訓を得ることが大切ではないかと思います。それは、当事者である日本航空だけの問題ではなく、他のどのような企業においても重要で且つ必要なことではないかと思います。

私の考えでは、その原因や責任がどこにあるのかといえば、形式的には最も大きな原因はこの会社が国策会社から出発していることにあるのでしょうが、現在では完全に民営化されているということから考えれば、その原因を国策会社であったということに押し付けるだけでは、これからの日本航空の再建は成り立たないと思います。

それでは何が原因で、誰の責任なのでしょうか。社員の一人ひとりがおんぶに抱っこ的企業体質を心のどこかに抱いて仕事をしていたからでしょうか。日々の仕事の中で、お客様第一という事業精神を忘れていたのでしょうか。そのようなことは断じて無いと思います。皆さんそれぞれの立場・持ち場で懸命にその役割を果たされていたのだと思います。そのことは長い間何度もビジネスの移動の際に日本航空の飛行機を利用させて頂いた者としての実感からも明白です。

それなのになぜこのような事態を招来してしまったのでしょうか。日本航空の経営活動を人体の病状に例えるならば、頭以外の部分は、この頃なんか置かれている環境が厳しくなって来て大変だなと思いながらも、その本来の役割を懸命に果たしていたのに、頭の方はその変化の状況をさっぱり感知せず、或いは時々寒さや暑さを感じていても本気になってその対策を工夫することもせず、ま、その内何とかなるだろうと己の体力や体質を過信していた状況ではなかったかと思うのです。

つまり今回の悲惨(まだ雰囲気的には悲惨というイメージはそれほど伝わっては来ませんが)な出来事は、組織をコントロールする頭の責任と行動が大きく係わるものだと私は理解しています。優秀な社員で構成されている組織なのに、組織の個々のメンバーが真面目に懸命にその役割を果たしているのに、倒産に至るなどという出来事は、それを方向付け、コントロールする頭の働きが鈍く、変化への対応が仕切れなかったという要因以外に考えられません。極端な言い方をすれば、歴代の経営トップや役員の全員は、今回の出来事を作り出してきている原因に係わっているといわなければならないと思います。いや、これらの関係者だけではなく、その裏に居て様々な事態を画策していた連中にもその大いなる責任があると思います。

企業が倒産するか生き残るかの責任は100%、或いはそれ以上に経営者(=実質的にその企業の命運を担っている人)にあると私は思っています。倒産というのは人体ならば「死」或いは「瀕死」の状態です。この判定は人体においては脳の機能停止なのか、心肺のそれなのかまだ不定のようですが、恐らくその両方なのでしょう。日本航空の現状は、瀕死を超えて仮死状態に陥ったということかも知れません。このような状態に導いた経営者の責任は、万死に値すると私は思います。己の置かれた環境における適応行動の誤りが、自分の身体を作っている全細胞を死に至らしめるような事態を招来しているのですから、万死といっても過言では無いように思うのです。

しかし、多くの企業において、現在この万死の覚悟を以って経営に取り組んでいる人は少ないと思います。そのような力を発揮している人の多くは、創業者といわれる人が殆どですが、今の世は経営者といっても、殆どがいうなればサラリーマンの成り上り感覚の人たちですから、己の組織運営の失敗が万死に値するなどとは考えていないように思います。特に国策企業を土台とする場合は、この傾向は更に酷くなるのではないかと思われます。

このような責任論を展開しても大して役に立たないのは良く承知しています。では、これからの日本航空の再建にとって何が大切なのでしょうか。そのことは、新たにCEOになられる稲盛氏の頭と腹の中に納まっているのだと思いますが、私流に言えば、頭の中から身体の隅々までが、「原点に戻って仕事に取り組む」ことにあると考えます。勿論そのけん引役はトップです。

日本航空の仕事の原点が具体的に何かというのは、私には分かりませんが、野次馬的には、「顧客のために」という一言でしょう。そしてその顧客とは何かということを組織メンバーの一人ひとり全てが明確にして仕事に取り組むことだと思います。なかんずく大切なのは、トップの示す方向性や目標だと思います。稲盛氏ならば、必ず皆の腑に落ちるそれを示されるのではないかと思います。

日本航空の再建は、損益計算書や貸借対照表で考えても出来ないように私は思っています。今新聞やTVなどのニュースになっているのは、殆どがこの二つの会計学上の指標に係わることばかりです。経営者である以上は、このことに重きを置かないわけには行きませんが、このような指標や結果数字を作り出している根源は経営トップの万死を覚悟した適切な舵取りであり、それに基づいた企業第一線での実態行動であり、諸数字はその結果の一部に過ぎません。何千億の資金をつぎ込んでも、経営の実態行動が変わらなければ結果は同じことになります。

再建のために手っ取り早いのは、コストを下げることであり、その最も有効な手段は人員削減(=馘首)ですが、真っ先にこれを手がけるのは、本物の再建行為では無いように思います。組織運営に何の貢献もしていない者を除去するのは当然でありますが、そのような人物を探しても皆無に近いように思います。とすれば、極力馘首は押さえて、減給あたりから出発して欲しいものです。これは少し余計な口出しかも知れません。でも、今まで真面目に仕事をしていた人たちが路頭に迷うような姿は見たくはないと思います。

全てのビジネスの原点は、それを必要としている人のためにあります。ですから自分の商品を必要とする人が誰なのか、何なのかということをはっきりさせ、その一点に力を絞り注ぐことが商売の原点なのだと思います。そのことがしっかり出来て初めて競争の舞台で凌ぎを削る力が発揮できるのだと思います。

私が思うに、航空運送事業というのは、簡単にいえば出来上がった飛行機を買ってきて、それに人間や荷(貨)物を載せて運び、その中から収益を確保するだけの事業です。基本的にトラックやバスを使った運送事業と同じです。研究開発などという事業側面は殆ど無く、事業の本質はサービスです。とすれば、競争に勝つ要因はただ一つ、他社よりも優れたサービスを提供するだけでありましょう。勿論同類他業種との最大の違いは安全面の絶対とも言える確保徹底であり、これは競争条件ではなく事業の前提条件です。

日本航空は、新しいサービスの形と方法を創案すべきです。同業他社と同じことをやっているだけでは、現状維持しか出来ません。それでは生き残るのは不可能でしょう。日本航空にはこれらのことを実現・実行できるポテンシャルを持った社員が多数おられるのではないかと思います。その力を活かし、新しい経営体制の下で、是非なる再建を実現させると共に、それ以上に世界の舞台で活躍できる本物の力を付けて頂きたいと願っています。

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