山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

今年が始まりました

2010-01-03 02:32:27 | 宵宵妄話

 新年おめでとうございます。

本当のところは大してめでたくもないのですが、無事に生きていて、新しい区切りの時間を迎えることが出来たというのは、やはりありがたいと思うべきでしょうから、皆様と一緒に素直にそれを受け止め感謝したいと思います。

北国や寒い国にお住いの方には、厳しい新年の迎えだったと思いますが、私の住んでいる茨城県守谷市は、多少寒さは厳しいものの年末から連日の晴天で、穏やかな正月を迎えています。といっても我が家は家族がバラバラで、守谷には倅と主夫の私だけのムツクケキオノコの愛想もない正月、そして家内は母と一緒に千葉の市内で新年を迎えています。

不断から毎日が日曜日の生活ですから、年末も新年も周りが騒ぐので気づいているというのが実態です。特に新聞の折込広告紙は大変賑やかで、売り込み競争ならぬ狂騒の感じがします。本物の主夫ならば、それらに目を通して、正月のために何を選んで買うべきかなどと心を労するのでしょうが、偽者の私は、狂騒振りを見ただけでうんざりして、買い物に行く気がしなくなります。酒さえあれば、あとはいい加減な肴やおかずで十分満足出来るのですが、酒を飲まない倅と一緒なものですから、多少は正月らしきおかずも用意はしたというところです。

元旦の暮らしぶりについて、ちょっぴりご紹介したいと思います。起床は7時半頃。餅を食べない倅なので、我が家の正月にお雑煮はありません。いつもと同じご飯を炊いて、多少正月がかったおかずを並べて、それだけの朝食メニューです。私はご飯の代わりに先ずはビールを一杯。それが終ってから燗酒を2本。1本1合半なので都合3合程度。誰か相手があればこの倍くらいはゆけると思いますが、一人の酒ではもうこれまで。眠くなったので、大急ぎテーブルの上を片付けて寝床へ。眠くなったら寝るというのは、くるま旅の鉄則ですが、私の場合は我が家においてもそれが生きています。

目覚めたのが11時半。これから初詣に行くことにしました。守谷市の総鎮守といわれている八坂神社というのがあり、毎年そこへ行くことにしています。我が家からその神社までは4kmほどですが、勿論車などは使わず、歩いてゆきます。私は、在宅の時は滅多に車を使いません。キャンカーの他に軽自動車が我が家の足ですが、自転車では間に合わない量の買い物以外は、あまり使いません。10km以内は殆ど自転車か歩きで用を足します。健康のためを思ってそうしているのです。

家を出てからは、なるべく遠回りして、今日は自分の気に入っている道を通るコースを選択しました。私の住いは守谷市の北部にあり、300mも行けば常磐道の谷和原インターチエンジがあり、殆どつくばみらい市に隣接しています。八坂神社は守谷市の旧中心部にあり、近くには平安時代の反逆英雄の平将門が築城したといわれる守谷城址などがあります。守谷市は現在の平均海抜が27mほどですが、その昔(古代)は海と繋がった鬼怒湾というのが関東のこの辺りまで入っており、貝塚なども発見されているのですが、平安時代辺りでもその海の跡が沼となった湿地帯が多くて、それらの地形を巧みに利用して城が築かれていたということです。

その跡地は、現在までに灌漑工事が進められて、美田と化していますが、この頃は田んぼの作り手がいなくなっているのか、荒れた箇所も散見されるようになって来ているようです。その田んぼの中の道を歩くのも好きなコースの一つです。今日は家を出てから、いつものように先ずは近くの工場団地の中を歩いて、国道294号線を渡ります。その先200mほど行って関東鉄道の踏切を渡った後、線路沿いの細道を左に自動車学校の練習コースを見ながら200mほど進むと、小さな谷津のような湿地帯があります。そこの脇に作られた道をつくばエクスプレス(=TX)の車両基地の方に向かって歩きます。この辺りは完全に田舎です。この道が気に入っています。たった200mほどの距離ですが、湿地帯の中にはミズナラやコオリ柳の木などが勝手に生え育っており、枯れた葦やその他の草に絡みながら育ったカラスウリたちが、色褪せた赤い実を冬の日差しに晒しています。これが守谷の本当の姿なのではないかと、密かに思いながらこの道を毎度歩いているのですが、冬の風景というのは、一段と寂しさを感じるものです。

その湿地帯の道を抜けると、全くの別世界が出現します。TXの車両基地です。林と沼地を切り拓いて造られたこの一角は、周囲の景色とは全く馴染めていない感じがします。コンクリートで固められた広大な敷地の中には何棟かの建物の外に、車両の引込み線が何本も走り、何両もの電車が点検修理や出発の出番を待っているようです。金網越しにそれらを眺めながら敷地の脇に造られた道を歩くのですが、ここは通る車も滅多にありません。少し歩くと、TXの高架道に邪魔をされながら、湿地帯に繋がる田んぼが広がっています。しかし、基地の近くの田んぼは、早や休耕田となってしまっているようで、時折強く吹く風に褪せた色のガマの穂綿が靡(なび)いているだけです。もしかしたら、この土地も買占めにあって、やがてやって来る何かの出番を待っているのかもしれません。歩きながら、いつも思うのは、日本の農業というのは確実に滅びつつあるということです。人間が工業製品を食べて生きてゆける時代が出現するならともかく、米や野菜を食って生きなければならない限りは、農業が滅びるというのは日本が滅びるということです。(新年から悲観的です)

しばらく田んぼの中の道を歩き、少し高台となっている所に森林公園というのがあります。植林ではない昔からの森をそのまま活かして造られた公園は、私の気に入りの場所の一つですが、普段は殆どここに来る人は少なく、人びとの大半はショッピングモールなどに出かけていってしまっているようです。今日は正月なので、数人の子供たちとそのお母さんらしき人がブランコなどで遊んでいるだけでした。

わずかに36k㎡ほどしかない広さの守谷市なのに、ショッピングモールが3つもあり、狭い商圏の中で販売の共食い競争を行なっているのを見ると、我が身の愚かさを棚に上げても、そのようなモールを造るのは愚かだなと思うのです。守谷市以外からも客を引き込むというような発想のないままに競合をしても、結果がどうなるかは自明のことなのにと思ってしまいます。(ちょっと脱線)森林公園は救いの場所ですが、救われたいと願っている人は、この町には少ないようです。

森林公園の先には、守谷沼があります。その昔の様子は想像でしかわかりませんが、今の守谷沼は小さな溜池といった感じです。それでも鴨などが飛来しているようで、時々騒ぎ声を上げているのが聞こえてきます。もうこの辺りは守谷城の構内だったのでしょう。沼の右手に城跡の台地が出張っていて、そこには椎の木などの大木が繁っています。ここまで家を出てから5km弱くらいでしょうか。城跡に繋がる大地は旧守谷町の中心街となっており、その中で一番城跡に近い場所(ここも城跡だったのかも)に小学校が建っています。この守谷小学校がこの町では一番古い歴史を持っているのでしょう。いつ頃建てられたのか、そろそろ建て替えが必要な感じがします。この校庭内に守谷城に関わる碑などがあるらしいのですが、どうも無断で入り込むのは誤解されるような気がして、まだそれを見たことがありません。

町の中を少し歩くと、八坂神社の銀杏や欅の大木が見えてきます。どこでもそうですが、神社やお寺には何本かの大木が植えられており、それが探すときの目印になります。風水ではイヤシロ地とケガレ地という考え方がありますが、それはその土地の持っている人間に対するかかわり方の質・量のパワーの度合いを示すもののように思われますが、昔の人が神社やお寺に樹木を植えたのは、そのイヤシロ地としてのパワーを一層強めるためだったのではないかと、私は密かに思っており、そこに植えられている樹木たちを尊敬しています。ご神木というのがありますが、その傍に行くと、まさにその木が生きていることを実感します。守谷の八坂神社の場合は、銀杏の木がご神木に近い扱いを受けているようですが、同じ境内にある欅の大木にもパワーを感じます。特に私が注目するのは根の部分です。大地をしっかり捉えているその姿は、人間が束になっても叶わない逞しさが漲(みなぎ)っています。

ところで、初詣のつもりでここまで来たのですが、いつもと違って境内に上がる石段にまで人が溢れ並んでいるものですから、並ぶのが嫌いな私は今日のお詣りを遠慮することにしました。もっと空いている日に改めて参拝することにしました。そうすれば、もう一度歩いてここまで来られる楽しみが出来ますから。何枚か写真を撮った後は、帰路につきました。帰りはTXの守谷駅構内を通って、住宅街や工場団地脇を戻るだけです。

駅の近くに土塔というその昔の集落の地名があり、そこに道祖神が祀られています。今日の初詣はこの道祖神ということになりました。道祖神という神様は、旅の守り神様です。(そうではない道祖神もあるようですが、守谷のここは旅の神様です)くるま旅のことを思えば、この神様に一番最初にお詣りするのが正解だなと思った次第です。お賽銭が10円だったので、もしかしたらご利益が少なくなるかも知れませんが、神様には金額ではなく願う心を汲んで頂いて欲しいなと、やっぱり厚かましい凡人です。

守谷駅の周辺は、マンションやら事務所ビルやら訳のわからない街づくりが進められているようで、守谷らしさが少しもない感じがします。行政上では何やらの整備計画はあるのでしょうが、野放図に妙な建物が建ってゆくのを見ていると、もはや諦めが肝心なのだと、その思いが強まるばかりです。やたらに点在して目立つ時間貸しパーキング場を見ながら、この跡には尚一層訳のわからぬ建物が林立するのだろうなと、この辺はあまり歩きたくない気分となる場所です。

駅前を通り過ぎて、半分以上田舎の残るエリアを歩いていると、先日まで大工事をやっていた畑跡に、広大な駐車場が出現していました。千台くらいは駐車可能な広さのその向こうの方にメインの建物が完成しており、これはパチンコ屋なのでした。開店したばかりで、かなりの車が留まっていましたが、パチンコをやらない私としては、これほど広大な「あぶく銭巻き上げ機関」業種の進出に、黙って許認可を与える街の当局のセンスを、大いに疑わずにはいられない気分です。守谷市というのは、田舎者の行政が三流以下の街づくりを目指しているように思えてなりません。このパチンコ店でも、夏の日に子供が車の中に放置されて死亡するなどという、愚かな事故が起きなければ良いがと思いながら、そこを通過しました。

少し歩いて、我が家が近くなる手前の土手に、どなたか所有の数本のロウバイが植えられている箇所があり、それらが皆満開に近い花を咲かせていました。寒さは厳しくなった感じがしますが、もう確実に春がやって来ているのだと思いました。歩いたり、停まったり、眺めたり、覗いたりしながら家に戻ったのは14時半近く。ざっと3時間弱の散策でした。

その後は、風呂に入って気分を一新し、アルコールを愛でながら年賀状に目を通しつつ睡魔に襲われて、再び寝床に潜り込んで夜を迎えるという暮らしぶりでした。今年もこのような調子で大半が過ぎてゆくような予感がします。一応今年目指そうとしているお題目は決めてはいるのですが、今のところは言いふらさない方がいい様に思っています。

(写真を入れようと思ったのですが、字数制限で掲載できなくなりました。駄文ばかりですがご容赦を)

今年もよろしくお願いします。(馬骨拝)

コメント
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